経済成長の理解 | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から。

 

第2章は、1925年の年収六万ドルの生活と、現在の年収六万ドルの生活のどちらがよいかという話で始まる。戦国時代のお姫様より、現代の庶民の方がいいという話があるが、それと同じで現代を選ぶ人が多いらしい。著者はこれを、P26『経済成長が重視される理由』を教えてくれると言っているが、この例が示すのは経済成長と言うより社会の進歩であろう。格差があっても、全体のパイが大きくなった今の方がいいという詭弁が見え隠れして気に入らない。格差と成長は、一部の経済学者が主張しているようなトレードオフの関係にあるわけではない(実証研究で全く逆の結果が最近出ている)。

ただ、経済成長自体が好ましいということに関しては、私も当然のように賛成である。

 

次に、著者は年間成長率数%が続けば、10年後、20年後にはどのくらい大きくなっているか、計算して見せている。もちろんそれは当たり前に正しいのだが、第1章でGDPに限界があるという話は既に忘れてしまったようだ。また、物価の上がり下がりを正確に判断するのはたいへん難しい。上がるものもあれば下がるものもあるだけでなく、質の向上が価格に反映されないことも少なくないだろう。

 

途上国が経済成長で先進国に追い付くことができるのかという議論はたいへん面白い。P30『ほかの国が苦労して築いてきた技術や知識を、そのまま利用できる』(キャッチアップ効果)から、追いついていくはずなのに、現実はさらに差が開いているとのことだ。

普通に考えて、キャッチアップ効果が疑わしいのは、すぐに気付くだろう。例えばフランスは日本に対して原子力の肝心な部分を秘密にしていたりする。日本だって技術流出をいかに防ぐかがよく話題になっているだろう。

技術や知識は、現地の安い労働力を使うこと等の見返りに、資本とともに入ってくるものだ。搾取とも表現できるかもしれないが、見方を変えればキャッチアップの代価を払っているとも言えるだろう。インドにとって大昔に英国が入ってきたのはよかったのかどうかという議論を昔したことがあるが、代価が適正かということが重要なポイントだろう。つまり双方の国の関係性が大きく関係してくる。

グローバル化が途上国の貧困を生むという主張にわざわざ段落をもうけて否定しているところは胡散臭い。グローバル化がよかった例として日本や中国、インドをあげているが、日本は既に技術において高い水準にあったし(自己の開発力も高い)、高度成長期の中国やインドには軍事力を伴った強かな交渉力があった。

 

生産性の向上に関する3つの原動力の説明は、生産関数で通常説明されている内容と異なっている。P33『「物的資本の増加」(仕事で使える設備が多くなる)と、「人的資本の向上」(働き手の教育・経験レベルが高くなる)、「技術の進歩」(より効率的に生産できる)』の3つと説明されている。これは一般的な経済学において、資本をどれだけ投入するか(お金の使用)、労働力をどれだけ投入するか(量の増加)、そしてそれ以外が技術や仕組みの進歩(TFP)と分けられているのと若干違う。ただ大凡似通った枠組みで生産性を考えているのは確かだろう。

ちなみにTFPはかなり怪しげな概念である。TFPは、「TFP上昇率    =(生産の伸び率)-(資本分配率)×(稼動資本ストックの伸び率)-(労働分配率)×(総労働投入の伸び率)」というで表せるが、日本の経済成長率の要因分解率を年代ごとにあらわすと、TFPは技術や仕組みの進歩とは思えない不合理な値(負になるわけはない)、変動を示しており、現実的な概念であることは大きな疑問である。

 

この章の最後で、生産性上昇率の低迷こそアメリカに深刻なダメージを与えたということが書かれている。前の部分と合わせて考えると、3つの原動力のどれかに問題があっておこることであると勘違いしてしまうかもしれない。しかしそれは大きな間違いである。生産能力は必ずしも最大限いかすことはできない(現実ではむしろ、常に大きく下回っている)という現実を忘れているのだ。成長は常に(長期であろうが短期であろうが関係なく)、有効需要と需要飽和による抑制がかかっているという事実を認識する必要があるだろう。