東京都調布市の


天台宗別格本山浮岳山昌楽院 深大寺へ行きました。

 

 

天平五(733)年に開創されたお寺で、当時

 

本尊であったという『銅像釈迦如来像(白鳳仏)』が

 

今年の3月に国宝に指定されましたキラキラ

山門は元禄八(1695)年に建てられたもので、

 

深大寺は正保三(1646)年と慶応元(1865)年に

 

火災に遭いメラメラ堂宇の大半を失いましたが、

 

山門は2度目の火災では炎上を免れたそうです。

 

 

火災で寺の縁起などは焼失しましたが、その後

 

古記を見聞きした人や、古老の伝語などをもとに

 

『深大寺真名縁起詞書』が編集されました。

 

 

その縁起によると、

 

むかし福満という人が、この地の豪族の娘と

 

恋仲になりましたが、そのことを反対した娘の両親が

 

湖の小島に娘を隔離したそうです。

 

 

福満は水神の“深沙大王”に祈願をすると

 

霊亀が現れて福満を小島に連れて行きましたカメ

 

 

そのことを知った娘の両親は

 

二人の仲を許したといいますおひなさま

 

 

その後、二人の間に生まれた子は、

 

福満の「深沙大王を祀って欲しい」

 

という願いを叶えるため、出家をして

 

南都(奈良)の法相宗を学んで

 

満功(まんくう)上人となり、

 

 

この地に一宇を建てて深沙大王を祀ったのが

 

深大寺のはじまりだといいます。

 

 

法相宗の始祖は玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師のモデル)で

 

玄奘三蔵が経典を求めて天竺に向かう途中、

 

砂漠で水を得ることが出来ず、息絶えようとしたときドクロ

 

流砂から現れて、護ってくれたのが深沙大王だったといいますナゾの人

 

 

ご本尊の阿弥陀如来像が祀られている本堂。

平安時代に武蔵国司 蔵宗が反乱を起こしたためパンチ!

 

その降伏を祈願するため、朝廷より命を受けた

 

天台宗の高僧 恵亮和尚が、深大寺に道場を定めました。

 

乱が治まったあと、深大寺は天台宗に改宗したそうです。

 

 

お堂の彫刻が立派でしたキラキラ

屋根には桜紋がありました桜

 

手と口を清める閼伽(あか)堂の屋根にも桜紋桜

閼伽(梵語argha=アルガ=功徳水)とは、仏教で

 

仏前に供える水のことをいうそうですみずがめ座

 

 

桜紋を模したという雨水受けもありました雨

 

元三(がんざん)大師堂。

第18代 天台座主 慈恵大師良源大僧正の

 

自刻の像が安置されています。

 

 

良源大僧正は正月(元日)三日に入滅されたので

 

通称「元三大師」と言われているそうです鏡餅

 

 

天台宗中興の祖として仰がれる良源大僧正は

 

厳格な修行を奨励し、弟子たちから恐れられて

 

いたといいます叫び

 

 

あるとき、護摩を焚いているとメラメラ

 

壁に映った良源の影が、角の生えた鬼の姿を

 

していたため、「角大師」とも呼ばれているそうです節分

 

元三大師堂の彫刻も立派キラキラ

火災のあと、本堂よりも先に再建され、

 

先日、国宝になった釈迦如来像は、

 

こちらの須弥壇に仮置きされて、そのまま忘れられ

 

50年近く放置されていたのだとかえっ

 

 

東京国立博物館に展示されていたときに

 

見に行きましたが、黒光りした美しい仏像でしたキラキラ

 

 

鐘楼と梵鐘。

画像の梵鐘は平成十三(2003)年に新鋳されたものですが、

 

釈迦堂に奉安されているという国の重要文化財の梵鐘は

 

南朝 天授二(1376)年のもので、

 

 

昭和天皇が摂政をされていた頃に深大寺を訪れたとき、

 

「古いものは大切にするがよい」とおっしゃられたので

 

第二次大戦中には約75000個の鐘が徴発されましたが

 

深大寺の梵鐘は徴発を免れたといいますベル

 

境内では、いろいろな所から水が湧いていましたみずがめ座

 

魚もいましたうお座

 

深沙堂の参道沿いの石像。

恵比寿さまと大黒さま。

龍と虎。

 

こちらの屋根の彫刻も立派キラキラ

 

参道沿いのお店でも、水が湧いていましたみずがめ座

撮り忘れましたが、画像の奥に映っているお堂が

 

