ベージュのガラスパールを使って、


ロングネックレスを作りました。


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ゴールドカラーのパールや


オレンジ色やピンク色がうっすらと感じられるガラスパールも


組み合わせました。


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下にくる部分に、大きめのビーズを配置したので


安定感があります雪


ペンギンペンギンペンギン


大阪の旅の続きです。


歴史のありそうな場所をもとめ、天王寺区にある大阪最古の神社、


『難波大社 生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)』に行きました走る人走る人


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大阪の方は親しみを込めて「いくたまさん」と呼ぶそうです。



『表門大鳥居と生國魂灯籠』

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社伝によると、


神武天皇が九州より難波津におつきになった際、


現在の大阪城付近に生島大神・足島大神を祀られたのが


生國魂神社の創祀だといいます。


日本書紀にも『生國魂社』と記されているそうです。



天正11年(1583年)、豊臣秀吉公が大阪城築城のため社領を寄進し


社殿を造営、同13年(1585年)に現在の鎮座地に遷されたといいます。



『拝殿』

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御祭神は 生島大神(いくしまのおおかみ)


足島大神(たるしまのおおかみ) 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)



生島大神と足島大神は、国土・大地の守護神で、


大地に生を受けるもの全てを守護される広大無辺の御神徳があるといいます。



大物主大神は「ダイコクさん」として知られ、


人間生活万全を守護される神様だということです。


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拝殿の奥にある本殿は『生國魂造(いくたまづくり)』と呼ばれ、


ほかに類を見ない建築様式で、


豪壮な桃山文化の遺構を伝えたものだといいます。



本殿と幣殿は一つの流造りでふきおろし、


正面の屋上に千鳥破風・すがり唐破風・さらに千鳥破風の三破風を


すえたものになっています。

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身長が足りず、三破風すべては撮影できませんでしたカメラ


現在の社殿は昭和31年鉄筋コンクリート造で建てられたものだそうです。



境内には、ほかにもたくさんのお社が。
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パンフレットによると、11社ほどあるそうです。

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日が暮れてきていたので、1社だけお参りすることに。


K子に選んでもらって、


「女性の守護神」である鴫野神社(しぎのじんじゃ)をお参りしました。


鴫野神社は、淀君ゆかりの神社で


女性の守護神として心願成就、縁結びから悪縁切りまで


霊験あらたかだといいます。



もともとは、弁天島の一画に弁天社「鴫野の弁天さん」として祀られていました。



場所は大阪城の北東 鴫野の地、現在は高層ビルが立ち並ぶ


大阪ビジネスパークのあたりで、


弁天社は用地の買収にともない、大阪城に縁が深い生國魂神社に遷座され、


鴫野神社となったということです。



太古の大阪湾は、東は生駒山麓、西は六甲山まで深く入り込んだ海で、


長い年月をかけて淀川・大和川・武庫川などが運んできた土砂が


河口に堆積して洲を作り、次第にいくつもの島ができたといいます。



これらは「難波の八十島(やそしま)」と呼ばれ、現在は陸地になっていますが、


地名に「島」がついているところはその頃のなごりで、


弁天島もそのひとつだといいます。




たくさんのお社のほか、境内には


井原西鶴の像や松尾芭蕉の句碑などいろいろなものがありました。



生國魂神社は、数々の文芸作品の舞台にもなっていて、


近松門左衛門の「曽根崎心中」もそのひとつだといいます。



札幌に住む日本舞踊の師範Aさんが人形の遣い手として出る


人形浄瑠璃の舞台で「曽根崎心中」を見たことがあり、



「ここがその場所だったんだ」と、


家に帰ってパンフレットを見直してから気づきましたえっ



出来れば、神社にいたときに気がついて感動したかったけど、


遅かったブタネコ