「松山千春 『春夏秋冬(カバー)』に思うこと~松山千春 全作品解説259~」S2957/R


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◇更新履歴

V1.0:2015.5.7 初稿


■ 「春夏秋冬」 作詞・作曲:泉谷しげる 編曲者:飛澤宏元(オリジナルは加藤和彦・木田高介)

2006年5月31日発売のカヴァー&リテイクアルバム『再生』のDISK1 の6曲目。


*オリジナルアーティスト:泉谷しげる 

1972年4月25日のファーストオリジナルアルバム『春・夏・秋・冬』の7曲目(全13曲)。

1972年9月25日のリリースの泉谷しげる 2枚目のシングル(ライブヴァージョン)。


◆レコーディングミュージシャン (後日、追記)
01. ドラム:
02. ギター(AG):
03. ギター(EG):
04. ベース:
05. キーボード:


◆2015.5.7 夢野旅人

はるなつあきふゆと、読む松山千春作詞作曲のオリジナル「春夏秋冬」http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11986326249.html

こちらは、しゅんかしゅうとうと読む泉谷しげるのカバー。


泉谷しげる。

1948年5月11日 東京都生まれ 66歳。

松山千春の7歳年上となる(松山千春・年齢早見表http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11993984346.html )。


メジャーデビューは1971年11月20日。

エレックレコードからリリースされた実況録音盤の『泉谷しげる登場』。

千春が、15歳、高校一年の秋である。


エレックレコードとは、インディーズレーベルの先駆けで1969年に設立。

URCレコード、ベルウッドレコードとともにフォーク創世記の3大レーベルのうちのひとつ。


エレックには、70年にデビューして瞬く間にビックスターとなっていた吉田拓郎がいた。

その拓郎が、泉谷のデビューと同じ日にアルバム『人間なんて』のリリースを最後に移籍。


エリックにとって拓郎というスターがいなくなってしまうかとは大きな痛手だった。

そこで、次代のスターとなる人材を探した。

渋谷のライブハウス、青い鳥やジャンジャンなどに出演していた若手の中から、引っ張ってきたのが、古井戸や、ピピ&コット、そして泉谷しげるだという。


エリックとしては、一刻も早くスターを作りたい。

その中で、泉谷しげるがひとつ抜け出ていたという。

無名の彼を、「新婦ジャーナル」など音楽雑誌やラジオの深夜放送を使って急速に売り出した。

またエリック主催、関連のライブのほとんどに彼を出演させ、デビュー前には、ワンマンコンサートも開催。 その実況録音がデビューアルバムとなった。


エリックの大プッシュにより、72年にはフォーク界でのスターの仲間入りを果たしたという(なぎら健壱著 『日本フォーク私的大全』より、抜粋)。


千春が高校生の時。

泉谷はデビューし、すぐにフォーク界のスターとなっていた。


なぎら健壱と泉谷との初共演は1972年1月9日 新宿厚生年金会館小ホールでのジョイントコンサート。 そのときが、泉谷が大舞台で「春夏秋冬」を歌った最初ではないかと、先の著書に記されている。


そして、「春夏秋冬」は、1972年4月25日のトオリジナルアルバム『春・夏・秋・冬』で発表し、9月25日にシングルでリリース。 大ヒットとなり泉谷の代表曲となった。


その曲を松山千春が30周年を機にカバーした。

岡林信康の「私たちの望むものは」は、オリジナルの歌詞すべてを歌っていないが、この曲はオリジナルのサイズである。


貧乏な家で育った自分に、

「人生とは」と音楽で、投げかけてくれたのが、岡林信康であり、「人生はこうあるべきではないか」と歌ってくれたのが、加川良。


千春に多大な影響を与えたのは両者であるが、

泉谷しげるも、高校生の多感な時期に聞いた彼の音楽のルーツのひとつなのだろう。


余談だが、泉谷しげるの楽曲をカバーするのであれば、

ライブで弾き語りや、バンドのフルコーラス歌っていた泉谷の4枚目のシングル「眠れない夜」(1974)だろうと思っていたが、「春夏秋冬」と知り、自分としては意外でした。


それこそ、余談だけど、

泉谷しげるのライブは、ワンマンで5回ほど、ジョイントや飛び入りゲストを併せすると10回ほど見ている。 初期のころはフォークを感じるが、自分が見た印象はロックにシンガーだった。 PAも、佐野元春以上に音が馬鹿でかくて、終演後、耳がキンキンしていた。

役者の活動が目立つようになっていたが、現役シンガーだった。


そして、「春夏秋冬」よりも、「眠れない夜」のほうがライブ映えしていて好きだった。

自分としては、千春には「眠れない夜」をカバーしてもらいたかったです。


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