こんにちは。千葉です。
梅雨入りしたってことは、これからは梅雨くん大活躍ですかね?(最近、NHKニュースウォッチ9を見てないからズレてるかも)まぁ、今日は降ってないんですけどね(どうでもいい話だ・・・)


そうそう、ここしばらく、キッズステーションで絶賛放送中の『ガンバの冒険』に幼少時のトラウマを再確認しております。たぶん幼少期にはノロイ恐怖のあまり途中で脱落したようで、終わりかたを知らないのに最近気がつきました(笑)。今日はいよいよ最終回だからきっちり見なくては、です(意外に暇そうじゃん自分)


えっと、ようやく本題。調べもののついででいくつか聴いてるんです、カラヤンの演奏。

Honegger: Symphonies Nos. 2 & 3 / Karajan, Berlin Philharmonic

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前にオネゲルについて書いた時も聴いたのですが。今回聴きなおしても感想はあまり変わりませんでした。なんでしょうね、この違和感。千葉がオネゲルに聴いているものと、カラヤンがスコアから読みとったものはかなり違うもののようです。

複数の声部がそれぞれに語るべきものを持った混沌が一つの輝きに収斂されるドラマ、とさえ思える第二番(1941)は憂鬱な微笑のごとき落ち着きを持って演奏される。
第二次大戦後の衝撃が色濃く残る、時代を直接に反映してしまったような第三番(1946)は、ひとえにスタイリッシュで格好いい。
オーケストラもカラヤンのコントロールも本当に上手だし、これまたお見事、だけれども。としか申し上げようがない・・・嫌いになる要素はないけど、これまでに千葉が聴きとったと思うものはあまり見当たらないこの演奏、どうしたらいいのかな・・・(答:どうもしない)
う~ん、ここまで書いてきて思うのです、自分いつも先入観で聴くな、とか聴きたいものを今聴いている演奏の中に探すな、とか言ってるじゃんよ、と。そうなんですよ、そこんとこは自分としても難しいところでね。可能な限りオープンな心持で聴こうと思ってはいても、聴けばどうしてもこだわってしまう作品があり、こだわってしまう音楽家がいる、のですよ。悩ましい。
今のところ、オネゲルの交響曲ではシャルル・ミュンシュによるいくつかの演奏以上に心打たれる経験がなくて(ルイジ&スイス・ロマンド管の演奏は未聴)。どうしても、どこかで比べているんですよね、自分。困ったものだ。
とまぁ、またしても千葉はカラヤンと合わなかったよ・・・というお話でした。こういう感慨に至るたび、「実演が聴けていれば」と思い、「でも当時の自分にはそれを存分に受け取れなかっただろうよ」と思う。巡りあわせって難しいです、本当に。
何か録音から遠く離れてしまいました、この辺にカラヤンへの苦手意識があらわれているような気がします。いやはや、どうしたものやら・・・(答:どうもしない)
そうそう、カップリングのストラヴィンスキィ、このアプローチだと角が落ちすぎるように思うけど如何かしら。と、とってつけてひとまず〆。ではまた。