「松山千春 『SHINING -シャイニング-』に思うこと~松山千春 全作品解説60~」S2211/R


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■ 「SHINING -シャイニング-」 編曲者...戸塚修

1986年5月10日発売のアルバム『あなたが僕を捜す時』のA面2曲目(CD2曲目/全10曲)。


□2014.3.19 夢野旅人

タイトルに「俺」という言葉が初めて使われた 「俺とお前のブルース」http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11799058012.html


初めて歌詞に「俺」という一人称の代名詞が使われたのがこの 「SHINING -シャイニング-」だと思う。 それまでは「僕」と「おいら」。 デビューから10年目のことである。


~踊り好きなあいつのこと きっと今夜もDISCOだろう~


DISCO。

いまや死語となった感のあるディスコ。

1970年後半から1994年前半までディスコブームは続いた。


Wikipediaによると、


1975年から1979年までを第一次ディスコブーム、
1981年から1984年までをサーファーディスコブーム、
1985年から1988年までを第二次ディスコブーム、

1988年から1991年までをウォーターフロントブームというらしい。

1978年、ジョン・トラボルタ主演の映画 「サタデー・ナイト・フィーバー」が大ヒットしたことにより新宿や渋谷、上野、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業した第一次ディスコブーム。


松山千春の「季節の中で」が大ヒットした年。


自分はまだ少年で、ツッパリの同級生や先輩なんかは新宿の「ツバキハウス」や「ニューヨーク・ニューヨーク」に行っただの、行きたいと話していたがまったく興味がなかった。

新宿歌舞伎町に対する恐怖心のほうが強かった。

サーファーディスコブーム。

この時期のディスコブームを象徴するのが、東京・六本木スクエアビル。

松山千春がメインパーソナリティーを務めた深夜テレビ番組「ハロー!ミッドナイト(HELLO! MIDNIGHT)」の観覧後によく行った。


始発の地下鉄が走り出すまでの暇つぶしだったが、友人たちはナンパが目的だったみたい。

しかし金のないガキどもに振り向く女子などいなかった。


第二次ディスコブームとウォーターフロントブーム。

ワンレングス、ボティコン。

東京麻布十番「マハラジャ」、東京六本木「トゥーリア」。

そしてバブル経済。

飯だけの男友達をメッシー、送り向かいだけの男友達をアッシーなどといった。

このころ。

幼馴染の一茂が自衛隊を脱走して逃げてきた。

何十年ぶりかの東京。

見るもの全てに目を輝かしていた。

矢沢永吉やBOØWY、渡辺美里、井上陽水、HOUND DOGなどのコンサートを見終わって彼がいう。

「すげーよ、旅ちゃん。矢沢永吉やBOØWYのチケットってなかなか取れないって聞いたよ。 それもあんないい席で感動だよ。自衛隊のつらいころを思い出して泣いちゃったよ。 ありかとう、旅ちゃん


決して知的なタイプではなかったが素直でいいやつだった。


そのあと決まって彼はこういった。

「旅ちゃん。 ディスコ行こうぜ。 女ナンパしょうぜ」


さすがにその頃になるとバイトなどの小銭はあったから金の心配はない。

コンプレックスはいいたいことをいえない内気な性格だけ。

成り行きで彼についていく。

店内を見渡して彼がいう。

「あの娘たち、どう」

返事を待たずして、彼は声をかけに行く。

自衛隊で鍛えたせいか体格がよかった

ルックスも精悍で百発百中だった。

ただ話すとボロが出たけど。

そんなこんなで、この時期はよく六本木、渋谷に行ったいた。

あれ、なんの話だったっけ。

そうそう。

松山千春の「SHINING -シャイニング-」。

リリースが1986年5月10日だから、バブル経済の兆しが見え出したころ。

まだ、送り迎えだけの男友達・アッシーという言葉はない。

でも、今改めて歌詞を確認すると、

~派手な服着て 出掛けたから 気を付けなよ 俺の彼女~


俺の彼女というていをとっているが、


~踊ることに 疲れたなら すぐに電話を掛けておいで

テレビもじきに 終わるころさ 迎えにいくよ 俺の彼女~

これさ、男は彼女と思っているかも知れないけけど、彼女にとってはアッシーだったんじゃないかと。 これは時代を先取りしたアッシーソングではないかと。


すみません。

もとい。


この曲を初めて聴いたのは1986年4月27日。

FM東京の「パワーステーション~松山千春公開録音~」。

このころのライブのアンコールは、怒涛のアップテンポの雨あられで大盛り上がり。

アップテンポのナンバーであるこの曲を頭に叩き込んで、ツアーの初日である5月10日の日比谷野外音楽堂に友人のテツと出かけました。

本編での「SHINING-シャイニング-」の演奏が終わった直後。

テツがいった。

「なんでアップテンポのナンバーなのに、客は盛り上がんないだ」と。


「だって、今日発売だからさ。 無理だよ」というと、「あっそうか、今日発売だもんな」と妙に納得した彼との会話がとても懐かしいです。


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