深大寺の名前の由来になった深沙大王を祀る

 

『深沙堂』。

 

 

お堂の後ろには、この地の水源であり

 

深大寺発祥に関わる泉があるそうですうお座

 

 

深大寺のあたりは、多摩川が武蔵野台地を

 

10万年以上かけて削って出来たという

 

“国分寺崖線”があり、至るところで湧水が

 

見られるそうですみずがめ座

 

 

古より、その水を求めて人が集まり、

 

人々の泉に対する感謝の心が“水信仰”を生み、

 

のちに仏教が伝来して、寺が建立されたと

 

考えられています。

 

 

深大寺の周りでは水たくさん湧いていて、緑も豊かで

 

昔からずっと良い土地だったんだろうなと思いましたクローバー

 

 

 みずがめ座 桜 みずがめ座

 

 

深大寺の寺紋が桜だったので

 

桜色に似たローズクオーツを使って

 

ブレスレットを作りましたブーケ2

 

水色のサザレ石も使いました。

 

 

『ローズクオーツ』

 

石ことば…愛の告白

 

石の力…恋愛成熟。

 

   美しさや若さを保つ。

 

   過去の恋愛で傷ついた心を癒し、

 

   自分を愛する力を与えてくれる。

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前回の大國魂神社と同じ府中市の

 

熊野神社へ行きましたクマ

 

すぐそばには甲州街道の『本宿』の石碑がありました。

 

府中の熊野神社は江戸時代初期に創建され

 

かつては“熊野大権現”と称され、

 

旧本宿村の総鎮守だったそうです。

 

御祭神は、大國魂神社の御祭神 大國魂大神(大国主命)の

 

祖先神にあたる、素盞嗚命(スサノオノミコト)。

 

本殿と拝殿は江戸時代中期から幕末における

 

神社建築の造形を現す、数少ない貴重な建物で、

 

府中市指定の有形文化財になっています。

 

彫刻が立派でしたキラキラ

 

猫もいましたにゃー

かわいいラブラブ!

 

 

神社の奥には、甲州街道を通るたびに気になっていた

 

鏡餅のような形をした古墳がありました鏡餅

築造当時の姿に近い形で復元されたものだそうです。

 

 

河原の石が積まれている二段だけでなく、茶色い部分も

 

含めた三段構造で、茶色の一段目と真ん中の二段目が

 

正方形、いちばん上の三段目が円形になっている

 

“上円下方墳”。

 

全国的にも非常に希少な形の古墳だといいます。

 

 

築造されたのは7世紀中ごろの飛鳥時代で、

 

古墳時代の“終末期”でもあります。

 

 

府中市のあたりでは、

 

古墳時代の後期と終末期(6~7世紀)に

 

多くの古墳が作られ、群集墳がいくつかありますが

 

熊野神社古墳は、それらの古墳からは離れた所に

 

造られているそうです。

 

 

飛鳥時代は、畿内の政権が日本列島に

 

共通した政治の仕組みを作り、一つの国に

 

まとめようとしていた時代だったので、

 

それまでのように古墳が造れなくなったといいます叫び

 

 

しかし、こうした規制があっても地域の有力者の一部は

 

大型の方墳や円墳を作っていたそうで、

熊野神社古墳は、埋葬者は不明なものの

 

武蔵国最大級の墳丘で、内部の石室も大型なので

 

武蔵を代表する首長クラスの墓とも考えられています。

 

 

武蔵国の古墳について書かれた本によると本

 

武蔵国には、たくさんの古墳が確認されているものの

 

その多くは“煙滅”(あとかたもなく消えてなくなること)に

 

なっているそうで、ちょっと残念だなと思いましたかお

 

 

クマ クマ クマ

 

 

円形〇と方形□のフローライトがあったので

 

ブレスレットを作りました宝石緑宝石紫

円形と、方形と、ハート形。

 

石の形が3種類がいいなと思い、

 

丁度ハート型があったので、埋葬者がいたんだから

 

心臓のハートでいいかと思って入れましたナゾの人

 

『フローライト』

 

石ことば…少しの希望

 

石の力…精神と肉体の浄化

 

     健康全般、思考力、集中力のアップ  など

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前回のブログの続きで大國魂神社。

例祭日が、きょう5月5日なので、

 

今、例大祭の「くらやみ祭」が行われています祭

 

カブト カブト カブト

 

