結ばれ,結ぶ「結い」の旅 | こうたろうちゃんちのありんくりん

結ばれ,結ぶ「結い」の旅

はいさーい、こうたろうやいびーん とかげ


もうすぐ、7月4日


「でいご チャリティー・コンサート」


・・・みるく様のアカユー手ぬぐいと~、請福のアカユーラベルと~・・・じゃないだろう ショック!

って、勿論連れて帰るけどね にひひ


ブログで書くには、少々恥ずかしい話なんだけど、事情で、今我が家は経済恐慌の嵐台風とまでは行かないにしても、寒風風が吹いて・・・この暑さにちょうどええじゃろ・・・って、訳ないじゃろ叫び


で、なんでそんな状態なのに、チャリティ・コンサートへいけるのか・・・ってことになるよな、やっぱりあせる


突然ですが、「かぐや」をお返しした竹富への旅を題材にした、おいらのエッセイを紹介させてください





結ばれ,結ぶ「結い」の旅

                             

この冬,4度目の竹富島へ渡った。観光でもなければ,仕事でもない。あるものを竹富の神様にお返しするための旅。種から5年間育てた娘…デイゴの幼木をお返しする旅。

 

 デイゴとの出会いは7年前。壊れかけた心をぶら下げて,西表島・波照間島へ初めての一人旅をした時,温かい心でもてなしてくれた島の人達の想い出と共に,心惹かれた名も知らぬ花を1枚の写真に収めて持ち帰った。それが沖縄の県花「デイゴ」だった。

 

 それから2年後,沖縄病に感染していた私は,仕事で沖縄文化講座を企画・実行したのだが,その卒業旅行で,文化の色濃く残る竹富島を初めて訪れることになった。竹富島,それは,子どもの頃,百貨図鑑で見つけた青い海に浮かぶ丸い緑の島。はっきりと覚えている~きれいだなぁ,いつか行ってみたいなぁ~。勿論,遠い将来に待つ不思議な出会いなど知る由もなかったが,その竹富島をついに訪れた。世持御嶽の神々しさに触れていた時,デイゴの木の下に豆?「あっ,デイゴの種!」。西表島で見たあの美しい花を思い出し,「このありがたい種をいただいて帰り,倉敷の地で咲かせたい。」ただ,その一心だった。


 5年が経ち,でいご様と名づけたデイゴは成長した。ただ,残念なことに,夏に緑の葉を茂らせても,冬の寒さに部屋の中でも細枝が枯れる。また,花が咲くまでには何十年とかかるとも聞き,どうしたものかと考えていた頃,大好きな唄三線の道を歩み始めていた私は,沖縄から倉敷に嫁いで来られた唄者・玉城貞子先生の沖縄音楽教室の生徒になっていた。ある時,でいご様のことを先生に話したが,喜んでもらえると思った私の思惑とは反対に戒められた。御嶽からは何一つ持ち出してはいけないことを教わった。そして,その冬,哀れな姿のでいご様を見た霊感の強い妹が言った。「生まれ故郷にお返しした方がいい。それも自分の手でお返しに行かないといけないよ」と。体調を崩していた私には,あれほど好きな第2の故郷「沖縄」でさえ,段取りする気力も無く,初めて旅行会社を頼ったが,ここから幸せが走り出した。竹富大好きな担当者・里見さんとの偶然?の巡り会い。彼女から喜宝院蒐集館長の上勢頭芳徳さんを紹介いただいた。実は,氏には5年前に一度お会いしているが,覚えておられるはずもない。緊張して電話した向こうで,館長さんが言った。「今,沖縄のデイゴは害虫の大被害にあって花も咲かないどころか,巨木でさえ枯れてる状態です。そんな親の危機を救うために子どもが里帰りすると考えてくだされば…」と。叱られるどころか,その暖かい思いやりの言葉が心に染み入り,肩の荷も下りた。


そして竹富へ。宿はかねてから泊まりたかった泉屋。しかも一番座に通され,恐縮するやら,嬉しいやら。「お世話になります」と仏壇のご先祖様にご挨拶した。宿のハツエさんとのりちゃんも優しく,特に,達子おばあが絶えず優しい笑顔で話しかけてくれる。「十九の春」を唄三線して,一緒に唄う…喜んでくれるおばあの顔に自分の顔もほころぶ。一泊のみの滞在だったが,なんとその夜「デイゴ救済運動の実行委員会の準備会」が開かれ,館長さんの計らいで,私はサプライズゲストとして会に出席し,でいご様をお返しした。神様のお導きとしか思えない。喜んでくださる笑顔を見て,心が熱くなった。その夜,デイゴ救済を熱く語る館長さんと呑みながら,何度も固く握手し,お礼を言った。「館長って固いですよね」と尋ねると,「他県出身の私が島の人に認められたと感じたのは,下の名前で呼ばれた時だよ」と。芳徳さんと呼ばせていただいた。最初は恥ずかしかったが,何かが変わった。そう,待ち望んでいた,観光客から「ともだち」になれた感激の瞬間だった。


