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- 父親たちの星条旗 (監督 クリント・イーストウッド)
つれづれなるままに220本目。父親たちの星条旗。
イーストウッドは歴史家だった。
いや~良かった。ハリウッドにはいい監督が沢山いるけど、イーストウッドはやっぱ頭一つ抜けてる。
ご存知の通り、この映画は硫黄島2部作の一作目で、第二次大戦の中でも激戦を極めた硫黄島での戦いを「アメリカ側の視点」から描いた作品である。よって、日本人兵士は基本的にスクリーンには映らないし、映ってもそれは匿名の日本人としてか描かれていない。まったく日本側の視点はない。
といっても、描かれているのは、(ハリウッドにありがちな)強いアメリカでもないし、仲間を決して見捨てない米軍でもない。そこにいるのは戦争に人生を翻弄された若き兵士達である。彼らは、戦地での悲惨な体験に傷つき、本土での英雄扱いに傷ついていく。そういう点では、この作品は、戦争映画という衣装をまとったいつものイーストウッド映画ではある。
まず、驚くべきは迫力の戦闘シーン。本当に心臓が弱い人は観ちゃダメというレベルの映像と音。頭や手足が吹っ飛ぶ兵士達の描写は一切のごまかしをせずに描かれ、硫黄島に向けた艦砲射撃や機関砲の音は、体の心まで響いてくる。この戦闘シーンだけとってみても、この映画には見る価値がある。
硫黄島で星条旗を掲げているあの有名な写真に映っていた3人の兵士は、戦時国債の為の宣伝塔として担ぎだされ、英雄扱いされる。その中で、彼らはすこしづつ傷つき、心を閉ざしていく。彼らの孤独になっていく心の隙間に、戦地での記憶はフラッシュバックしていく。
もちろん、イーストウッドの意図として、帰国した本土の人々の身勝手が、戦いに傷ついた兵士達の心をさらに傷つけたという文脈はあるだろうが、それはこの作品のメインストリームではない。この作品は、一つの価値観に居つく事による陳腐な感動を極力避けるような作りになっている。また、監督の視点に一番近い部分として語られ、物語の中心人物であるライアン・フィリップ(ジョン・”ドク”・ブラッドリー衛生兵)は、非常に寡黙な人間として描かれている。彼が、終盤僅かに語る独白は、反戦の意味も、戦争の悲惨さも含んでいない。ラストシーンで、戦友たちを静かに見つめるその透徹した視線は、共に戦ったもの同士でしか決して分かち合う事のできない絆しか語っていない。
こういう視点は、歴史文学に非常に近いものがある。もちろん、尺は2時間だから、それ程多くのエレメントは詰め込めないが、イーストウッドが描こうとしたものが、ラストでストレートに心に伝わる様に出来ているという意味では、間違いなく歴史文学の傑作である。
とにかく、あらゆる意味で素晴らしい映画だった。今年見た映画の中では間違いなく、トップ3に入る出来だった。是非劇場で観賞する事をオススメする。また、エンドロールの作り方も秀逸なので、最後までしっかり見て下さい。