皆様、チェストー!(・▽・)ノ
(・・・ことばの使用方法が間違っていることと思いますがスルーしたってください)
さるH24.9.1~9.2に“関ヶ原学校”が開催されていました。
小和田哲男先生 と 中井均先生 という
城郭好きにはビッグネームのおふたりの先生による授業でした
(関ヶ原学校の授業内容はそのうち・・・)
初日はお昼からのスタートだったので、寄り道しましたぞー!
当初の予定では、玉城を攻めるつもりだったんですけど、
「猛烈な藪」という情報でしたので、延期しました。
で、やってきたのは上石津資料館の“多羅城(西高木陣屋)”
多羅城の名前の出所はわかりませんでしたが、
戦国期の城ではなく、江戸時代の陣屋ですね。
ほうほう、高木家は東西北の3家あったんですねー。
格式あるお家だったんだろうねー!
【高木家の歴史 要約】
・成和源氏 源頼親を祖とし大和の高木村に住み氏とした
・室町時代中期には美濃国石津郡駒野に住した
・斎藤道三や織田信長に従い、駒野と今尾を与えられた
・徳川家康に召されて、 関ヶ原合戦の軍功により、時・多羅郷を与えられた。
・高木三家は交代寄合美濃衆といい、大名格で寓され参勤交代を行った。
埋門は何のための門だったんでしょ?
その先にあるの森にしか見えないんですが?
埋門と井戸
こんな立派な埋門ですから、さぞ重要な門だったんじゃないの?
陣屋だからか、それとも時代が下ったからか、算木積みではないようです。
野面積みですが、谷積みっぽいのがところどころに見られました。
家紋 (移築)門
家紋が大谷吉継さんのと同じで、ちょいとテンション上がったよ!
(大谷さんは対い蝶のほかに違い鷹羽を使用しています)
あと近くに、関ヶ原の戦いで叔父で当主の島津義弘さんと逃がすために、
捨奸(すてがまり)の犠牲になった島津豊久さんのお墓があるそうです
タイムリーな発見にテンションあがりましたが、
時間が迫っていましたので、またの機会に訪れたいと思います。
上石津資料館には高木家の資料のほかに島津家の資料があります!
冒頭の「チェストー!」はここに繋がるわけでした。ちゃんちゃん♪