翌朝,神司の島仲由美子さん,公民館長の生盛大和さん,芳徳さん,泉屋の篤さん享子さんご夫妻,内盛正聖さん,琉球新報の深澤友紀さん,泉屋のお客さんまで一緒に世持御嶽前の広場に植樹したが,観光ではない,まさしく島の神事。それも私が育てた娘の植樹式。言葉にはできない嬉しさと緊張感に包まれる。直前まで降ってた雨もぴたりと止んだ。やがて,神妙に始まった儀式も終わり,新聞用の記念撮影が始まると,誰ともなく冗談を飛ばし,笑顔が溢れる。その中心に自分がいるなんて奇跡としか思えない。みんな口々に「見守ってやるから大丈夫」と。篤さんには「毎日様子を見に来いよ」と言われ,「それって,移住しろってことですか?」5年前に移住を本気で考えた竹富島。冗談でも嬉しかった。「毎日見ててあげるよ」と毎日,御嶽を掃除される由美子さん。みんなの言葉が心の琴線に触れていく。


ふと思った。里帰りを期に「かぐや」と命名しよう。育ての親元で成長し,里帰りする様は,竹取物語の姫様にそっくりだし,竹富と竹取…わかるでしょ?


宿に戻ると,同郷出身の享子さんが待っていてくださり,まったり3時間近くも楽しく話し,私にとってはお宝のような話も聴かせていただいた…船の時間を遅らせて。


帰る直前,もう一度娘に会いたくて走った。「また会いに来てよ,お父さん。」「勿論さぁ,かぐやと島の友達に必ず会いにくるよ。」枯れ枝を落とした娘の姿はバンザイそのものだ。


私には霊感は無いが,固く信じることができる。竹富の神様が導いてくださった今日の日。この日に向かって体調は上向き,身震いするほど不思議に,全ての事がうまく運んだ。6年,30年ぶりの予期せぬの再会もあった。娘を通じて島の人達と結ばれた感動の「結い」の旅。今回,島の人達からいただいた感動は一生忘れないし,感謝の心で,この「結い」をこれからもっと深めていきたい。もう,名前で呼び合える人達がいるんだから…。




こうたろうちゃんちのありんくりん



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 このエッセイは、(財)沖縄観光コンベンションビューローが企画した「行っちゃお♪沖縄キャンペーン」の「フォト&エッセイコンテスト」に応募したもので、優秀賞をいただきました。ですので、そちらからお借りしてきたものです。 


ブログへの掲載については、事前に了解をいただいておりますが、ブログだからと言って、エッセイの中に登場する方のお名前を伏せることはできませんので、写真ともども、掲載について、ご了解いただきたく存じます。


応募のきっかけは、この竹富の後に初めて訪れた小浜島・うふだき荘の清美さんに、「これに出してみない?」と応募のチラシをいただいたからなんですが、それが無ければ、おいらの7月4日はありませんでした。



・・・それは、副賞ということで、沖縄へのペア往復航空券をいただくことができたから


清美さんには、本当に感謝してます。




そして、おいらは思うんです・・・

 1月の旅から全てが、竹富の神様が、「また訪ねてこいよ・・・うへ」と微笑みながら、導いてくださってい    

 る上での出来事なんじゃないかって・・・



 そして、微笑む神様の横には、かぐやも一緒に微笑んでいる・・・




「受けたご恩を、お返しに帰ります・・・何も出来ないかもしれないけど、その気持ちだけはたずさえて」






「こうたろうちゃんちのありんくりん」は「竹富島のデイゴを救おう!」の活動を応援しています!


デイゴを救おう 公式サイト

http://www.save-deigo.sakura.ne.jp/index.html


はるきちさんのブログ デイゴを救え

http://ameblo.jp/deigo-aid/


デイゴを救おうの公式Tシャツ購入方法

http://ameblo.jp/deigo-aid/entry-10510910229.html


じゅうちゃんのブログ

http://ameblo.jp/minimini9674/


7月4日 竹富島にてでいごチャリティー音楽祭

http://ameblo.jp/deigo-aid/entry-10558721569.html


屋嘉比三線の語てぃ遊場ぁ~

http://ameblo.jp/yakabi/


「旅人茶屋」byジャンクトーイさん

http://ameblo.jp/tabibitochaya/entry-10562167102.html