「松山千春との37年間・松山千春は変わらず純粋な心で歌う~彼が純粋に心で歌うなら、僕も純粋さを取り戻し、より心で聞こう~その2」3362-2/R
松山千春データベースのトップページはこちらから↓
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11566903514.html
アーティスト別ライブデータベースのトップページはこちらから↓
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11751243418.html
◇更新履歴
V1.0:2015.10.23 初稿
V1.1:2015.10.26 タイトルの変更
■「偶然が奇跡の瞬間と思えたきっかけ」
その1http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12087130314.html からの続きです。
松山千春は、アマチュアのころから、
自分のルーツ・原点は家族、足寄にある。
そんな故郷を離れず、
生活を楽しみながら生活に密着した唄を歌っていきたい。
と語っている。
尚且つ、それを理想にとどまらず現実とした。
そのこと自体が凄いことで、
今の千春があるのは、
その信念が揺らぐこともなく信じ続けられたことにある。
そのことに、
自分が気づいたのはずっと後のこと。
小学生だった自分には、「旅立ち(1977)」も、「時のいたずら('77)」、「青春('78)」も、iニューミュージックと呼ばれるヒット曲のひとつに過ぎなかった。
アリス「帰らざる日々('76)」や、さだまさし「雨やどり('77)」、中島みゆき「わかれうた('77)」、矢沢永吉「時間よ止まれ('78)」などの歌と変らなかった。
ラジオのランキング番組を聴きあさっていた自分だが、
松山千春とほかの歌手との差別化ができたのは1978年11月16日。
「ザ・ベストテン」での松山千春を見てから。
テレビで語りかけている。
そのこと自体が稀であり、
テレビに出てテレビに出ない理由を云っている。
一枚20円のはがきも馬鹿にならないもんな。
ありがとうと、云いながら、テレビに出るのは最後だと思ってほしい。
自分の歌を聞きたいのであれば、コンサートに来てくれと云っている。
優しいんだか、冷たいんだか分からない。
でも、なんか、この人、凄いな。
今だから、整理された思いをかけるが、
千春の真意はほとんど理解していなかったと思う。
ただ、子供ながらに真摯さは伝わった。
そこからです。
松山千春に興味を抱いたのは。
以後、シングルよりもアルバム、そしてラジオ、コンサートだと思った。
平行して、ヒットチャートの流行歌ばかりのランキング番組でなく、オリコンのレコード売り上げに注目するようになった。
月刊誌「平凡」や「明星」よりも、「ギターブック」、「新譜ジャーナル」へ。
ここが、自分の松山千春のファンの始まり。
音楽の聴き方が一変したスターティングポイントだったわけです。
あの旭川からの生中継がなかったら、
そのスタートに、もっと時間がかかったと思う。
その後、すぐに訪れるかけがえない瞬間を見逃すところだった。
そう思うと、
意義のあるテレビ出演は決して悪いことではないと思うのです。
ああ、簡潔に振り返るつもりでしたが、
先が思いやられます。
自分自身を振り返るということで勘弁してください。
その3http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-12087326802.html に続きます。
■↓現在、以下の検索ランキングにエントリーしています。
よかったら、アクセスして頂けると嬉しいです。
一日一回、ライキングポイントが加算されます。
にほんブログ村
アーティスト・グループ(音楽) ブログランキングへ
ブログランキング&成分解析
http://blogram.jp/users/analyze/?uid=138678
---------------------