風マリア -☆-

短歌とエッセイ -- by Masako Shiraishi --

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国会中継を背中で聞きながら、ブログをを書いている。


国会中継と言えば、思い出すのは、昔、大阪で乗ったタクシー。


大阪のタクシーは慇懃でサービスがよく、親切な運転手さんが多い気がするにもかかわらず、客を乗せてもマイペースで運転手が国会中継をラジオで聴いていた。ただそれだけのことなんだけど、強く印象に残っている。


当時は、黙ってラジオを聴いているだけだったが、今だったら何か世間話でもするだろうか。年金がどうなるのかとか、消費税の値上がりのこととか、TPPについてとか?


***


バブルの頃のホームレスって、強烈だった。ボロボロの格好をしていて、薄汚れて、ヨロヨロ歩く。ホームレスというより、浮浪者という言葉が似合う。路上を歩いていると、意味もなく若者に怒鳴られたり、地下鉄の歩道に寝ていたり、公園でごみ箱をあさっている。


昔、10代の頃、日比谷公園で、座って何かを食べていたら、ホームレスがゴミ箱をあさりながら歩いてきて怖くなり、食べ物を袋に入れ直し、ゴミ箱に入れたのを覚えている。選択肢はいくつかあって、知らん顔をして食べ続けるか、立ち去るか、あるいは、食べ残しを置いて逃げるか、あるいは・・・・


なんとなく迷って思いついたのは、食べ残しをゴミ箱に捨てることで、捨てるにしても捨てたものを食べることを想像するだけでゾッとしたので、袋に入れて、ゴミ箱に置いて、結局、逃げた。


あの当時の浮浪者は、たいてい目が据わっていて、なんとなく怖かった。でも、今のホームレスは炊き出しの順番を待つ人たちが、普通の格好をして群れている。何かの集会でもあるのかと思うほど、普通っぽい。職を失った人たちが、所持金を使い果たし、仕事を探しながらホームレスをしているとか? あるいは、家出っぽい若い人とか?


***


生保か・・・・

生活保護もずっと続くと、プロのようだ。子どもが全員障害者手帳を持ち、養護学校に通っていたり、猫を恐ろしいほど飼っていたり、カップルで医者に来たり、不思議な人たちが多い。世の中が不景気で仕事が見つからないから仕方がないのかもしれないが、居直っている。失業給付でも受けているかのようだ。


仕事を辞めて、失業給付が切れ、ホームレスになり、生活保護を受け、そのままになるか、仕事を見つけるか。そういうことがめずらしくなくなるほど、不景気なのかも。いや、不景気だからではなく、働かなくても失業手当や育児休業手当が入ったり、しかも、社会給付は非課税。年金や医療費も税金が投入されている。さらには子ども手当とか?


福祉は充実している気がするけど、まだ足りないのだろうか。そのうち、年収300万円以上働いたら損と思うような社会になるかも・・・


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受験シーズンの到来。


今年は、娘が大学受験なので、落ち着かない。落ち着かないというより、他のことが手に着かない。


今にして思えば、中学受験は楽だった。小学校のときに、どつぼまでいってしまったので、高望みせず、地元の中学へ。難関校を狙うのと違って、気分的に余裕があった。そして、そのまま高校受験をスルーし、今に至る。


そして、大学受験。


相変わらず、東京芸大が第一志望だが、受験が近づくにつれて、壁の高さを痛感する。松井冬子は6浪して日本画科へ入学したというが、受験生の親としては、ノーリアリティ。親としては、多浪を続けるよりも、どこかすんなり美大に収まってくれることを願う。


となると、ムサタマか?


そうなると、学科が気になる。模試ではなんとかなるくらいの成績は取っていたはずなのに、センター方式では合格ラインに達しない。勉強のほうは学校まかせで、毎日絵ばかり描いていたのに、センターで好成績が取れるほうがどうかしている。


という、美大受験生特有のジレンマが我が家にも押し寄せ、落ち着かない。


アートに学歴は関係ないとか、いろいろ言う人がいるかもしれないが、バカ言ってんじゃない!と言いたい。


アーティストになることを望む親がどれだけいるのか?

親なんて単純だから、シンプルに大学へ入ってくれたら、自分の仕事が終了という気分。無事に卒業したら、幼稚園の卒園式を迎えたのと同じ気分で、肩の荷を少し下ろすのだ。


美大受験の予備校に通わせ、どこかの美大に押し込み、そのあと、造幣局に勤めてくれたほうが親孝行ではないか?


