32.ヴラドの里 | 【作品集】蒼色で桃色の水

【作品集】蒼色で桃色の水

季節にあった短編集をアップしていきます。

長編小説「黄昏の娘たち」も…

 百合子達は深山幽谷にあるヴラドの別荘に来ていた。

この山間の里は全てがヴラドのものだった。里の人々の生活を大地主としてできるだけ世話をし、ラドウの手によって家族を殺された人達や仲間にされた者達をこの里に連れて来て人間と共存できるようにしたのだ。地図にも載っていないこの里では自給自足で全てを賄っている。成長した人間の子供達には十分な教育が与えられ社会に出て、その子達が里に必要な物を街から運んでくる。開発の話が持ち上がっても財力とこの里出身の有力者の手で揉み消しここを守って来たのだった。

地図にも載っていない村。

唯一も何れは此処へ連れて来るつもりだったがそれは実現しなかった。ここ数年はヴラドもこの地に訪れる事はなく、それよりも唯一を常に自分の側に置いておきたかったのだった。ヴラドは百合子にこの里の仕組み、身分の変え方、吸血鬼としての食事の仕方など細かく教えていた。百合子は素直な生徒で有り続けた。自分も彼の仲間になることに、この羽化登仙の里に棲む人々を見て何の不安も抱かないようになっていたのだった。このままここで暮らすのもいいヴラドと鴛鴦之契を交わし、母をここなら呼ぶことも出来るだろう。茉莉子もずっと山の中で仙人の様に暮らしたいと言っていた。人間関係が稀薄な都会で生活するよりも四季を感じながらこの豊かな山で暮らす方がいいかもしれない…そう考えるようになっていた。

百合子は日が暮れてヴラドが起きて来たことに気付いて彼の方へ振り返った。長身で痩せた蒼白の貴公子が自分だけを見つめて立っている

「明日の夜。横浜港から船に乗る。そしてアテネで下船し、向こうでチャーターしてある飛行機で我が故郷へと帰る。長く辛い旅になるだろう。そこで君を花嫁にしたい」

百合子は「故郷」と呟いた

「トランシルヴァニアのブラドという土地だ。私の名の土地。そして私も故郷を捨てる。二人で何処か見知らぬ国へ行ってひっそりと暮らしていこう。私達は歴史の傍観者になるんだ」

百合子はヴラドの冷たい手を握ると

「待って。貴方の故郷は私も見たい。その後此処に戻って来ることはできないの?ここはいい処だわ」

ヴラドは黙って首を横に振った

「じゃぁお願いもう少し待って。最後にマコちゃんと…妹と会いたいの。母にもちゃんと別れをしたい」

ヴラドは暖炉の火がパチパチと音を立てるのを眺めながら

「すまない。それは出来ない。次の新月迄に私達は出来るだけこの国から離れなければ…魔女達の思惑にはまってしまう」

「魔女?」

ヴラドはもう隠しても仕方がないと思い百合子に全てをうち明ける事にした

「三人の魔女達は、君達親子三人がギリシアのサントリーニ島のティア遺跡に足を踏み入れた事により長い眠りから目覚めてしまった。三人というよりも茉莉子の力でといってもいいかもしれない…。彼女達は僅かに残っていた魔力で人間を操り君達を追って日本へとやって来た。来たと言っても魔女達は呪いによって石に変えられているから自由に動けるわけでもない。そこで既に此の国に居着いていた私達を誘き出し完全なる不老不死を餌に契約を交わした。君達親子と引き換えに…でも魔女達は誤解していた。遺跡で見た君達親子を自分たちと同じ三姉妹だと思ってしまったんだ。そして、たまたま東京に出ていた異母姉妹の結花子を探し出し君達と再会させた。霊波が似ていたからだろうが…そして次の新月の晩は丁度ワルギルプスの夜と重なる。その日は魔力が増す日で秘密の儀式には丁度いい。儀式で魔女達は君達姉妹と中身だけ入れ替わる。そして私達ヴァンパイアの血と古の魔女の血を混ぜて完全なる不老不死を手にいれると…私達はそれによって血を必要としなくなり昼夜関係なく闊歩出来るようになる。魔女達も像から解放され自由になる。それにミルチャを復活させてくれると…ラドウと私はその話しに乗った。でも私には魔女達を信じる事が出来なかった。自分たちは正統なる神の血を引く女神だという彼女達が…彼女達からは邪心しか感じられなかった。私は君達を奴等の手に渡らせないように動き始めた。それに気付いたラドウは私を幽閉し時は流れて行った。そして、君と出会った夜に私はある少年の手を借りて逃げ出す事が出来た。先ずは茉莉子に近づいたが彼女はサバタリアンだった。私は彼女に近づく事は出来ない。でも少しの間だったが彼女の側に居て茉莉子が魔女達を目覚めさせた事が判った。私が近づけない以上ラドウも同じだから彼女は安心だと思ったと同時にそれではっきりと判った。魔女達は我々との約束など初めから守るつもりなどなかったことがね。結花子の方は君の母親と血が繋がっていない以上魔女の手に落ちても本来の力を発することはないだろう。そして君に辿りついた。私とラドウが完全になる為には君しかない。私達が完全体になれば人を殺さなくても生きていける…でも…君の心に触れた時、自分と同じものを見いだしてしまった。遠い昔まだ太陽の下を家族と共に過ごした日々を思い出してしまった。君とならば夜だけの世界でもいいと思ってしまった。そして私は最愛の弟を裏切る事にした。自分の愛の為に…」

話し終えたヴラドの瞳からは真っ赤な血の涙が流れ落ちていた。

百合子はヴラドの頬に優しく手を添えると

「二人は大丈夫なのね…」ヴラドは百合子を見つめると静かに頷いた

「私が魔女達の器になるわ。そうすれば、この里の人達のように家族を失う哀しみもなくなる。貴方には光の下で暮らして欲しい…」

「何を言っている。君が魔女になったら君の意志はそれこそ石に閉じこめられ、その後魔女達は人間達に何をするかなど判ったものではない」

「その時は兄弟二人力を合わせて私を殺しなさい」

「無理だ。それにラドゥーがそんなこと手伝う筈がない…私には君を殺すことなどできない」

百合子はその言葉でヴラドが自分を吸血鬼の仲間にする気がないことを悟った。彼は自分と共に生き、共に滅びるつもりなんだと

「わかりました。じゃぁ準備しましょう。もう此処へは戻れないんでしょう」

二人は静かな時を過ごした。