「松山千春との37年間・彼が純粋に心で歌うなら、僕も純粋さを取り戻し、より心で聞こう~その10」3362-10/R
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◇更新履歴
V1.0:2015.11.5 初稿
■「松山千春の歌唱力その3(90年代)の続き」
その9 http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12089194005.html
からの続きです。
9-3.-1 90年秋「男達の唄」~93年「人間らしく」
松山千春、34歳から44歳。
前項に示した喉の不調が歌声に表れるようになった90年代。
「純-愛する者たちへ-」や「時計」など。
成熟し始めた歌唱力の一方で、
90年代に入ると、体力的な不安はないものの、
体調・コンディションとの戦い、コントロールを強いられ始めた時期とも思える。
一曲、一曲、振り絞るように歌ってきた80年代。
自身の声量に声帯が耐えられなくなってきたのもこの時期。
若さと気迫だけではカバーしきれなくなっていのだろう。
90年秋。
選曲や構成の淡々さに加え、
MCが長くなり曲数が減ったというもあり、
今までの千春のステージとは違うと、
自分も含め周囲も違和感を抱いた。
今、思えば年相応のステージを意識していたのだろうが、
どこか伝わらない。
自分にとって3度ある初めての反抗期だった。
それまで熱心にステージに足を運んでいた、
一部の仲間たちの熱が冷めていったのもこのツアーである。
しかし、翌年の1991年のツアーは、
ステージ構成、カラー、曲数も以前に戻り、
演奏時間も賞味3時間近くのステージも出てきた。
特に、夏のディナーショーの圧巻なステージ、熱唱を目の当たりにしたときは、
90年秋に感じた違和感はなんだったんだと思うほどだった。
今思えば、無理していたのだと思う。
千春も自覚はなかったというが、
無意識ではあるが自身の身体の異変に気づいていたのだろう。
16年目、92年のコンサートは、
春は行わずに秋からやろうと自ら口にしたという。
その年の2月、体調に異変が生じ、入退院を余儀なくされる。
検査の結果、自律神経失調症と診断された。
夏のイベントで復帰、
当時、最大規模となるツアーに出る。
千春の歌声。ステージの質感は、
91年のそれとは明らかに違っていた。
この時期の千春は、
傍目から見ても体調が優れないと分かるほどだったという。
その体調不良は数年続いていたのだろうと思う。
92年秋や93年秋のアンコールで、
「松山千春ヒット曲集」を片手にワンコーラスながらも、
10曲近くリクエストに応えながら、歌ったのも、
万全な体調で歌えない表れと、精一杯の誠意だったように、
今ならそう思えてならない。
その11http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12092269450.html に続きます。
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