ちゃんと話すための敬語の本 | ブログ的雪かき

ちゃんと話すための敬語の本

橋本 治
ちゃんと話すための敬語の本

 つれづれなるままに3冊目。ちゃんと話すための敬語の本。


 橋本治は、間違いなく日本いる数少ない本物の思想家の一人である。この人は、普通の常識から考えるとくだらないことを本当に真剣に扱う。それはとても偉大な仕事なんだけど、殆んど評価されない。80年代は勢いがあったらしいけど、リアルタイムでしらないので何とも言えない。


 でも、最近はその対象がかなりまっとうなものになってきた、歳を取って何かしら心境の変化でもあったのだろうか。でも、あんまり評価されないのは相変わらず。まあ本人がそんな事は求めてないんだからそれはそれで良いのかもしれない。個人的には、現在、文芸誌の「新潮」に3ヶ月ペースで連載されている「小林秀雄の恵み」はかなり凄いことを言っている様な気がするのだが、きっと大学の研究者なんかは見向きもしないんだろう。まあ、この国では本物の知性は常にアカデミズムの外にあるから、これは正しい構図なんだろうけども・・・。


 そんな橋本治の、日本語指南の書がコレ。この新書シリーズは、筑摩が今まで新書などというものを手に取った事のない、あるいは本なんて普段殆んど読まない人を対象にした新しいコンセプト(どう好意的に考えても成功しそうもないコンセプト)の基に創刊が始まった新書で、この本も書き方としてはかなり丁寧で、中学生向けの本といっても過言ではない。


 最近、日本語ブームだか方言ブームだかで日本語が注目されている。そういえば結構前に斉藤某の「声に出して読みたい日本語」なる本を出してバカ売れしてたが、思えばあれが日本語ブームのはしりだったのか・・・。


 ちょっと脱線


 まあ、あれは身体論の意味合いが強いらしく、斉藤も最近はテレビによく出て体を動かしているが、あれはどうなんだろう?見てるとちょっとキモチワルイ・・・。結局、体に色気が無いのだ。運動が得意かどうかは知らないけど、あの人が例えば野球なんかしても絵にならないと思う。というかただ立っているだけでも絵にならない。ホントに良い体をしている人は立っているだけでもちゃんと絵になるのだ。身体論てそういう所から始まると思うんだけど。ともかく、あの人の考え方はマッチョすぎてついていけない。


 で、橋本治の本なんだけど、これは本当にまっとうに日本語の持つ豊かさ素直に理解できる仕組みになっている。中学生、高校生諸君はこの本読んどくと、古典の授業が楽しくなるだろう。あるいは古典が何ゆえああいうまどろっこしい言葉の使い方をしているか、その大枠は掴めると思う。国語の先生も読めば、魅力的な古典の授業が展開できるかもしれない。


 もちろん、それ以外の人が読んでも面白い(多少説明がくどく感じるかもしれないけど中高生向けと思って我慢)と思う。今の日本語ブームがやっぱりただのピントはずれのブームに過ぎない事を理解できるだけでも一つ得をする。


 日本語は誠に奥深い。