月のような目をしたノアゴンは、私が目を離した僅か3分ほどの間に、サッと一人で月に帰りました。
なんと、前回の記事をUPした2時間後には呼吸をやめていました。そう、ノアゴンは9月18日、うちの子記念日に旅立ったのです!

うちの子記念日に旅立つなんて、その日が来るのを頑張って待っていたのでしょうか。15年前の9月18日、ヴェルサイユで出会い、家族になった日からきっかり15年と言う期限付き切符を渡されていたかのように。
「早く、どうにか元気なうちに皆さんに報告の記事を更新しなよ」
と、ノアゴンは、ブログの事まで計算していたのか……それとも、最後のうちの子記念日を皆さんにお祝いして貰いながら旅立ちたかったのかもしれません。何しろノアゴンが5歳の時からのこのブログ、皆さんには10年と言う歳月、ノアゴンを愛して頂いたのですから。








台風一過の秋晴れのうちの子記念日、午前10時17分頃でした。
10日ほど前にシュークリームを食べ始めてからと言うもの、随分とイキイキとして穏やかに過ごしていたのですが、旅立ちの前日の午後から急に呼吸が苦しくなり、ほんの数回ですが鳴いていました。続いていた発熱が徐々に下がったのも、解熱ではなく、体温低下が始まったのだと予想はしていました。
それでも前の日の晩、夜寝る前のシュークリームは何口か舐めていたのです。今思えば、あれがノアゴンの最後の晩餐でした。
翌日も、朝起きると苦しそうな声をあげて呼吸が荒かったので、これはいよいよだと思い覚悟をして、出来る限り傍についていたのですが、レッスンが朝10時半から入っていたので、10時15分にエアコンと電気を点けピアノを開けて楽譜の用意をしに1階のレッスン室に下りた僅か3分ほどの間の事でした。同じタイミングで、popさんも外出から帰りました。最後の最後に見送れなかった事を私もpopさんも悔いましたが、恐らくノアゴンがそうさせたのだと思います。













自分の為に買ってくれたと思い込んでいたベッドの上でその時を迎えました。宙を見詰め、何か物言いたげに少し口を開いていましたが、柔らかく艶のある毛並みはそのままに。

ジャンプ力がなくなってからは、ベッドの上に乗せてあげると喜んで、毎晩一緒に寝ていました。飛び下りる時、後ろ足がガクンとなるのを見て、段ボールに重しを入れて即席で拵えた階段は、結局使ったところを見られずじまいでした。









その日の朝のレッスンは前日の台風の振り替えで、本来ならば無い筈でした。でも、私が涙に濡れ悲しみに溺れないよう、直後にレッスンを仕組んだノアゴン。優しくて賢いノアゴンは、私が悲しみに暮れないよう、手筈を整えていたのです。この秋は発表会やらコンサートやら、生徒さん達のコンクールも幾つも仕込んでくれています。
この1ヶ月で別れの心の準備をさせてくれて、シュークリームや毎晩の添い寝などの思い出作りまでしてくれて、うちの子記念日のその日に綺麗なまま……
最後の最後まで、やること為すこと、カッコ良すぎるノアゴンでした。










ノアゴン、撫でるだけでガンを消し去るゴッドハンドにはなれなかったよ、ゴメンね。

~~そうだねchat-vert、ピアノのゴッドハンドになれるよう頑張れよ~~

お陰で億万長者の夢も消えたので、節約して……元気を出す為に、ノアゴンが残していったシュークリームを食べた後、冷凍庫の奥に虎の子にしていた1個1000円近くするエシレバターのアイスをケチって半分だけ食べた私、やっぱり食に対しての執着はノアゴンと同じです!








ビミョーな仲ではあったものの、付かず離れず
で、こちらに引っ越して来てからはツーショットも増えていたバージュはわかっているのかどうなのか……。ノアゴンの真似をして、いろんな事を学んだバージュ、ノアゴンが病気であまり動けなくなってからは、かつてノアゴンがそうしていたように、F1ダッシュで走っていました。バージュなりに励まそうとしていたのかもしれません。11歳にしてひとりっ子になってしまいました。









このブログを始めた2007年からの10年の間、ブログを通してノアゴンの事を愛し、
可愛がって頂き本当にありがとうございました。

ノアゴン、メルシーボークー、アビアント~!





このブログの主役は居なくなってしまいましたが、また落ち着いたら再開したいと思います。