5/26(土)の西三河攻めレポ行きまーす!(総合感想は コチラ
)
最初の攻城地は徳川家康さんのおじーちゃんのおじーちゃんの、
そのまたおじーちゃんのおじーちゃん (何祖父になるの?)
徳阿弥さんこと松平親氏さんの城“松平城”でーす
はい、入り口はこちら~↓
のっけから山城オーラ出しまくりで、 初登城者5名から「おー」とかやや苦笑がもれました。
でも整備されているので歩きやすいですよ
現地案内板の縄張図(加工&加筆)
入口の脇は“竹の入”といって“館の入”から変化した屋敷があった場所のこと。
(“館の入”が転じて“竹の入”になった)
家康さんのご先祖 親氏さんは昼には館にいて、夜に城で過ごしたんだって~。
戦でもない時に城で過ごすとは、親氏さん変わった人ですね。
(・・・松平郷にあった親氏さんの銅像は本当に変わった人だったけど)

登り始めて5分ほどで曲輪2に到着し、その上がもう主郭です。

加工された石
「掘ればもっと加工された石が出てくるかもしれないですね~」
「ヤバイものが出てくるかもよ」
なーんて話をしていたら、怪しいものハケーン
てっきり枝だと思って私、蹴ってどけてしまいましたが、
よくよく見ると左側が関節のようになってるじゃあありませんか!
ま、まさかマジで骨!? ←実際は、枝で突っついたり、ひっくり返したりしました
曲輪2を経由して、曲輪3から曲輪4へ。
曲輪4には縄張図には描かれていない石垣や虎口跡がありました。
参謀さんに教えてもらった“諸国古城之図”を見たら、
しっかりした内枡形虎口が描かれていたのですが、これとは向きが違いました。
この先、通れないのかな?
曲輪4にあるお社は元はここにあったのだろうと思います。
今にも瓦が落ちそうで、カナリ危ないのですが、元お社だから壊せないのでしょうか?
石垣あるけど、遺構じゃないよねぇ?
その脇にはお地蔵様がいました。
この裏が“竹の入”なので、そちらを見て帰ってくるときに倒さないようにご注意を~。
さてさて、このあとはメンバー様が釘付けになったものがあるのですが、
今回はここまで~
松平城②はコチラ
余談:
今まで写真に名前を入れてきましたが、メンドーになったのでやめました。