卒業した大学のお世話になった教授が、卒業間際に話した言葉が記憶から離れない。「プラザ合意によって、君たちの未来は大きく変わることになる。」この言葉を聞いたのは1987年の春。ニューヨークのプラザホテルでなされた合意により、日本をめぐる為替レートは大きく変動する。戦後360円だった為替はプラザ合意の頃までに260円まで大きく上昇し、合意の後さらに上がって私が卒業した年の終わりには120円を切った。劇的な為替レートの変動は、その後のバブル崩壊へと向かい、長いデフレへの幕開けであった。
その後円レートとジャパンカップの勝馬を並べると、
1985年 シンボリルドルフ 260円
1986年 ジュピターアイランド 152円
1987年 ルグロリュー 122円
1988年 ペイザバトラー 121円
1989年 ホーリックス 123円
1990年 ベタールースンアップ 125円
1991年 ゴールデンフェザント 125円
1992年 トウカイテイオー 119円
1993年 レガシーワールド 101円
(いずれもドル換算)と、このようになる。
1985年、日本の馬が初めてジャパンカップを勝った年、シンボリルドルフの年の円が260円で、その仔トウカイテイオーがナチュラリズムを破った1992年が119円。レガシーワールド以降の円は高止まりしたままずっと100円前後をさまよい、日本経済は明らかに長く深刻なデフレ時代へと突入したのである。