鮨 水谷 【寿司・銀座】 | ちこの暇つぶし

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2015年10月1日からアメンバー限定記事を交えて更新しています。
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心からの感謝の意を込めて。


*鮨 水谷*


「10月でお店を閉めることにしました。定年です。」
今年の5月、至極の握りをたっぷり堪能し、翌月の予約をお願いしようとした時、水谷さんからこう告げられました。
1ミリたりとも予想していなかったその言葉を耳にした瞬間、私の頭の中はプチパニック状態になり、「あと5回しか水谷さんの握りを食べられない。」という現実をすぐには受け入れることができませんでした。
(今月は月初と月末に2回お邪魔させていただいたため、結果的には6月から5回ではなく6回訪問したことになります。)

15歳でこの道に入られた水谷さんももうすぐ70歳。
「小学生の頃から立ちっぱなしだからいい加減疲れたよ(笑)」と、冗談で仰っていましたが、毎朝欠かさず築地へ行き、昼と夜の営業をこなされていらしたのですから、ハードな日々を送られていたことは想像に難くありません。
(数年前には大きな手術も受けられていますし。)
ただ、私自身、今後これほどの握りと出会えることはないのではないかと思うほど、水谷さんの握りに心底惚れ込んでいたこともあり、水谷さんの引退はまさに青天の霹靂でした。
(心のどこかで、「次郎さんが現役でやっていらっしゃる間は、水谷さんも引退されないだろう。」と勝手に思っていたところもありましたので。)

極上の鮨だねであれば、赤坂の【鮨 はしぐち】さんや銀座の【さわ田】さんでもいただくことができますが、斜里の美味しさに衝撃を受け、「本当に美味しいものを口にした時、人は無言になる」という言葉を身をもって実感した握りは、今のところ水谷さんの握りだけです。
水谷さんの握りをいただいた夜は、その余韻に出来る限り浸っていたいがため、どこにも寄らず直帰し、その日いただいた握りについて主人と何度となく会話を交わし、水谷さんの握りを今月も食せた喜びを共有。
水谷さんに伺った日は、私たちにとってこの上ない口福DAYでした。

基本的に鮨だねの説明はありませんし、黙っていると強面なこともあり、「愛想がない」、「気難しい」などと誤解されることもある水谷さんですが、実はとてもお話好きで、冗談を交えた会話で毎回涙目になってしまうほど笑わせていただいていましたし、無知な私が間抜けな質問をしても嘲笑することなく、いつも誠実に答えてくださいました。
私にとって水谷さんは、裏表のないとても優しい方という印象しかありません。
常に笑顔で迎えて下さる温和な女将さん、若さ溢れるイケメンのお弟子さん(だいちゃん)、”大人の社交場”に相応しい客層と会話と佇まい。
私は【鮨 水谷】の全てが大好きで、大ファンでした。

もう二度とあの場所であの握りをいただくことが出来ないかと思うと、悲しくて辛くて心が苦しいです。
しかし、それほど長い間ではなかったものの、水谷さんの握りを毎月いただくことができたことは、私にとってもの凄く大きな財産であり、かけがえのない思い出として舌に一生残ると思います。

水谷さん、絶対に忘れたくない忘れられない世界一のお鮨を、どうもありがとうございました。
またどこかでお会いできることを楽しみにしています。
画像の小鰭は、最後だからと我儘を言って追加したものを1枚だけ撮らせていただきました。


鮨 水谷

住 所:東京都中央区銀座8-7-7 JUNOビル9F



*ひとりごと*
読者さまの中には覚えていらっしゃる方もおられるかと思いますが、今年の8月に私が約5年ぶりに食べログに口コミを投稿し、食べログサポートから「規約に反する」と何度となく下書きに戻されても意地で投稿した札幌の鮨屋【鮨一幸】さんの記事  
 その中で登場した”私が日本で一番好きな握りを出す鮨屋(以下A店)”というのが、実はこちらの水谷さんのことでした。
 10月でお店を閉めることについて、水谷さんや女将さんから口止めされていた訳では決してありませんが、閉店することが公になると一見さんや海外からの観光客が殺到し(元ミシュラン三つ星、現二つ星ゆえ)、お店に迷惑がかかる可能性が高くなります。
 そして、そうなると必然的に自分たちの予約も取りにくくなるということで、この件は他言しないのが常連の間では暗黙のルールになっていた気がします。
 (そもそも目立ちたがり屋の食べログレビュアーやブロガーとは違い、知り得た情報を無駄に拡散するような方は、こちらの常連さまにはいらっしゃらないかと。)
 そんな中、水谷さんと殆ど交流のない鮨一幸のご主人が、「築地の移転に伴い、あの水谷閉店ですよ閉店。水谷が・・・」と、カウンター7席中5人が一見客という状況下で得意げに話されたのですから、いくら普通の人より沸点が低いとは言え、私の頭の中で何かがプツンと切れ、人生で二度目の途中退出をしようかと本気で考えた次第です。
 今思い出しても、あの言い方&発言は許すことができません。
 本当に不快極まりない出来事でした。