本殿の周りには、お社がたくさんありました。

 

『水神社』

御祭神は、

 

水波能売命 加茂別雷命 玉依姫命 加茂別建角身命

 

境外社『滝神社』の御分霊を祀っているそうですみずがめ座

 

 

『松尾神社』

御祭神は大山咋命

 

大山咋命は醸造の神様なので、

 

武蔵国の醸造家の懇請により

 

京都の松尾大社より勧請されたそうですお酒

 

 

『巽神社』

御祭神は市杵嶋姫命

 

もとは市川にあった市神社が、大國魂神社本殿の

 

辰巳(南東)の方向に遷座されたので、巽(たつみ)神社という

 

社号がついたそうです。

 

大きなご神木。

 

 

徳川家康公を祀る『東照宮』

徳川家康公は大國魂神社の西の辺りで

 

鷹狩りをしていたそうですヒヨコ

 

 

『住吉神社 大鷲(おおとり)神社』

御祭神は 表筒男命 中筒男命 底筒男命  大鷲大神

 

大阪市住吉区の住吉大社と

 

大阪府堺市の大鳥大社の御分霊を

 

それぞれ祀っているそうです。

 

 

住吉神社と大鷲神社の狛犬しっぽフリフリしっぽフリフリ

 

かわいいニコニコ

 

 

参道沿いの『宮乃咩(みやのめ)神社』

御祭神は、天細女命(あめのうずめのみこと)

 

大國魂神社と同じ頃に創建され、

 

源頼朝の妻 北条政子が安産祈願をしたと伝わります。

 

また、神社の由緒に「寿永元(1182)年に至り、源頼朝は

 

葛西三郎清重を使節として、その室、政子の安産祈願が

 

行われた」とありました。

 

 

たまたま、この前地元(北海道)のお茶屋さんが

 

家系図のコピーを見せてくれ、「(葛西)清重からの流れ

 

なんです」と聞いたばかりだったので、神社の由緒に

 

同じ名前が出てきて、ちょっと驚きましたお茶

 

 

その家系図は、岩手の大学の先生が見に来て

 

鎌倉幕府の公的な編纂といわれる史書『吾妻鏡』と

 

照らし合わせても、大体合っていると言われたそうで、

 

その家系図のはじまりは、平安京を開いた桓武天皇でした。

 

 

武蔵国の歴史について書かれた本によると本

 

桓武天皇の曾孫にあたる平高望(たいらのたかもち:

 

桓武平氏の祖)の子孫が関東各地に広がり、

 

千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾の

 

“坂東八平氏”と称されたといいます。

 

 

その中の秩父平氏一族である渋谷氏・豊島氏・小山田氏・

 

川越氏・畠山氏らが、武蔵国へ入りました。

 

 

豊島(としま)氏から出たのが葛西清重で、

 

お兄さんが豊島氏を名乗ったので、清重は葛西氏を名乗り

 

葛西氏の祖となったそうです。

 

 

豊島氏と葛西氏は秩父平氏の中でも早くに

 

源頼朝と好を通じた一族だったのだとか。

 

 

思いがけず、武蔵国の歴史を学ぶことができました本

 

弥生時代に創建された大國魂神社。

 

 

浅草寺も古いと思ったけど、約1900年前の創建って

 

とても古いなと思いましたキラキラ

 

くもり くもり くもり

 

関東に桓武平氏が広がったそうなので

 

平たい形をしたスモ―キークオーツと、

 

御祭神の大國魂大神と関わりのある出雲といえば

 

“たたら製鉄”が有名なのでメラメラ

 

和名が“赤鉄鉱”のヘマタイトを使って

 

ブレスレットを作りましたパー

薄い色も濃い色も、同じスモ―キークオーツくもり

 

そろばんの玉みたいな形の石が、ヘマタイト。

 

 

濃い色のスモ―キークオーツの数を

 

6・3・4にしてムサシ(武蔵)にしました。

 

またダジャレブタネコ

 

 

『スモ―キークオーツ』

 

石ことば…責任感・くじけない心

 

石の力…恐怖や不安、怒りなどから心を開放する。

 

   リラックス効果で精神を安定する。

 

   心地よい眠りを誘う。

 

 

『ヘマタイト』

 

石ことば…密かに燃える思い

 

石の力…自信と勇気をもたらす。

 

   ストレスに対する抵抗力を高める。

 

   心身のエネルギーを活性化させる。

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