後ろにあるもの | 日々の暮らしを重ねる

日々の暮らしを重ねる

心の真ん中は、深い森の中にある泉のようで
みつけた!と思ったり、見えなくなったり。
だけど日々の小さな営みの中から見出す
喜びやときめきは深い森の泉のきらめきなのかもしれないな…
などと思う今日この頃。
そんな日々の徒然を重ねてゆきます。

寒くなってきましたね。

若い頃、
冬が好きだと思っていました。
厚着ができるから。

厚着とは、
心にたくさん服を着せられるという意味です。

傷や哀しみを
見られないように
服が着せられるから。

いくら服を着ても
隠せないのにね。
そう思っていたな。


描きかけの絵。

猫など描いてみました。
人間だとリアル過ぎる(笑)

あ、落ち込んでる訳ではないです。

ただ、
あ~、傷とか哀しみって
まだあるんだなぁって思いました。

たぶん、おばあさんになっても
何も感じなくなることはないでしょう。
何も感じないのは、今抱えている哀しみより
ずっとずっと哀しいと、想像します。



この絵を描きながら
自分の後ろにある素敵なものは
見えないものだなぁと思いました。

泣いている猫の子に
あなたの後ろには
素晴らしいものがあるんだよ。
ちゃんとあるんだよって
伝えたいと思いました。



後ろは、
心の中とか
様々な経験とか
醸し出す雰囲気とかね。
みんなあるでしょ。


それを見えなくしているのはなにか?

例えば


何の気なしに言われた事が、
チクっと刺さって、
また何の気なしに言われた事が、
刺さったところを広げたりして、

次は刺さらないように
痛くないように
人って工夫する。
工夫するけど、
刺さったままのその傷は
とてもとても敏感。

だから、関係ないことも
それも、これも、傷を広げてしまうことがある。


でも
何の気なしに言われる事って
言った人の主観が、バリバリに入ってる。


その人から見える
素敵や綺麗や正しいことが、
私から見える
素敵や綺麗や正しいことと同じじゃない。

親子でも
先生と生徒でも
友達同士でもね。



心は、算数の答えみたいなものばかりじゃないです。
算数だって、答えの導きかたは一つじゃないしね。


あの時は戻ってこないし、
それを解決したり、
なかったことには出来なくても、

あ~私はあのことばを
自分でノロイのことばに変換しちゃったんだなぁ。
あの出来事を、ノロイの出来事にしちゃってるんだなぁ。
あれは私がかけたノロイの魔法だったわ~って思ったら、

自分の心を縛る、見えない鎖が少し消えるかもしれません。




そうしたら、後ろにあるあなたの素敵なぬくもりを、ほわっと感じられると思います。

焦らなくても
後ろにあるものは
ずっとちゃんと、そこにあります。