こんにちは。千葉です。
今日は午後に時間を作ってとある美術館に行ってきました。が、その話はまた明日にでも。


本日のマーラー、こちらの録音を聴きました。

Mahler: Symphony No 3/Kirill Moscow Po
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キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、交響曲第三番です。独唱はヴァレンティーナ・レフコ、1961年の録音です。なんというか、晴れて気温が上がるとこの曲になってしまうようです、ワタクシ。あははははは…


コンドラシンは、ショスタコーヴィチとの関係もあってかソヴィエトの指揮者の中でもかなりマーラーを積極的に取り上げています、というのは以前にも書いていますね。マーラーの作品にイメージされる頽廃や爛熟の気配はないけれど、非常に意志的な彼のアプローチはなかなか説得的なのです。

とは言いながら、ここまで聴いてきたのは声楽なしの交響曲のみ。とはいえ、宗教的な理由かそれともロシア語歌唱の故にか第二、第八の二曲は録音がありませんから、この作品と第四番だけが声楽つき作品となります。
1961年の録音ではロシア語での録音のみ、ドイツ語による第四、第五楽章は1975年に別途録音されています。


データ周りはこのくらいにして、そろそろ演奏の方にいきましょう。
器楽のみの楽章は、例によってブレのないドライヴでずんずん進められるのがたまりません。第一楽章はちっとも長く感じないし、第二楽章は可憐なイメージよりもその形式感が明瞭になるところがいい。第三楽章ですね、明らかに速いのは。あれはちょっと、演奏できそうな気がしません(笑)、あのスピードとパワーの両立はちょっと、無理。
しかしながら終楽章はそれこそロンド形式のコラール楽章として受け取ることができるかな、と思えます。ことさらに形式感を強調せずに構成を感じさせる、コンドラシンならではの技ではないかと。


で、声楽つきの二つの楽章です。まず第四楽章は、かなり不思議な気持ちになります。ドイツ語が理解できるとは言わないけれど、なんども聴いてその「音」は覚えているわけですよ。そこに別の言葉が聴こえてくることの違和感。瞑想的な楽章だから特にそう感じたのかもしれません。
一転して第五楽章では、ノリノリの合唱と相まって後悔するペテロのイメージよりも救済の喜びのほうが強く感じられます。いや、この勢いの良さはもう、ショスタコーヴィチの「森の歌」 並ですよ!ちょっとこの部分だけ、聴いていて違和感を感じるどころか別次元に飛ばされちゃった感じです。いやぁ驚いた。


とはいえ、先に書いた通り終楽章はよくまとまっていますから、マーラーに聞こえない!というほどではないかなと思います。あ、ただ最終和音でトランペットの存在感が薄くなるのはどうしてかな…


なお、リマスタの関係かはたまたマスタそのものの問題か、いま一つダイナミックレンジが安定していないように思います。トラックの始まりで若干弱く、しばらく経つと音自体も鮮明になるような、そんな繰り返しはちょっと残念ですね。


1975年に録音されたドイツ語歌唱による第四、第五楽章は、1961年のものに比べてかなり柔らかく響く印象です。録音にも特に問題はないのだけれど、ロシア語版のインパクトのあとでは分が悪いかな、と思いました(なんの勝負でしょうか)。


以上本日のマーラーでした。


なお。今日はなにやらマリーンズがボロ負けしていたようで、ここで怒ってやろうと思ってニュースを見たらアクシデントがらみだったのね、仕方がない、切り替えていこう!と思い直した今日でありました。ではまた、おやすみなさい。