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◇更新履歴
V1.0:2015.10.16 初稿
■ 「華(HANA)」 編曲者:戸塚修
1986年4月25日リリースの21枚目のアナログシングル「野良犬」のB面。
◆レコーディングミュージシャン(後日、追記)
01. ベース:
02. ドラムス:
03. ギター(AG):
04. ギター(EG):
05. トランペット:
06. トロンボーン:
07. ティナー・サックス:
08. コンガ:
09. プログラミング:
10 キーボード:
◆夢野旅人 2015.10.16
この曲が収録されているシングルコレクションアルバム『起承転結Ⅳ』。
初回版には、評論家の前田祥丈氏がライナーノーツを寄せている。
その中で、「華(HANA)」について、
松山千春が得意としているシャンソン風の曲。
ゆったりとした歌い方だが、久々に(シングルの中で)千春の艶のあるヴォーカルがフルスケールで響き、聞き手を巻き込み圧倒していくと解説している。
シャンソンとは、日本ではフランスの歌謡曲を総称して使われてるらしい。
シャンソンか。
プロは、そう解説するのか。
と、思いましたよ。
自分に言わせれは、曲の仕上がりはどうであれ、ど演歌である。
1980年代前半、松山千春は演歌とポップスの融合と称されてきた。
当時、楽曲に漂うフォーク色は、
千春の思いとは裏腹に関西フォークよりも抒情派フォークが色濃く、
世間ではそう認識されていた。
関西フォーク色の強い曲は、「君がいる 僕がいる」、「おいら」など当時もあった。
ただ、それらの曲は、
当時、トップアーティストセールスを誇っていた「松山千春」の状況にそぐわないとスタッフは判断していたように思う。
歌い続ける、叫び続けることによって、
松山千春は、関西フォークを引き継き、聞くものに唯一無二のフォークシンガーだと認められたように思う。
関西フォークよりも、前に色濃くでたもの。
それは演歌。
1982年の「はまなす」http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11728595929.html が最初だと自分は思う。
今聞けば、松山千春のフォークソングの代表格となのだが、
「長い夜」のインパクトがまだまだ効いていた、
あの時代、中高生の自分には、演歌としか思えなかった。
ただ、松山千春の音楽のルーツはフォークソングであるが、
松山千春の人生において、最初の音楽の出会いは、演歌・歌謡曲である。
貧乏だった幼少期。
足寄で、母さんたちが花札をやっている横で、村田英雄の「人生劇場」が流れている中で、ラーメンを食べていた。
ガキのころの母さんとの思い出といったら、それくらいしかない。
ある意味、俺のルーツは、村田英雄の「人生劇場」。
と、話しているが、
片田舎で流れてくる音楽は演歌・歌謡曲だったのだろう。
それらの音楽が、後に千春の音楽に影響を及ぼさないはすがない。
ゆえに、博多や東京といった大都市で、
ビートルズやストーンズに影響されたシンガーソングライターたちとは、音楽観が大きく違う。
結果、音楽を難しく考えない。
そこに行き着くのです。
演歌とポップスの融合というよりも、
演歌と関西フォークが核であり、
その時代の音をスパイス程度に取り入れたのが松山千春のフォークソングといったほうがわかり易い。
生まれてこなければ、
こんな哀しい思いも知らずにすんだと泣いてすがるお前。
けれどお前は、華。
二人は、生きているからこそ華。
だから、明日を信じて、泣くがいい。
涙かれる朝が来るまで。
と解釈した 「華(HANA)」。
これらの演歌ラインの曲を聞くと、そう思うのです。
この曲もステージでは演奏されていないと思います。
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