「私の仕事は人の役に立っているのか」という葛藤 | 【Cheer Coach】企業研修・ワークショップ・コーチ 齋藤稚亜子(ちあこ)

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企業研修講師・ワークショップ企画・コーチング

今の皆さんのお仕事、

その仕事の本当のやりがいを感じられるようになったのは、

いつですか?


「やりがい」にも2種類あるようで、

【1】目の前の仕事を正確に、迅速に、少しの気遣いを上乗せして行うことで、

  目の前のお客様に「ありがとう」と言われる類のもの

【2】仕事の過程では紆余曲折ありながらも、

   本質的にお客様の役に立つもの

特に課題解決型の商品やサービスを生業とする業界では、

【1】は比較的 早く、頑張れば手に入れられるものの、

【2】は大きな山を越えて、時間と経験を経ないと得られないと感じます。


小さな【1】を積み重ねて自信をつけながら、

何だかんだ『痛い目』を見ながら苦労して【2】に辿り着くと、

社会人としてその道の使い物になるような気がします。

だから、「石の上にも3年」なのでしょうか。


私自身も、社会人3年目に大きな壁にぶち当たり、

「私の仕事は人の役に立っているのか?」と葛藤した時期があります。


今振り返ると、

現在の「人と組織に関わる仕事」に就くきっかけにもなる大切な時期。

そして、精神的なダメージから脱却しようと、「仕事以外に没頭できる何かを…」

とベリーダンスに出会った時期でもあります。


****** 社会人3年目の出来事 *****


社会人3年目「大きく成長したい」という理由から

自ら上司にお願いして、少し大きな仕事を担当させてもらいました。


当時私は、IT業界の中でも、企業の基幹業務(在庫管理、生産計画、受発注など)を

回すために必要なシステムのソフトをお客様に提案する仕事をしていました。


システムやソフトというのは買ってすぐ使えるわけではなく、

各会社の仕事の仕方、将来のあるべき仕事の仕方に合わせて、

買ったソフトに手を加える必要があります。

そのように買ったソフトに手を加え、

各社の仕様に合わせて仕立てることを「導入」と呼びます。

企業規模やシステムの対象範囲にもよりますが、

多くは1年から3年など長い時間をかけて、

自分たちの使いやすいようにシステムを創り上げるとても大変な仕事です。


ソフトを「売る」側の仕事に携わっていた私ですが、

「売った後」に何が起こるのかを知りたい、

今後のために「導入」にも携わりたいという気持ちから自ら志願した仕事。


一般的に「導入」はトラブルやクレームも生じる過酷な仕事ですが、

上司や先輩が「楽しそうに仕事する」大切さ 」にも書いたよう、

そんな過酷な仕事を楽しそうに取り組む、カッコいい先輩が周りにたくさんいたので、

私もそろそろ「そういう大変な過酷な仕事をしてみたい」と興味津々だったのです。

「導入」の際は、お客様・システム開発会社・ソフトウェアベンダーなど、

関係者がたくさんいます。

私自身は、定期的に「導入」のプロジェクトルームにお邪魔し、

進捗や課題を聴き、必要な支援をする役目を担っていました。

「プロジェクトアカウントマネージャー」というご立派な名前をいただいて。


意気揚々と、定期的にお客様のプロジェクトルームに足を運ぶ日々。

担当は製造業のお客様でしたので、

通うのは都内から2時間くらいの郊外にある工場一角のプレハブ小屋。


「外資系のIT企業に就職したのに、今日も和式トイレしかないプレハブ小屋か…」

とテンションの低い日もありましたが、

自分で志願して任せたもらった仕事、

全力で頑張っておりました。


春のスタート時点では順調だったプロジェクト、

秋も深まる頃に暗雲が…

ソフトに対する問い合わせ・ご要望が急に増えました。

必死にそれを吸い上げて、社内の関係部署に連携し、速やかに対応しました。

しかし、状況が変わります…

当時私は、プロジェクトメンバー(ほぼ全員『おじさま』)とのコミュニケーション活性化のため、

たばこを吸っていました。

たばこ部屋は最良の情報収集場所。

私がたばこ部屋に入ると、おじさま達は

「女の子はたばこなんて吸っちゃだめだよ」

と言いながら、嬉しそうにいろいろと情報を教えてくれるのです。


その日もいつものように、お客様側のキーマンであるAさんの後を追って、

