迷惑な教会その2

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教会は老人ホームではないので、高齢の神父様たちへの親衛隊みたいな信者が牛耳っているような教会は迷惑だ。

神父様には近寄るな、ってどういう意味でしょうか?

これは数年前に言われた言葉で、私にはいまだにその意味が理解できないのですが、とにかく神父がほのじ(ふるっ)とかおねつとか、迷惑だと思いませんか? 独身だから仕方ないのかもしれないけど、おかしい。

それで、嫌がらせされていたのかと思ったら、バカバカしくてご奉仕なんてできませんしね、こんな教会が嫌だとなってほかへ行こうと思ったら、女性の会などは行かないように邪魔されるし、ほかの教会の友人から電話がかかってきて、何だと思ったら、そこの教会の神父様が辞めたら一気に女性の会を潰すと言ってるらしいし、そこまですったもんだする理由というのは何なんでしょうね。

うちの教会の司牧をしている修道会だけかな。だったら、茨城県から出て行ってもらって、ほかの修道会に司牧をお願いしたい。それくらい教会を汚染している。

 

そういうのが(親衛隊の隊長?)会長をやっている教会なので、近頃は、会長がいそうな時には行かない。そのほうが平和なので。

あれだけこきつかわれて何もしないってどういうことだろう?

ご奉仕悪魔。家庭の中のトラブルを考えない修道会。社会性のない活動。不法滞在者が司祭館に泊まったり教会に泊まったりできるわけないでしょう。ましてや女?

フィリピーナの腰ふりダンスにはうんざり。修道院の庭でやるなよ。

個人的なものは何もないのだけど、フィリピン人にはうんざりさせられることが多々ある。すべての人がそうというわけではないのだけど、弱者の味方というのが売春婦の世話を信者にやらせることだろうか? 兵隊が警備しているような地域になんで信者を行かせるのだろう?

 

もうまっぴらごめんだ。

お金集め、黄色い声の親衛隊、悪魔、危険地帯への渡航?

シスターとカップルで暮らしたいとか? カップルでなくてもわけのわからない連中が来るらしいし。迷惑だと言っても無理だろうな。聖職者なんてどこにもいないのではないかというくらいの俗化。女がいないのが悪いのか、男がいないのが悪いのか、シスターたちがなんで第3の人生とばかりに神父を追いかけてくるんだ? 修道院に帰ってほしい。どこが神様のお恵みなんだろう? 神様にうんざりだって伝えたい。あの人たちを何とかしてほしい。

 

エゼキエル 33.21-33

 

本当にやりたい放題だ。

 

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迷惑な教会

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明日から大阪へ行く。

7日(火)にユスト高山右近の列福式がある。

戦国大名で、大名の地位を捨ててマニラへ行ったということくらいしか知らない。それでも日本で列福式があるというので、そこで聖歌隊として歌えることはこれが最後のチャンスかもしれないし、夏にバルセロナに家族と行き、サグラダファミリア教会でパパ様が司式するミサと700人の聖歌隊の姿をうっとりと想像し、私にもそういう機会が与えられますよう神様に願ってしまったのかもしれない。私はサグラダファミリア教会で歌いたかったのだけど・・・

 

結局、教会というのはどういうところかと思ってしまう。

チャリティとかボランティアとか、お金を出すことが嫌なのではなくて、強制的にやらされることに反感を覚えているのかもしれないし、教区のほうで聖歌を歌えば、それこそ自分の教会のバザーをないがしろにすると叱られる。それもこれも役員を3年もやらされたせいだ。

長くやられている方たちにとっては仕事であり、私の場合は、他にも仕事があり、何となく教会のことだけに翻弄されることが迷惑に感じられる。高齢者のほうが暇で元気なのだから、頑張ってくださいとしか語れない。同世代としては、互いに無理をしないことを誓い合う。逆らったら干される世界だからだ。

 

バチカンでは空港なみのセキュリティチェックがあり、暑い中並んでいてもお水すらない。ペットボトルの水が持ち込めないため。バチカンの広場では、水売りが待ち構えている。

バルセロナの教会では、入場料を払うのが当たり前。

ローマの教会ではセキュリティチェックが当たり前。

つくばの教会では働きすぎは悪魔の元。

 

おかげさまで娘が大学院に合格した。

大学も無事に卒業できそうだし、将来のことを考えたら誰でも不安なのだけれども、今は今のことをやるだけだ。

 

 

なんか、この絵が気に入っている。版画。

娘の作品。

グループ展もやっているので、そういうのを書いていいのかな、悩む。

 

詩篇 145. 17-21

 

 

 

 

 

 

 

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聖堂に古着並べし教会に人はくるなり秋バザーの日
 
アフリカの支援の箱の古着にぞ段ボールごと捨てるがごとく
 
被災地の火災の知らせうけたれどバザーの古着邪魔になるやも
 
儲かりしチャリティの金余りつつ水害の地にブラジルの家
 
イザヤ 8.1-4
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悪魔の教会

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毎年この時期になると、来年の役員のことですったもんだする。

毎年のことなので、慣れてはいるものの、すでに3年もやらされて、これでもかとやっているつもりなのに、何もしないと言われてしまう。

 

理由は、歌を歌っているほうが楽しいに決まっている。それで、教区大会の合唱フェスティバルの練習へ参加したいと言えば行くなと言われ、来年は役員をやめて教会の外へ出たいと言えば、女性の会ですら反対される。反対というよりも妨害されている。うちの教会は脱会したというのだが、実際には会費を払い連絡員もいる。会長のほうに来年はよろしくと挨拶も終わっているのに、足を引っ張られる。

 

ご奉仕をやったら悪魔と言われ、悪魔と言われないためにご奉仕やって、ご奉仕やれば家にシロアリが見つかり大騒動。いつまでこんな生活が続くのだろう。

本当に年年歳歳ストレスがたまり、行きたくないと思いながらも、仕事のように通っている。

あの人とは一緒にやりたくないといえば、わざわざ一緒にされたり、どういう感性なんだろう?

うんざりだ。

 

エレミヤ 34. 12-17

 

だからうちの教会は嫌われる。

強制の労働争議ありたれば冬は残りぬクリスマスにて
 
 
もう二度とこんな教会行くものか思いて友の待つ道路際
 
 
皆おなじ思い返しつうらうらのクリスマスにぞ労働のあと
 
 
あのひとのいないときにぞチャンスかな椅子のとりあうクリスマス ミサ
あのひとのいないときにぞチャンスかな椅子奪いたるクリスマスミ
 
 
ご奉仕をやれぬやりつつやりぬれば今日も挨拶そそくさと去る
 
 
嫌がらせたどりぬ金の足らずとて預金通帳隠したる部屋
 
 
寄付金を盗まれぬため封筒のかろうじて入る献金の箱
 
 
教会の鬼のもちたる鍵の束守り守られ足りないままに
 
 
空き部屋の多き二階の潰し方オルガン一つ聖堂にあり
 
 
ルカ 16. 19-30
 
教会なんて楽しいところではない、と。
 
 
画像: noion