『知の難きに非ず、知に処するは則ち難し』

―非知之難也、処知則難也―


                                    <韓非子>


 知ることはむずかしくない、知った後でどう対処するかが難しいのだという。つまり、情報収集よりも情報管理のほうが難しいということだ。


 『韓非子』は、こんな例をあげている。


 宋の国に金持ちの家があった。或る日、大雨で塀が壊れたのを見て、息子が語った。


「修理しないと、泥棒にはいられますぞ」


隣家の主人も同じことを言ってきた。


 その晩、はたして泥棒にはいられて、ごっそり盗まれてしまった。金持ちは、息子の賢さに感心した。だが、息子と同じことを言った隣家の主人に対しては、「あの男、犯人ではないか」と、疑ったという。


 親切に教えてやったのに、あらぬ疑いまでかけられるとは、これほど割りに合わない話はない。われわれの周りにも、結構これに類する話がころがっている。 『韓非子』によれば、それはみな「知に処する」 道を誤まったことに起因しているのだという。