造幣局というのはアレだけど、版画の先生が言っていたのを真に受けた。就職先がないとかいろいろ言われている美大だが、社会的に考えて、そういう人がいないと困る、ということを言ってのけるには解りやすい喩えかもしれない。


というわけで、社会と言う枠組みの中ですんなり生きているほうが普通なので、所詮、親にとっては単なる大学受験。ジレンマは続く。



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ひさびさの休みという気がする。

大学受験の娘の送迎が週5回、台風とともにやってきた姑さんからの呼び出しの嵐、900グラムの赤ちゃんを産んだ職員の代わりの仕事量の増加、その他諸々・・・・

運転していても眠くなるほど、きつい。


来年になれば、と、近頃よく思う。

来年になれば、娘の受験も終わり、おばあちゃんも落ち着き、新しい職員も仕事を覚え、またぐうたらな主婦業に戻れるのではないかと想像する。


この前、久しぶりに近所の高齢者宅に呼ばれたら、朝から晩まで韓流ドラマを観て、その合間に家事をするという生活。あんなに朝から晩まで放送されているのかと今更ながら驚いたが、買い物すらドラマの合間にしなければならないほどで、1日があっという間に終わってしまうという言葉に嘘はなかった。忙しいわたしのことを心配して、帰りに夕飯のおかずまで用意してくれて、実家を思い出す。わたしにはすでにそうやっておかずを持たせてくれる親はいないので、懐かしい気がした。


***


夏に姑さんが来て以来、毎日のように呼び出され、呼び出しを無視すると仕事先まで電話やファックスが入る。妊娠中の職員がお昼休みに昼寝をしていると、ずっと電話が鳴りっぱなしだったと言っていた。夜は夜で、娘の送迎がある。合間に買い物をして、夕飯は毎日遅い。このところは10時過ぎというのも珍しくはない。


午前中、家にいたら、妊娠中の職員が出血したので、千葉県の病院まで送っていけとダンナから電話があった。急いで迎えに行ったら、元気そうなのであまり心配していなかったが、そのまま緊急入院になり、そこでは低体重児の出産はできないとのことで、転院先を探すことになった。わたしも妊娠中に同じようなことがあり、大したことはなかったので大げさに考えていなかったが、彼女の場合は、出血が止まらないので、結局、900グラムの赤ちゃんを出産することになってしまった。


実家が千葉県なので、千葉の病院で産むことにしたそうだが、出血しているのにタクシー代を惜しんでバスと電車で行くつもりだったらしい。それで仕方なく、わたしが呼び出されたのだが、後になって聞かされた話によると、トコトコトコトコ鳴るお腹の中の子どもの心音を聴き、元気な彼女を見届けてわたしが帰った後、家族が駆け付けたときには子どもが衰弱し始め、もし、バスや電車でのんびり行っていたら流産していたと医師に告げられたらしい。


入院のため、彼女とはしばらく連絡が取れなかったので、そういう話は後から知ったことだが、わたしはもっとのんきで、彼女のおかげで仕事からもおばあちゃんから久しぶりに解放され、せっかく千葉県まで行ったので、帰りに東京芸大の取手キャンパスを見学し、しょぼいキャンパスにがっかりしながら、教会へ行き、彼女のことがなければ教会へも行けない生活を考えながら、また仕事に戻った。


たまに届く教会からの連絡メールだけが唯一のつながりのような生活だが、誰もいない教会で、彼女と赤ちゃんの無事を祈る時間を過ごす。ほんの数分のことだが、わたしが教会を見捨てても、神さまはわたしを見捨てていないのだと感じた。


見捨てる・・・・・

いやな響きだが、皆が一生懸命に活動をする中、それを知りながら何もしない。御ミサにも行かない。無理をすれば行ける気もするのだが、無理をしないと行けないので、無理はしない。


高速道路の渋滞中、おばあちゃんから電話があり、「今、高速道路だから」と言って電話を切っても、また電話。(わたしを殺す気か?)


それでもお誕生日のお祝いをしたら、近頃、あまりおばあちゃんから電話がかかってこなくなった・・・


***


来年になれば、のんびりできるかな・・・・


(マラキ書、最後のページ)


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娘にパソコンを壊されて以来、仕事用のパソコンでネットに接続している。このパソコンを必要以上に起動する気には、とてもじゃないけど、ならない。


気がつけば、娘は受験生だし、おばあちゃんはとうとうこちらへやってくることになったし、わたしにとっては放射能より憂鬱かも。


教会へも、しばらく行っていない。日曜日にも娘のデッサンの送迎があるせいもあるが、御ミサと掃除以外にもサークルやボランティア、勉強会などなど、危険信号だ。ずっと行っていると、いるのが当たり前になってしまい、負担が増える。


***


同窓会は、楽しかったな。

不思議なことに、昔よりも皆と一緒にいて楽しい。普段はまったく会うこともなくなった代わりに、昔よりも友達という意識が強くなった。


卒業して以来、一人も友達ができなかったという友達がいる。職場の人間関係は最悪だったし、ママ友をつくっている暇がなかったし、「私は友達がいないの。家族がいれば充分だったから」とあっさり言う。


結局、今にして思うと、わたしたちは卒業後、似たような気持ちを共有しながら過ごしていたのだ。厳しいけれども、あの悪を排除したような特殊な環境の中で人間関係を築くことに慣れてしまったがゆえに、なかなか一般社会(?)に馴染めなかったのかもしれない。


