井賀孝写真集「不二之山」 | 目隠しされた馬 撮影師・辻智彦のブログ

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キャメラマンは目隠しされた馬か?

畏友、井賀孝がすごいスピードで矢継ぎ早に新刊を出している。
生き急いでいるのかな?いやいやそんなはずはない。
かってブラジルでバーリトゥードファイター・ペケーニョにも
いわれていたからね。
「タカシのファイトスタイルはとにかくクイックだ」と。
高校時代もそうだった。あの足の速さは尋常じゃなかったし、
パンチのスピードもきっとメチャ早かったと思う。
そういう意味でイガッチは元々「はやいひと」なのだ。
勿論写真を撮るのもめちゃくちゃ早い。それは「かなたの子」のジャケ写撮りで目の当たりにしてるからね。

というわけで、そういうイガッチの新作写真集
「不二之山」をばっちり視た。その感想を。

写真集は文字通り富士山(不二山)をテーマにしている。
被写体はきわめてシンプル。
「不二山を視た写真」と、「不二山から視た写真」だけで
構成されている。
裏が透き通る薄い和紙で仕切られた3章の構成。

じつは写真集を見るのは僕は苦手だ。
写真集を見る時はいつもそうなのだけれど、
ひとそれぞれに都合良くイメージを喚起できる
「文章」表現ではなく、
イメージの即物的な生体標本である「写真」表現は、
そこに内蔵された時間を思うにせよ、空間を思うにせよ、
はたまた「物語」を妄想するにせよ、
立ち現れるのはただ己の感情。
その感情が由来する所は心の奥深く、やわらかく昏い部分。
怖くてなかなかえぐれない。
だからそこを突こうと手ぐすねひく写真集というものが、
僕はなんとなく怖い。

また、イガッチならそんな写真をごりごりと、
しかも繊細に押し出してくるに決まってるから
(彼は実はかなり繊細な漢であることを僕は知っている)
否応なくその手つきに敏感に反応してしまうんだろう。

そんな先入観があったからか写真集「不二之山」との
ファーストコンタクトに戸惑ってしまった。
まずは表紙、なんなんだ、この妙な明るさと前衛感。
本の発売と同時期に開催されていたイガッチの義父、
中西夏之氏が一員だった伝説の「ハイレッドセンター」展
のポスターの向こうを張る突き抜けたタイポグラフィは!

その違和感を胸に、表紙を開く。
しずかに立ち上ってくる不二の頂。
はじまりにふさわしい、予感させる写真だ。
しかし次のページでいきなり混乱した。
縮尺と遠近の狂った鳥居と岩!
これどうなってんの?とページをめくる。
すると出るわ出るわ異形たちが。
なぜか地表にむき出しの木の根っこ、
湖を丸呑みするおおきな山の影、
妙に近くを飛んでいるジェット飛行機の腹、
地面から直接わき上がる雲。
この構成の意図はまったく分らない。
ただ、何かがおかしい感覚で満たされる。
それが狙いなのか?
よく分らないけどとにかく本の帯にある通り、
不二山の怪貌をまず思い知らされる。
そして見開き一面の雲の海。
どこにいるのか、どこからみているのか。
感覚を惑わし、宙づりにするパノラマだ。
そして数ページ後、
この本に初めて降り立った人間の長く伸びた影は、
ここにある全ての写真現場の目撃者、井賀孝その人。
しかも後光みたいのが頭のあたりにかかって
なんかちょっと神々しいぞ!
この超人はカメラを抱え、足下をしっかり確かめ歩き出す。
月を見上げ木々をすり抜け、雲を見下ろしアザミを見上げ、
視線をたゆたわせ、やがて雲に乗って不二の頂と相対する。
第一章最後の見開き不二山が、最初の写真と呼応しながらも
、一番不思議な写真だったりするのだ。
これはいったい、どこからみているのか?
やはり超人、井賀孝は雲に乗る術を心得ているんだろうか?

第二章。一章とは対照的な素直な始まり。
山々の連なりの果てに遠く冠雪した不二山を視る。
不二の手招きに対し、これは行くしかないっしょ、
という応答が写真にくっきり刻まれている。
そして写真はひとっ飛び、雪に覆われた不二の斜面に。
山の雪肌と月。雪肌と山頂。雪肌と木の柱。
一章の怪貌とは打って変わって
すべてが正しいパースペクティブで描かれる。
一歩一歩、雪不二に歩を進めるイガッチに僕の眼も付き従う。
あくまで時制に従った直線的な構成が緊張感を高めて行く。
単純な美しさに流されることをあくまで拒否する井賀孝は、
構図を微妙にずらしながらも、写真の強度を手放さない。
この辺はイガッチの真骨頂だね。
状況の厳しさにフォーカスをあてていない。
それは所詮、人間にとって厳しいっていうだけだろう。
そんなものは自然にとっては問題ではないといわんばかりだ。
いがっちはただただ、牛のごとく歩を進める者なんだ。
あっけらかんとした凍てついた世界。
そこには恐怖も怪異もない。
ただ圧倒的な、人間に対する自然の無関心がある。
人間にとって生きるか死ぬかの過酷な状況下とは思われぬ
能天気な不二のあかるさには怒りさえ覚えるのだ。
人間はこれほど不二を想っているのに、
不二山は人間の事など何も考えていない。
その事実がこの牧歌的な地獄の本質。
本質を正面から井賀孝は見据え、
僕たち人間に投げつけようとしているんだ。
そんな事を想いながらページをめくると突然、
「鳥居」が、凍てついた形で現れた。
日本人にとっては神へのよすがとなる徴。
そして道しるべの石もまた。
不意にひるがえってイガッチは人間の痕跡を撮りはじめる。
氷の地獄の中でしぶとく人間の証を守るものたちを執拗に。
「視ること」による人間の逆襲がはじまる。
「視ること」そして「撮ること」による闘い。
勝てるはずもない闘い。
しかし通常の人間ではない修験の人、超人井賀孝は粘りぬく。
ホワイトアウトの真っ白い写真だけが続く本の中盤は、
もしかしたらこの本の最大の見せ場かもしれないな。
そして吹雪が去り、勝ち誇ったように歩を進め始めるのだ。
二章の締めの写真、勝利の足跡が渋すぎる。
(でもほんとうは勝利なのかな?
 きまぐれで赦してもらっただけなのかも?)

そして最終章。一人の超人が切り拓いた道を、
沢山の人間どもがのぼってくる。
光の糸、飽和するひと、ひと、ひと。
邪念を胸いっぱいに抱えた人間どもも、
一心に不二に集う足取りを視続けるうちに、
一個のおおきな渇望(もしかしたら祈りのこころ?)
のかたまりにみえてくるから不思議だ。
そして、彼ら(僕ら)の視る、山頂からの光景。
彼ら(僕ら)のおもいに答えるような無視するような、
表情の読み取れない曖昧な微笑みを湛えた山頂からの光景だ。
ただ、人の連なりと山の連なりが相対しているのみ。
写真の中で僕が視たのは、非対称な山とひと。
何人かかって祈ろうが、びくともしない不動の山の姿。
この圧倒的な敗北感は、でも僕を元気にさせる。
そうそう、僕は不二山に負けたくて、
不二山を舞台にドラマを作ったんだった。
力の漲った訳の分からないデカいプレゼントをありがとう。
イガッチ次の本も楽しみにしているよ!