今年の4月ぐらいに「アルプスの少女ハイジ」のDVD−BOXを買って、娘と一緒に全話観ました。

 

「アルプスの少女ハイジ」

高畑勲さん演出のもと、宮崎駿さんが場面設定・画面構成、小田部羊一さんがキャラクターデザイン・作画監督で制作に携わったアニメです。

 

小田部羊一さんは、1985年に任天堂へ入ってアニメのノウハウを日本のゲーム業界に持ち込んだ人で、高畑監督の作品では「母をたずねて三千里」や「じゃりン子チエ」にもキャラクターデザイン・作画監督で参加しています。

 
 

僕は高畑監督の作品が好きです。

 

その中でもこの「アルプスの少女ハイジ」が一番好きです。

 

娘のもっちゃんが第1話のハイジと同じ年齢の5歳になったら一緒に観ようと思っていました。

 

2歳ごろから「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」を熱心に観ていた もっちゃん。

 

でも、世界名作劇場(ハイジはこのシリーズには含まれない)のシリーズのアニメは派手なアクションがないせいか、見せても反応があまりよくありませんでした。

 

そこで、物語をちゃんと飲み込める年齢になるまで「アルプスの少女ハイジ」を見せるのは待っていたんです。

 

5歳になったもっちゃんは、同じ年頃の女の子が駆け回るこのアニメをとても気に入ってくれました。

 

次の話を観る前に、前回の話のあらすじを娘に聞くようにしていました。

 

子供なりに思い出しながらあらすじを聞かせてくれた もっちゃん。

 

あらすじを言ってもらうことで、物語が頭の中に残り、作品に込められた何かが伝わるんじゃないかなと考えたんです。

 

あらすじを聞いていると、大人にとって印象深かったシーンと、子供の記憶に強く残っているシーンが違い、もっちゃんが見ている世界が少し見えた気がしておもしろかったです。

 

今回の記事を書くにあたって、買おうと思っていて忘れていた本があったことを思い出したので買ってみました。

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幻の「長くつ下のピッピ」。

 

1971年当時の高畑さん、宮崎さん、小田部さんたちは、リンドグレーンの代表作「長くつ下のピッピ」のアニメ化を構想していたのでした。

 

残念ながら原作者の許諾が得られず、このアニメの企画は立ち消えになったらしいです。

 

当時のイメージボード、キャラクターデザイン、シナリオ案、インタビューなどが本に収められています。

 

この本を見ると、ピッピのアニメ化のための構想が、のちの「パンダコパンダ」や「アルプスの少女ハイジ」などにつながっていったということがわかります。

 

おサルのキャラクターのニルソン氏は「母をたずねて三千里」のアメデオの原型のように見えますし、本の中に「魔女の宅急便」のコリコの町はピッピのロケハンで訪ねたヴィスビーが参考になっていると書かれています。

 

高畑さん、宮崎さん、小田部さんによるピッピのアニメが見たいという思いもありますが、この企画が幻に終わったからあのハイジが生まれたんだと思うと、作品作りの不思議を感じずにはいられません。

 

幻の「長くつ下のピッピ」

 

とても貴重な本だと思います。


 

話をハイジに戻します。

 

「アルプスの少女ハイジ」が放映されたのが1974年。

僕が生まれたのが1976年。

 

当時の大阪では同じアニメが何度も再放送されていたので、僕の世代ではこの作品を見ていなかった人は少ないはずです。

 

僕より5つぐらい下の世代になると、けっこう見ていないという人も多いようです。

 

ちなみに嫁さんのまーにゃんは僕と同じ世代で、見たことはあったらしいですけど、内容はほとんど知らないレベルでした。

 

まーにゃんいわく、富山(まーにゃんの生まれ故郷)では、当時テレビのチャンネル数が3つぐらいしかなかったのでアニメ自体そんなに放送されておらず、記憶に残っているのは「スプーンおばさん」ぐらいであるとのこと。

これに関しては まーにゃんがそうだっただけで、同じ富山(滑川)の人でも、いやいやいや!同じ世代だけどハイジ何度も見たよ!って方もいるかもしれません。

 

とにかく、最近の若い世代でこの「アルプスの少女ハイジ」を見たことがないという人は多いということで間違いないようなんです。

 

僕が大好きなこの作品「アルプスの少女ハイジ」は、才能を持ったクリエイターたちが集い、子供たちのことを真面目に考えて作った日本のアニメ史に残る名作です。

 

まだ観ていないという人には、ぜひ観てほしいです。

 

できれば、大切な人と一緒に。

 

アルプスの少女ハイジ リマスターDVD-BOX