2010年02月09日 11時21分13秒
chausuyamaの投稿
遇と不遇とは時なり
テーマ:中国古典 一日一言
『遇と不遇とは時なり』
―遇不遇者時也―
「君子でもこんなみじめな思いをすることがあるのですか」と食って掛かったところ、孔子はこのことばを引いて子路の不満をなだめたという。
「遇」とは、何をやってもトントン拍子に進むこと、「不遇」とは、その反対に何をやってもうまくいかないこと。それは、「時」を得るかどうかにかかっているのだ。誰の人生にも、遇と不遇がついてまわる。
問題は不遇な時の過ごし方だ。そんなとき、へんに卑屈になったり、じたばた悪あがきをしていたのでは、将来の展望が開けない。
孔子は、こう付け加えている。
「身を修め行い端(ただし)くして以ってその時を俟て」
そんなときこそ、じっくりと自分を鍛えながら、ツキが回ってくるのを待て、というのである。
―遇不遇者時也―
<荀子>
孔子が弟子をひきつれて諸国遊説の旅をつづけていたとき、ある国で政争に巻き込まれ、空き腹をかかえて何日も立ち往生したことがある。子路という弟子が…「君子でもこんなみじめな思いをすることがあるのですか」と食って掛かったところ、孔子はこのことばを引いて子路の不満をなだめたという。
「遇」とは、何をやってもトントン拍子に進むこと、「不遇」とは、その反対に何をやってもうまくいかないこと。それは、「時」を得るかどうかにかかっているのだ。誰の人生にも、遇と不遇がついてまわる。
問題は不遇な時の過ごし方だ。そんなとき、へんに卑屈になったり、じたばた悪あがきをしていたのでは、将来の展望が開けない。
孔子は、こう付け加えている。
「身を修め行い端(ただし)くして以ってその時を俟て」
そんなときこそ、じっくりと自分を鍛えながら、ツキが回ってくるのを待て、というのである。





