はなこさんとじょんすみすさんとルパス教 | ☆空飛ぶ もとちくれった 出張所☆

はなこさんとじょんすみすさんとルパス教

あるお嫁さんの話。
国際結婚した女の子がいました。
彼女が結婚した男の人が生まれた国は、ある宗教に属する家庭がとても多く
その男の人も、たぶんにもれずある宗教を信仰する家に生まれました。
彼女をはなこさん、かれをじょんすみすさん、ある宗教をルパス教とします。

結婚して1年経ち、はなこさんのおなかに赤ちゃんが宿り
じょんすみすさんとはなこさんは親になりました。
じょんすみすさんは、父親の経営する会社に入り、他の新入社員と同じ条件で
朝から晩まで働き、ある一面では後継者として挨拶周りや、顔見せに奔走しています。
はなこさんは日本で生まれ育ち、結婚前にかの地へと留学していました。
そこで学生として、じょんすみすさんと出会い、恋に落ちて結婚したのです。

はなこさんはかの地の言葉も日常会話には困らない程度に話せますし、理解もしています。
しかし、じょんすみすさんの出身国は、その留学先ではありませんでした。
じょんすみすさん一家は母国を出てかの地で暮らしている人たちでした。
はなこさんは、かの地の言葉はわかりますが、じょんすみすさんの母国語は全く知りません。
じょんすみすさんと、そのお父さんはかの地の言葉もその他の国の言葉も話せますが
じょんすみすさんのお母さんは生まれた国の言葉、母国語しか話せません。

結婚するための挨拶、そして結婚式や住む場所の相談、じょんすみすさんが
お父さんの会社に入社するかなど、すべてじょんすみすさんが通訳し
はなこさんも交えて話し合いはもたれました。
じょんすみすさんの生まれた国、ゾナハルトでは家族の繋がりが強く
年功序列と言いましょうか、目上のものを敬うことが非常に厳しく根付いています。
昭和初期の日本に少し似ています。

じょんすみすさんもお父さんには絶対に口答えも出来ません。
はなこさんの生まれた地域は男尊女卑と言うととても強い印象を受けますが
そういう意識の根付いた地域でしたから、少々のことではめげないつもりでした。
「嫁とはかくあるべし」
「よくしてくれるのだから我慢すべし」
「思ったこと、相手と違う意見を口にしてはいけない」
「自分さえ我慢すれば上手くゆく」
はなこさんはそう思って沢山のことを我慢します。

我慢とはいえ、二人きりで生活できているので普段はそれほどでもありません。
じょんすみすさんが忙しくて家にいないことを除けば
のんびり生活できるので、寂しいけれど気が楽です。
そうやって暮らしていたはなこさんのお腹にいた赤ちゃんが生まれました。

自分の生まれ育った土地ではない場所で子育てするのは
聞きたいことを聞けず、医療の差も激しく、文化も違い
はなこさんは何も信用できなくなってしまいました。
「立派な髪が生えるように赤ちゃんの頭を剃りなさい」
「おへそのぐじゅぐじゅがあるうちは水にぬらしてはなりません」
はなこさんは日本の友人に確認します。

やっぱり日本の情報じゃないと安心できない。
はなこさんは日に日にそう思ったそうです。
赤ちゃんはすくすくと大きくなり、まもなく100日になります。
100日といえば、日本でもあちこちでお祝いをする風習があります。
ゾナハルトでもお祝いがあり、問題はそこで発生しました。
100日のお祝いを迎えるにあたり、生まれたじょんすみすさんの第1子に
洗礼を受けさせねば、と言われます。

はなこさんは、特にはっきりとした信仰のある家に生まれたわけではなく
どちらかと言えば、交換条件によって救いを与える信仰というものに懐疑的です。
嫌だなぁと思いつつ、嫁とはかくあるべし、があるため何も言えません。
ある日、じょんすみすさんのお母さんがルパス教の立派な人を連れてきました。
「ありがたいお話を聞きましょうね」
はなこさんは内心とてもうんざりし、はっきり言えばお母さんを憎くも思いました。
「でもよくしてもらっているのだし、子供を思ってのことだから」
はなこさんはそう思い、我慢することにしました。

ルパス教の立派な人はとうとうと語ります。
ルパスがどんな素晴らしく、人に潤いを与え、救いを与え、人が愛に満ち溢れるか。
ルパスを信仰できない人が、どんなに可哀相か。
生まれた子をルパスの愛で包むことが親として、人としてのつとめであり
してあげられることの中でも大きな一つなのだと語ります。

時を追うごとに、はなこさんの心に悪意が芽生え、育ちます。
何もかもぶちまけて「帰れ!」と言えたらどんなにいいだろう。
しかしはなこさんは黙ってその日一日を耐えました。

後にはなこさんが語ったことです。

私はルパス教なんて大嫌い。信仰なんて必要ない。
交換条件によってしか人を救わないようなものに祈りをささげるなんで愚の骨頂だ。
お母さんは子供を思ってしてくれた、いつもよくしてもらっている。
それに私は嫁だ。この家に入り、この家族になったのだから私は我慢する。
今日一日私は私を殺した。
ルパスに入るフリをして、自分に嘘をつき笑顔を絶やさず
お母さんのために、子供のために自分を殺した。
それが嫁たるものであり、家族なのだから当然のこと。
言いたいことを言って波風をたてるのは大人のすることじゃない。
うまくやっていくために、私は私を殺したんだ。


はなこさんはそう言って、私に聞きました。
「私の言ってること間違ってる?」
私には私の信念があり、はなこさんの信念とは正反対かもしれません。
しかしはなこさんの信念に基づいて言うならば、黙って主張は語らず、
それが人づきあいの大事なこと、となります。
だとすれば何を答えられようか。

そう答えましたが、はなこさんは今ひとつ意味がわからないようでした。
はなこさんとの会話を終え、私は思います。
こんなにも真逆の真理を持つ人がいる。
人と人が話さずに分かり合うことなどないのではないか。
分かり合うことをしなくてもいい、と
そこから離れて生きていこうと
それを捨てることも、また一つ。
そしてその中で疎まれたとしても、口をあけ、声をあげ伝えるのもまた一つ。
口を閉ざし、心を閉ざし、黙って殺すも、また一つ。
けれど、そのどれを選んだとて、違うものを選んだ人を非難するは愚かなり。


はなこさんはこの先、どうやって殺した自分を取り戻すのでしょう。
もうその日、殺してしまった自分は2度ともどらないのでしょうか。





2005年11月27日(日)PM:2:08に上げた記事です。

この記事を書いたとき、私はたぶんにはなこさんに対しても反発心を持っていました。
はなこさんは、他者から何かを押し付けられたら「自分は」我慢する、ではなく
他者から何かを押し付けられたらみんな我慢するのが正しい、という感じです。
我慢したことを、当事者のいないところで自分の美談として語り、そうではない人を糾弾します。
自分が我慢したことを他者が我慢しないのは、その他者が未熟であり、非常識であると。
そういう人もいるのだ、と気にしなければ良いだけという人もいるでしょう。
でも本当に気にしなければ、それでいいの?
ずっとつかずはなれずにそばにいなければならないとき、人はどうするんだろう。
自分のできないことを他者に求めるのは好きじゃないんだ。