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とても悲しいお知らせをしなければなりません。


11月10日、土曜日の明け方、マガリちゃんが車に轢かれて亡くなりました。

朝ご飯をあげようと、6時半頃にお皿を持って外へ出ると、うちの目の前の道で変わり果てた姿になっていました。
内臓は飛び出て、お腹も頭までも潰されていましたが、まだ生暖かく、硬直が始まる前でした。夜中の1時にpopさんが湯たんぽを入れてあげてオヤスミを言った時にはニコニコして寝ていたそうですから、恐らくその3~4時間後でしょう。







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この道は(このマガリちゃんの写真のすぐ後ろに見えている道です)、軽自動車同士がすれ違うのもやっとぐらいの細い道で、住宅の間を通っていることもあり、本来ならば最徐行すべき道なのですが、大通りに出る為の信号を避ける抜け道として利用する人がおり、たまに非常識な飛ばし方で通る人も居ます。事故の検証をしても何もならないのですが、明け方と言う時間帯なのもあって猛スピードで走ったこと、かなりメチャクチャな運転だったのは間違いありません。

マガリちゃんは道の端っこ(うちから出るか出ないかぐらいのところ)で、多分、座っていたところをやられたのだと思います。

8年半もお外で生き抜いて来た子です。それなりの交通感覚を身に付けていました。道路に走って飛び出したりは絶対にしないのです。
轢かれていた位置とその状態のひどさ、轢く前にも後にさえもブレーキ痕が全く無いこと、血溜まりの具合から推測するに、暴走車のような感じだったようです。逃げる間さえ無いスピードで襲いかかったのでしょう。
何に怒りをぶつけようが、何を後悔しようが、どれほど嘆き悲しもうが、もうマガリちゃんは戻って来ません。
何も罪の無い最高に素敵な子に、あんな無惨な最期が待っていただなんて。神様は本当に居るのかと思ってしまいます。
どうしてマガリちゃんがあんな目に遭わなければならないのでしょうか。
物語の途中で、突然ピリオドが打たれたかのような空虚感です。健康状態も今までで最も良い状態にあったのに。










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マガリちゃん、どうして避けなかったの?なんでお母さんを残して急に逝ってしまったの?
行かないで、マガリちゃん!行っちゃダメ!








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私が溺愛し過ぎて過保護にしたせいで、マガリちゃんの野性の勘を殺いでしまっていたのでしょうか?
それとも、誰にでも挨拶するほど、人間と言う存在を絶対的に信頼していたおおらかな性格がアダとなったのでしょうか?








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私の膝を暖めてくれるのはマガリちゃんしか居ないんだよ!
戻っておいで、早く帰っておいで、とどれだけ思ったことでしょう。
時間が巻き戻せるならばと、これほど思ったことはありません。








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私は本当にこの子に魅了され、本当に深く愛していました。
マガリちゃんも私のことは特別に愛してくれていました。それは何か運命的なほどでした。
一緒に過ごした時間は1年8ヶ月でしたが、非常に濃密な時間でした。私たちの愛情と信頼は揺るぎないもので、それには何の悔いも無いのです。亡くなる前日の午後にも、たくさんたくさん抱っこをして、お喋りしながら庭を散歩しましたし。
愛するマガリちゃんにとって、最も幸せな生き方を考え、尊重して来ました。
だからこそ、“猫を飼うならば完全室内飼いが絶対!”だった私が考えに考え抜いた末、このような形でマガリちゃんとの暮らし方を決めたのですが、この結末を見ると私の考えは間違いだったのかと、とても苦しいです。











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“お母さ~~ん!”

私の顔を見るなりすっ飛んで来ていたマガリちゃん。
人懐こくて、茶目っ気もたっぷりで、優しくて、素朴で、甘えん坊で、どこまでも真っ直ぐで、まるで天使の化身のように素晴らしい子でした。マガリちゃんは、周りに居る人みんなを幸せにする子でした。
今も、庭の向こうからあの子が走って来る気がしてなりません。










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“ガリガリマガリちゃん”とふざけて呼ぶほどに痩せこけていた身体も次第にふっくらとして、ハゲて赤茶けていたガサガサの毛並みもシットリ艶々に生え揃って。。。
この柔らかな毛並みの身体を撫でてあげる事がもう出来ないなんて。










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まだまだ、もっともっと一緒に時を過ごしたかった。
あんなにお喋りで、食いしん坊で、愉快な子が突然いなくなり、我が家は火が消えたかのようです。全身で私に甘え、大喜びでご飯を食べてくれるマガリちゃん。。。もうこの世には居ません。


popさんが庭にお墓を作ってくれました。
“マガリ坊、マガリぼ”と呼んで可愛がっていたpopさんだって物凄いショックなのに、私のあまりの憔悴ぶりに、一生懸命に励まそうとしてくれています。本当に有難いです。
ノアゴンとバージュも、賑やかなマガリちゃんの声がパタリと聞こえなくなって状況を察し、私の顔を心配そうに見詰めてピタリと寄り添ってくれています。やっぱり癒してくれるのはノアゴンとバージュ、そして私の人生のピアノ。
ノアゴンとバージュの為にも乗り越え、元気を出さなくてはならないのはわかっているのですが、今はただただマガリちゃんが居ないと言う現実が重く胸にのし掛かります。
突然、涙と嗚咽が襲って来ることがあり、自分でもコントロールが出来ません。
この悲しみと喪失感を、時間を積み重ねることで中和し解決できるのか、自信がありません。むしろ今は、時間が経つにつれ、マガリちゃんを失った空白を強く感じ、悲しみは増すばかりです。その存在の大きさを改めて痛感しています。
心にポッカリと穴が開いてしまいました。











