成長率と金利 | 秋山のブログ

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エーベルの話で調べていたら、成長率金利戦争の実際の討論の文章 を見つけた。
検討してみよう。

まず、竹中氏の発言に、前回こきおろしたマンキュー先生の論文が出てくる。マンキュー先生の論文の趣旨はともかく指摘している事実関係は興味深い。
『過去120 年の場合も、70 年の場合も、50 年の場合も、いずれも成長率が国債金利を上回っている』である。
竹中氏はその後も、日本やその他の国での他の統計でも名目成長率が名目金利を上回っている事実を指摘している。

次に理論的なことについて言及している。
『経済成長理論において、いわゆる長期均衡の定常状態では名目金利が名目成長率を上回るということ。しかし、重要なのは、この際の金利というのは、民間の金利であって、いわゆる国債金利ではない。民間の金利より国債金利の方が低いわけだから、この長期の理論をそのまま国債の金利と成長率に当てはめるのは間違っている。少なくとも私の知る限り、いわゆる成長理論から名目成長率と名目国債金利の関係について確立された考え方はない』
『名目成長率を高く、国債金利を低く保つための施策、これこそがこの諮問会議で集中的に議論されるべき問題』

以前竹中氏を新自由主義カルトだと思っていたが、全然そんなことはない。かなり正しい経済学者だと思う。

これに対し吉川氏は、こんなことを言っている。
『繰り返し話しているとおり、「官から民へ」ということは、マーケットを尊重することであり、まさか規制金利の時代に戻ろうということはないはずであって、そうなると、自由市場で決まる金利』
やれやれである。
(他にも、民間のシンジケートだったので日本は金利が低かったと主張しているが、民間シンジケートよりも今の制度の方が低い金利にできるのでそうなっているという話がある)

蛇足だが、最後の小泉氏のまとめで、小泉氏が全然分っていないことがよく分る。

さて、考察。
金利に上乗せされているリスクプレミアムであるが、本当に正しいのかどうか誰にも分らない。それが正しいとしても、何十年の長きにわたり、いろいろたくさん投資して、そのうちのどれかがきちんと破綻して、やっと正しいものとなる性質のものだ。実質的には、投資の利益に他ならないだろう。本当のリスクとリスクプレミアムの差が投機の儲け所と言えるかもしれない。
利息が存在するということは、その利息を支払うための財源が必要なはずである。成長が必要ということであるが、生産効率の著しい改善も画期的な新製品も利息を払うための財源としては役に立たない。既存の製品に取って代わるだけだったり、増えた製品と消費の分単価が下がっていたり、生活における出費の割合が変化するだけで、お金で平均すればほとんど変化がないだろうから。
景気の変化で総生産はあがるが、これは高い状態に持っていって保つことができること(理想でありこれができればほとんど全てまるくおさまるが)が限界で、永遠に上がりつづけることはできないので、利息の財源としては永続性はない。
結局、利息の財源は、インフレか人口増しかないだろう。
名目でない実質金利を考える場合、人口増しかその財源はない。そもそも実質金利が存在すると言うことは、もともと資産を持っている人間とそうでない人間の格差が広がると言うことである上に、人口増以上に利息を取るということはさらにその格差を広げるということだ。(さらには需要が原因の不況にもなる)
つまりは成長率は、利子率を上回るものなのかどうかというより、絶対に上回らせなくてはいけない。そうでなければ経済はまわらないということだ。そして長期的には経済がそれなりに立ちいっているということが、マンキュー先生の示す実証でもあるのだろう。
(動学的効率性の概念においても、定常状態では人口増加による一人当たり資本の低下を補う形で資本の増加=利息がある)