熊日の

樋口了一さんの新聞記事に

「手紙」の歌詞全文が掲載されていて



最初の2行を読んだときから、
涙がポロポロ流れてきました。






年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい







3年前に亡くなったおばあちゃんは

パーキンソン病で体が不自由でした。




もともと父の姉が面倒を見ていましたが

週末だけ我が家で暮らすようになり、

世話のほとんどを母に任せてしまっていた。




大好きなプリンをこぼしたり

手を使ってご飯を食べたり。




歩いている最中、足が動かなくなっては

呼びつけるおばあちゃんが疎ましくて

聞こえないフリをしてしまったこともあります。





東京に移り住み、帰省したときに

おばあちゃんが入院した病院へ

お見舞いに行ったとき

小さな体が、もっと小さくなって丸まっていた。


知らない人たちばかりの大部屋で

体も自由にならないまま。



一歩違いで息を引き取り、最期にさえ立ち会えませんでした。





なんて冷たい孫だろう。




もし「手紙」と出合っていたら、


おばあちゃんに

もっと優しく接したり

いたわりの言葉をかけてあげられただろうか。







両親も

やがて同じ日を迎えるかもしれない。



そのときは、同じ後悔をしないように。