マガリちゃんの悲惨な轢死体を見た日から、楽しいとか、面白いとか、素敵だな、と言った感情が持てず、美味しいものを食べても何を食べているのか、お腹が空いているのかどうかさえよくわかりません。人が笑っている意味がわからず、笑う事が出来ません。
全てに於いて足が地から浮いているようなぼんやりした状態で、常に胸を漬け物石で押さえられているように重苦しい気持ちです。
日常生活も仕事もこなしてはいますが、時間の感覚も狂い、記憶もまばら、夜もよく眠れません。時間が過ぎるのがひどくノロノロとして苦痛です。
まだ、どこかにあの子が居る気がして、どこかへ走り出したいような衝動に駆られます。









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今年の冬も、サクサクと枯葉を踏むマガリちゃんの足音が聞きたかった。
何より、私を呼ぶ声が聞こえないのがいたたまれません。

朝が来る度に、マガリちゃんが何事も無かったようにひょっこりと戻って来て、玄関前で私を呼ぶような気がしてなりません。嵐の日も、寒波の日も、蒸し暑い日も、大雨の日も、穏やかな晴れの日も、1日のスタートがマガリちゃんの声だっただけに、静まりかえった玄関が胸苦しいです。外出先から帰ったら
“お母さん、お帰り~!”
と、今日も玄関脇から出迎えてくれそうで。。。

マガリちゃんの元気で楽しげな声、マガリちゃんの真っ直ぐな瞳とイキイキとした動き、マガリちゃんのシットリとした毛並み、マガリちゃんのちょっぴりカツオ臭いお口。。。
五感の全てが寂しいです。








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どんなに痛かっただろう、苦しかっただろう。ビックリしたよね、マガリちゃん。
お母さん、マガリちゃんのことを守ってあげられなかった。こんなに愛していたのに。
ゴメンね、大好きな大好きなマガリちゃん。愛しい子を守れなかったこと、このような形で家族を死なせてしまった負を、一生背負っていかなくてはなりません。









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マガリちゃんが亡くなった数時間後から降り出した雨は、次第に叩き付けるほど激しくなりました。しかし、忌まわしく道に染み付いた轢死の痕跡を洗い流すことは出来ませんでした。玄関を出る度に目に入るその痕…烙印のようです。逃げられぬ事実を突き付けられる思いです。

マガリちゃんが亡くなった翌朝、とても不思議な事がありました。空耳かもしれませんが、いつものあの声が聞こえたので慌てて玄関を出て見ると、いつもいつも、いつでもマガリちゃんが座っていた場所(↑↑写真のこの赤い膝掛けを掛けた椅子がわりの台)から、赤い膝掛けだけが下にずり落ちていました。マガリちゃんが乗り降りする際、よくずり落ちて私が直していた赤い膝掛け。
風が吹き飛ばすはずもなく(厚みがあって重みがある上、モロに風が当たる場所でも無いので、一度も風で飛んだことはありません)、他の動物が人の気配がする玄関の真ん前まで来て、この台に座って膝掛けを落とすとはちょっと考えづらいのです。
もしかすると、マガリちゃんが最後のお別れを言いに来てくれたのかもしれません。
“ありがとう。もう行くね”
と。







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あんなに性格がイイ子とは、もう二度と会えません。
きっとマガリちゃんが素敵で可愛過ぎるから、神様がマガリちゃんのことを欲しくて仕方なくなって連れて行っちゃったんだね。育んで来た時間は長いのに、命の火を消すのは一瞬。神様、ズルイね。私のかけがえのない家族なのに。
お母さん、今年の冬は寒く、寒くなりそうだよ。









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緑の中をそよぐ風、暖かな太陽と土を愛したマガリちゃんは、文字通り土へと、自然へと還って行きました。

今は何をするにも力が沸きません。
こうしてマガリちゃんのことを書くのが非常にツラくもあり、慰めでもある複雑な心境です。自らの言葉のマジックに翻弄されているだけかもしれません。本当に情けない乱文、お許し下さい。
重ねて、無期限でブログを休止する失礼をお許し頂ければ幸いです。
コメントやメッセージ、メールやお電話を頂いてもしばらくは何のお礼もお返事も出来そうにありません。
しばらくの間、ソッとしておいて頂けると助かります。もちろん、寄せて下さったお言葉は感謝を込めて、大切に読ませて頂きます。
本当に勝手な話で申し訳ありません。









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マガリちゃんの最後の写真です。
亡くなる十数時間前です。
最後の最後まで、私のことを甘え切った目で見詰めてくれていました。
もう一度だけでいいから、あの子の声が聞きたい、そして抱き締めたいです。