松平城山城レポ その2行きまーす!
(その1はコチラ )
登城経路をたどってレポ使用と思ったのですが、
現地案内板がなく、経路を示せないのでちょいと端折ります
縄張図片手に、6名は主郭を目指します
縄張図によると“枡形虎口”があるらしいのですが、
私、上から見る堀切に釘付けになっていて、
すっかり斥候部隊から遅れていたので、見つけられませんでした{やっちったw
主郭への土橋と虎口(と土塁)
縄張図をよーく見てみると、土塁があったのようです。
風雨と枯葉で土塁の土が堀の中に流れてしまったんですね(・v・`
「これは写真にしたらわからないよな~」なんて言っていたら、
主郭の下にくっきりした土橋がありました
と、最後尾歩いていたくせに、いの一番に土橋へと走り寄りました
kaiさん、スーパーハイテンション
“凍てつく波動”だって跳ね返しちゃうほどのテンションなんだぜ!(笑)
皆さんはというと、土橋手前の石垣の撮影中
土橋の手前の石垣
「石垣スルーして土橋に行くなんて変わってるよねー」と言われたけど、
自称「土橋渡り隊」なんで、むしろ光栄です
土橋を堪能したあとで、(戻って)石垣を撮ってると
「あれ?この土橋、下が石垣になってるよ」とひろさん。
「え!?」と皆さん集まってきて
土橋を横からガン見&撮影大会 ←隠れてるんじゃなくて木に捕まっている図
土橋を堀から見る(藪でごちゃごちゃしてますが、真ん中にちょっと石積み)
立派な土橋と空堀を見られて私、大満足
※重要
アホみたいに騒いだ後でとても恥ずかしいのですが、
よくよく本を読んだらこれは土橋ではなく“竪土塁”とのことでした。
ところが、松平城山城はこんな追い討ちをかけてきました
角馬出
それも三河では珍しい(土の)角馬出!
この松平城山城、別名を“大田城”というそうで、
かの太田道灌が築いたという伝承があるそうです。
(似たような逸話はたくさんあるそうですし、そもそも“おおた”の字が違いますね)
角馬出から先ほどの土橋は直線状にあり、真っ直ぐ進めてしまいますが、
それは歩道にされたからで、往時は(写真の)奥が通行口だったようです{はうぅ・・・
松平城山城はこのあとも、土橋や石垣を配置した見ごたえ満載の山城でした
レポは2回で完結ですが、
この日巡った山城3城のなかで、一番気に入った城がこの松平城山城です
もっとも一人で登城していたら、こんなハイテンションではなかったと思います。
事実、西三河で最大の見ごたえのある城といわれている“大給城”でさえ
半年前に一人で行ったときは「よくわからなかった」と言ったくらいですから
それとも・・・城好きレベルが上がったのかな~{そうだといいいな~☆
見忘れがあると「リベンジしにいかねばっ!!」となるわけですが、
大満足したら大満足したで「また見に行きた~い」
となることが判明しました
しかーし、まだ西三河攻めは中堅戦。
全縄張を見終わったら、無言でズカズカと撤収し、次の城へと向かいました
次回の大給城はコチラ