こんにちは。千葉です。
(承前)早速修理が終わった楽器を持ち帰ってはみたものの、そのおかげで非常疲れてしまい、ケースからは出したもののまだ音は出せず。むむむむむ…これを書き終わって元気があったら考えてみよう(及び腰)。


さて本日のマーラー、今日は週に一度のマゼール&ウィーン・フィルの日です。

Mahler: Symphonies Nos. 1-10 (Limited Edition)/Siegmund Nimsgern
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今日でこの全集を聴きはじめてから五週目、ということで今回は交響曲第五番。録音は1982年、この全集では早い時期に録音されています。

その所為もあるのでしょう、いい意味で彼らのマーラー演奏のスタイルがよくわかるように思います。


第一楽章の葬送行進曲はどこまでも足取り重く、それと対を為す第二楽章は感情の赴くままに泣き叫び怒り、そして救済の幻影を見る(この演奏を聴いていて、先日まで聴き込んでいた幻想交響曲の第一楽章を思い出しました)。


第三楽章の多様な表情は完璧にコントロールされた表現で。そうですね、この演奏には姫川亜弓をイメージしました(おい)。


第四楽章は先日の第四番の感想に近い、キッチュすれすれの美音の連続、葛藤のないトリスタンとイゾルデは幸せに暮らしました。本当かな(笑)。
第五楽章はまるでオペラ・ブッファのフィナーレのようにどこまでも朗らかに、その朗らかさに怖れを感じてしまいそうなほど。エクス・デウス・マキナの薄気味悪さとでも言いましょうか。


薄々この曲に対して感じてきたイメージがサラッと言葉になるほど、見事な明確さでそれぞれの楽章が描き分けられているのですね。そしてそこにオーケストラの美音も加わるのだから、これはこれで見事な演奏だと言わざるを得ません。流石にこの曲ならば手慣れたものだ、と思わせる部分も多いですし。それ自体が好悪の分かれるポイントだ、というのも前回指摘したとおりかなと思います。「ここでヴァイオリンはそんなことを!」といった発見があるけれど、ときどき力技に同意できなかったりする。全体としてポジティヴに、部分的に気になるところもある演奏でした。


なんでしょうね、このマエストロの醒めた目線が移るのでしょうか、感想もどこか冷静な感じになってしまいました。まぁ、この録音からは30年弱の時間が過ぎていますから、少しは冷静に受け取れようというものだ、ということにしておきます。以上本日のマーラーでした。


さて楽器でも吹きますか…※本当かな、と思いつつこれにて。おやすみなさい。


※前にも書きましたが、千葉は自宅で練習する際にサイレントブラスなるものを使用しています。デカイミュートを装着すると、全力で吹いても人の唸り声くらいにしかなりません。はっ。変な人が住んでるって噂が立ったらどうしよう(答:どうもしない)