一つ解ったのは、彼女のような厳格なカトリックの家庭に育つと、友情もまた信仰上の相互理解がなければ成り立たないということ。親切で親しくはあるが、信仰上の相互理解がなければ、友情というものを感じることができないのかも。公園で一緒に子どもを遊ばせているだけでは、単なる親しい知り合いになるのがせいぜいで、友達にはなれないのだろう。


極端だけど、仕方がない。感じ方は人それぞれ。九州出身だからかも。いまだに用心深いのかもしれない。


***


夏休みは、タヒチ。


飛行機は満席。ハネムーンのカップルが多いかと思いきや、それほどでもなく、逆に落ち着いたカップルが多い。年齢層が高いのかも。ほかのリゾートよりも旅費がかかるため、若い人たちには無理かも。夏休みのせいか、家族旅行の人たちも多かった。


水上コテージでなければ、ほかのポリネシアの島々と変わらない気もするが、エイやサメと一緒に泳げるところはすごい。泳いで海中のエイを眺めていたら、サメがわたしの真下を泳いでいった・・・


水コテの海へのはしごを上っていると、黒い小さなチョウチョウウオみたいなヤツが突いてくる。痛かったので噛まれたかと思ったが、単に突いてくるだけらしい。魚だったら逃げるのが普通じゃないか? 


へんな魚。


津波がきたら、一発で流されてしまいそうな環境だが、地形的に津波は来ないらしい。震災の前にホテルを事前購入予約してしまったがゆえにキャンセルできず、なんとなく気のりしないまま行ったが、素朴でのんびりできた。が、現地の日本人スタッフは、慇懃ではあるが、意地悪なお局的な性格丸出しの女性ばかり。毎日、新婚カップルばかり相手にしているのが原因か?


(ルカ 22. 39-46、 ヨブ 5. 1)


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なんだか変な時代だと思う。韓国の大統領と中国の国家主席が一緒に日本の被災地をお見舞いに来てくれることに大しては違和感はないのだけれども、その間に北朝鮮の代表が中国を訪問しているというのは変な話だ。首相の外遊中に、他国のトップが来日するなどということは、日本では考えられない。複雑なアジア情勢といったところだろうか。


なんだかんだ言っても今年は入梅し、なんだかんだ言っても21世紀なのだろう。なんだかんだ言っても、ユン・ソクホ監督の韓流ドラマを観てはボロボロ泣かされ、娘にはババア扱いされている。個人的には、『冬のソナタ』よりも『春のワルツ』や『夏の香り』のほうが好きなのだが、一番泣かされたのは『秋の童話』。


ってことは、春夏秋冬シリーズを全部観たことになる?


TSUTAYAでも、絶好のポジションを韓流ドラマが占めている。が、しかし、さすがに飽きてきたので、今度は名探偵ポアロシリーズを借りてきた。


夜中にワインを飲みながら、DVDを観て泣いている・・・というのはなぁ・・・

結構、ストレスが溜まっているか、現実逃避に走っているのかも。


今頃になってメルトダウンの隠蔽の話が出てきたり、増税やら復興やら不況やら就職難やら放射能やらネガティブな話題ばかりが続き、もしかすると、海外のメディアが語っていたことが、つまり、60年前の日本の状況とよく似た状況が訪れているのに、実際問題、不安を刺激しない程度に情報がコントロールされているだけなのだろうかという疑惑が頭を過ぎる。


いや、そんなことはどうでもいい。それよりもショックを受けたのは、YOU TUBEの画像か何かで、高い堤防の横を走っている車が、すぐ隣まで津波が迫っているのに気がつかない、というシーンだ。危険がすぐそこまで来ているのに、まるで気がつかない。そして山ほどの高さの津波。


わたしのような想像力のたくましい人間は、並木道を走っていても、並木よりも高い堤防の向こうに津波が迫っている図が脳裏に過ぎってしまい、自分で勝手に想像しているにもかかわらず、その想像に怯えたりする。それでいて麗らかな日々。そのギャップに疲れて、何かをしようという気力が萎える。


福島の原発の事故に関しても、アメリカからの情報のほうが正確で、連日発表されたあれらの報道に何の意味があったのかと感じてしまう。もしかすると、知らないのはわたしたちだけ?


わたしは被災地には直接行ったことはないが、行った人の話によると、荒涼としたパノラマを観てしまうと急にリアリティが増し、何も出来なくなってしまったという話を聞く。報道では、悲しい場面はあまり報道されず、生き残った人たちの姿や、復興に向けての動きなどを主に取り上げている。それくらい悲惨なのだろうか。


この、違和感は、何なのだろう?

うまく言葉にはならない。

被災地へ慰問に行った落語家が、わんわん泣いていたけれども、その理由は報道されない。それほど悲惨ということか?


知らないことには泣けない。


韓流ドラマを観て泣いていると気分がすっきりするというのは、今のわたしにとってはごく自然な成り行きという気がする。


(コリント 二 8. 8-15)

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