お小遣い3万バーツなので、働く気がありません | 女社長のバンコク奮闘記

女社長のバンコク奮闘記

2001年2月、25歳の時にタイ・バンコクで翻訳会社、通訳者派遣会社を起業した女社長の奮闘記。

本日のタイトルは

 

お小遣い3万バーツなので、

働く気がありません

 

 

この話しは夫の会社での話です。

もう10年以上も前の話でしょうか...

 

 

当時の副社長はタイ人女性のAさん。

この方はシングルマザーでした。

 

1983年の会社の立上げから

二人三脚で一緒に仕事をしてきた人で

苦楽をともにしてきた方です。

 

今でこそ数百人もの社員さんがいますが

当時は数人程度...

 

営業、配送、経理など

1人で何役もこなしていたそうです。

 

面白いくらい忙しく

会社に寝泊りする事も多々あり

このAさんも同様だったそうです。

 

 

このAさんが夫の会社に入社したのは

Aさんのお子さんが小学生の時...

 

仕事が忙しすぎて面倒を見られないので

 

 

ご飯はこのお金で買って食べて。

 

学校が終わったら

帰りはタクシーに乗りなさい。

 

おやつ代は○○バーツね。

 

 

母親として子供を不憫に思ったのか

Aさんはお子さんに

たくさんのお小遣いを上げていました。

 

 

月日は流れ...

 

大学生になると

お小遣いの額は増えていきました。

 

その金額が3万バーツだったそうです。

 

 

当時の大卒の初任給が

1万バーツ前後だったことを考えると

かなりの高額なお小遣いをもらっていました。

 

 

大学を卒業する頃になると

就職をしなければいけないと思うのですが

ことごとく採用試験に落ちてしまったそうです。

 

 

そして夫の会社に入社してきました...

 

 

上司から仕事の指導を受けるたび

内線電話で副社長である母親に

 

ママ~~~~!!!!!

えーんえーんえーんえーんえーん

 

 

ホント、困ったチャンだったそうです。

 

そして最後は...

 

 

給料1万バーツで、

なんでこんなことを

言われなければならないの!ムキー

 

ママからのお小遣いは3万バーツだった!

こんな仕事、バカらしくてやってらんない!

帰るっっ!ムキー

 

 

 

会社を辞めちゃったそうです...

 

 

その後...

外資系企業に勤務する男性と結婚したのですが...

 

結婚した瞬間、

旦那さんは会社を辞めてしまったそうです...

 

 

娘+旦那で

Aさんのサポートと称して

パラサイト生活が始まったそうです。

 

 

自分たちが働くより

ママから生活費をもらったほうが

たくさんもらえるので

そうなってしまったんでしょう...

 

 

A副社長は、

数年後に家庭の事情で

会社を辞めてしまったので

現在、どうしているのかは分りません...

 

ちなみにA副社長の

当時の待遇は・・・

月給30万バーツ+社有車(ベンツ)でした。


 

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(さて、これは何でしょうか?
マッサージ棒なんです) 

 

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