第2回チュンムロ(忠武路)国際映画祭が9月3~11の9日間にわたって、韓国のソウルで開催された。チュンムロ(忠武路)は韓国の映画会社が多く集まる街で、アメリカのハリウッドのように、韓国では映画タウンの代名詞のような存在である。現在、韓国では毎年10月上旬に開催されるプサン国際映画祭(今年で13回目)が最も古く、規模も大きい。そこに、昨年から首都のソウルで、やはりかなりの規模の映画祭が開催されることになり、次期も接近していることから、足の引っ張り合いになるのではないかという声をあがった。しかし、チュンムロ国際映画祭は、クラシック映画を紹介することがメインのテーマであり、プサンとの差別化をはかっている。インターナショナル・コンペティションでは審査委員長をマイケル・チミノ、審査員には日本から寺脇研氏も参加していた。


今年の特集は、ドイツ映画のロマンティシズムとして、ムルナウの「ノスフェラトゥ」、フリッツ・ラングの「M」といった古典から「バグダット・カフェ・ディレクターズ・カット」などまで、28本の作品が上映された。そして第2特集として、市川崑監督が取り上げられた。上映された作品は「ビルマの竪琴」、「炎上」、「おとうと」、「黒い十人の女」、「犬神家の一族」、「悪魔の手毬唄」、「病院坂の首縊りの家」、「細雪」、「どら平太」の9本と、岩井俊二監督による「市川崑ストーリー」である。他の特集では、スペシャル・イフェクトのダグラス・トランブルが紹介され、「2001年宇宙の旅」、「未知との遭遇」、「ブレインストーム」、「ブレード・ランナー」などが上映された。また、デヴィッド・リーン、デボラ・カーといった渋い特集も組まれていた。同じ番組を現在の日本で上映したとき、果たして、これほどの観客が集まるだろうか。特に若い観客については悲観的にならざるを得ない。


わたしは市川崑監督の9日(火)、10日(水)の午後の5作品、「炎上」、「黒い十人の女」、「犬神家の一族」、「悪魔の手毬唄」、「細雪」の上映に立ち会ったが、どの上映もほぼ満席か、金田一シリーズは売り切れだった。また、若い観客がめだった。韓国の多くの若い観客たちが市川崑作品を熱心に見入る光景には、日本の映画関係者としては、うれしく、誇らしい気分になった。しかし、ひとつ、とても残念なことがあった。それは「悪魔の手毬唄」のプリントの状態がそうとうに悪かった。事件の舞台となった美しい山村の山々の緑は赤く退色し、また後半、金田一が三木のり平のところを訪ね、証拠となる写真を入手するシーンやラスト・シーンがカットされたバージョンだった。映画祭事務局に訊くと、このプリントしか入手できなかったという。このような状態のプリントで上映されていることを市川監督が立ち会っていたら、とても悲しんだはずだ。これでは、自動車ショーにサビとホコリまみれの中古車を出品しているのと同じだ。わたしは、上映の挨拶で、本当は、とても美しい映画なのだと繰り返し話した。



「犬神家の一族」の上映は満席だった。



海外の映画祭プログラマーの方々と話しをしていると、プリントの入手の困難さについて頻繁に聞かされる。確かに、映画祭にプリントを提供してもビジネスになるわけではないので、映画会社にとってはニュープリントを用意するほどのメリットは少ない。また自動車会社にとっては、クルマとブランド・イメージがつながるが、映画の場合は、作品と映画会社のイメージがつながることも少ない。しかし、日本映画のクオリティと文化を伝えることを長期的に見れば、最高の状態で海外の観客に伝えることがメリットとなるはずだ。そして、今後はブルーレイの普及も加速することから、デジタル上映など、柔軟な対応を検討してもいいのではないか。


また、映画祭事務局から、最近の作品で、小粒でもいい作品があったら紹介してほしいということで、私は井上春生監督の「音符と昆布」を推薦した。この上映では、主演の池脇千鶴と井上監督が舞台挨拶に立ったが、2回の上映は売り切れの満席、そして上映後のQ&Aでは弾ける拍手で迎えられた。こんな歓迎を受けたことのない井上監督は、映画監督として続けることに大きな自信を得た。5月のチョンジュ国際映画祭でも、「サイドカーに犬」の上映後の熱気に、根岸吉太郎監督が今まで最高の反応だったと話していた。韓国の映画祭では、多くの日本人監督が勇気をもらって来る。いい観客が優れた映画を作るということが、韓国の映画祭に参加して実感する。



井上監督(左)と池脇千鶴