たばこ部屋に入りました。

「進捗いかがですか?」

と近況を伺うにも、様子がおかしく、私の質問に応えてくれません。

おかしいなぁ、と思いましたが、「軽く無視」状態が続きます。


これは困った、と しつこくプロジェクトルームに足を運び、

たばこ部屋についていきますが、

もう何も話してくれません。

人間無視されるのが一番辛い、と言いますが、本当に辛かった。。


こんな状態が続くので、

プロジェクトで何が起こっているのか、

順調なのか、順調じゃないのか、

私は全く把握できなくなっていました。


上司に報告しようにも、順調ではない雰囲気は感じ取るものの、

決定的な事実もなく、対策も考えられません。

お客様やシステム開発会社からの製品に対する厳しいご指摘も重なり、

そのうち、プロジェクトの進捗が芳しくないのは、

「自社(自分)のせいなのではないか?」

という不安な気持ちに。


キーマンAさんに無視され続けた私は、

プロジェクトの状況を社内に報告するという基本行動もできなくなり、

上司からは怒られ、完全に思考停止状態になりました。

思考停止、ってあるんですよね、追いつめられると。。


今の私を知る方からは想像もつかないと思いますが、

この時は、完全に精神的に弱りました。

ふとした瞬間、自然と涙が出てくるのです。

そして、朝 布団から出られなくなりました。(ほんの数日ですが…)


「情報システムを通じて人の役に立ちたい!」

なんて入社以来 意気揚々と頑張っていた私でしたが、

「私のしていることは、人を不幸にしているのではないか?」

という気持ちに押しつぶされそうになりました。


もうダメだ、どうやって逃げよう…

逃げたらどうなるんだろう…

人生初めての弱気な日々。


その年の年末 ついに泣きながら父親にこう言いました。

「私の仕事は人の役に立っていない気がする」


すると、父は

「ちあこ、世の中に人の役に立たない仕事はないよ」

と。。


お父さん…(涙)


父にこんな風に仕事の相談をしたのはこの1回だけです。

でも、この何の根拠もない一言に救われました。


ちなみに、このどうしょうもない状態から抜け出るために、

藁をも掴む思いで「何かを始めよう!」と出会ったのがベリーダンスです。

この話は、また別の機会に…


この涙の訴えから半年、

私はこの仕事の担当から外れました。

上司や先輩、他部署の偉い人、いろんな人に助けていただきながら

何とか踏ん張ってみましたが、

社会人3年目の若造には抱えきず、

最終的には道半ばでこの仕事を手放しました。


冷静になって後から分かる話ですが、

プロジェクトの雲行きが怪しくなったのは、

システム導入の現場でよくある、

「関連部門の巻き込みがうまくできていなかった」

ということのようです。


これをきっかけに痛感したことですが、

システム部門がいくら良いシステムを創ろうと頑張っても、

結局は現場部門(製造・購買など)が納得し、

業務の仕方を変えようという合意が取れないと、うまくいかないワケです。

そういうことも広くひっくるめて、関係者の気持ちや仕事の仕方にも踏み込まないと、

「人の役に立つ」仕事にはなり得なかった、と後に気付きます。


「結局 『人』 なんだ」と実感したこの1年は、

今の「人や組織に関わる仕事」に就くきっかけでもあります。


*****


社会人1, 2年目は、一生懸命頑張れば小さなやりがいや喜びを感じることができました。

目の前のお客様に、分かりやすく商品を説明したり、

問い合わせに対して、迅速・丁寧に対応し、

少しの気遣いを上乗せして。


ただ、課題解決型の商品・サービスの「仕事のやりがい」はそういうものではなかった…

今考えるとやっと答えらしきものが見えますが、

目の前の担当者からもらえる「ありがとう」を飛び越えて、

1つ、2つ 視座を上げなきゃいけなかったんだな、としみじみ思います。


研修で「その仕事の本来のやりがい」に辿り着けていない受講者に出会うと、

「とりあえず3年頑張れ。

 早く『痛い目を見る』経験をして、大切なことに気付けると良いね」

と、心の底から応援します。


プロジェクトのキーマンAさんとは、

私が担当を外れたことで、疎遠になってしまいました。

でも、それから3年後、Aさんから突然メールが届きます。

この話も、また別の機会に…