Twiggy(1) | Woke Up In the Beautiful World

Woke Up In the Beautiful World

女優・モデル・音楽…美しいものは世界を救う!!
主に海外モデルを中心に紹介します。

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Twiggy (Tiwggy Lawson)
ツィッギー
1949年9月19日生まれ イギリス出身
168cm

ついに、ついにツィッギーの記事を書くまでに至ってしまった…。下調べがもの凄く面倒な上に皆さん大体のことは知っているということで私の中ではケイト・ジゼル・ツィッギーの三人はこの先取り上げないと決め込んでたんですが、結局ツィッギーに手を出してしまいました。なんだかツィッギー好きって言うとミーハー丸出しな感じがして、『どちらかというとヴェルーシュカが好きです』なんて玄人風吹かせたい気持ちに駈られるし、「好きな映画はローマの休日です」みたいな安っぽい人間に見られそうで変な羞恥心を感じてたんですが、告白します、ツィッギー好きです!本も持ってますけど何か?ということで誰がなんと言おうとツィッギー特集です。

ロンドン北部の郊外にて大工の父親と工場の受け付け係として働く母親の下、3姉妹の末娘として生を受けたツィッギーことレスリー・ホーンビー。
『家は裕福ではなかったけど、貧しかったわけではないわ。欲しいものは手に入ってたから』
しかし、強度のうつ病にあった母親の存在とその入院生活はレスリーの幼少期に暗い影を落とした。
『父は素晴らしい人で常に頼りになる人だった。母は“発作”―私達がそう呼んでいたもの―が出ると数週間入院していたわ』
15歳上の姉が母親の代わりを務め、休暇には姉とそのボーイフレンドと一緒に旅行に出掛けたという。
『振り返ってみると、戦争の時代を生きていくことは非常に恐ろしいものだったはず。爆弾が家を吹き飛ばして裏庭に落ちたりしてたんだから。その頃下の姉はまだ赤ちゃんで上の姉も6歳だったから、母の神経が参ってしまって当然だわ。きっとあれは外傷後ストレスだったと思うけど、当時は対処する術もわからなかったのね。』
しかし
『だからといって私達家族は不幸でも可哀想でも何でもなかった。』

そんな母親に幼い頃から裁縫を教えてもらい、そのおかげかレスリーはよく自分で服を作って着ていた。新しいブランド服こそ買えなかったものの、裁縫とデザインに長けていた彼女は流行を掴むために雑誌を読み、14歳になると7つ上で二番目の姉の仕事場であった美容院のアシスタントをしながらファッションデザイナーを目指して勉強するようになっていた。そして当時のスターモデルだったジーン・シュリンプトンが彼女のアイドルだった。
『ファッションが大好きでデザイナーになりたかったの。自分の服を作ったり、部屋の壁中にジーン・シュリンプトンの写真を貼っていたわ。』

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Baby Twiggy

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アートスクール行きを志望していたファッションデザイナーの卵がモデルへの道を歩き出すきっかけとなったのは、手伝いをしていた姉の美容院でだった。レスリーはそこで姉の同僚を通じ、年上のジャスティンという男性に出会った。両親は10も年上のジャスティンを快く思わなかったが、ふたりは付き合うようになった。そしてこのジャスティンにはレスリーがモデルに向くという確信があった。
『冬のある日、モデルをやってみたいってジャスティンに言ったのを覚えてる。そしたらジャスティンに君はきっと良いモデルになれるなんて言われたから驚いたわ。パパと私とで校長宛てにもうすぐ学校を辞めますって手紙を書いたの―落第点もらう前にね。』

そこで彼はヘッドショット(*モデルの全身像ではなく顔に焦点を当てたポートレート)を撮るために当時ヴィダル・サスーンのライバルと目され有名な美容師であったレオナルドのサロンへとレスリーを連れて行き、新しいショートカットを試してくれるモデルを探していたレオナルドは肩まで伸びた彼女の髪をばっさりと切り落とした。
『サロンに7時間こもって髪を切って染めてもらったの。今までにないくらいワクワクしたわ』
『その後でバスに乗ってフォトグラファーのところへ行って写真を撮ってもらったわ。それまでカメラの前に立ったことなんてなかったのよ!』
しかしツィッギーを撮ったバリー・ラテガンは自らポーズを取る16歳に思わず感嘆の声を上げたという。

数日後、サロン用にバリーが撮った数枚の写真に目を止めたDaily Express紙のファッションエディターがレスリーをお茶に誘い、更にちょっとした撮影をした。その経緯を知った父親は翌日からDaily Express紙に何度も何度も目を通したが、残念ながらそこに娘の姿は見られなかった。しかしその約3週間後1966年2月末の朝、父親がDaily Express紙を広げながらレスリーの部屋に入ってきた。その紙面には“The Face of 66”の記事が。

幾千もの表現を可能にするロンドンっ子…しかも彼女はたったの16歳!


彼女は身長167cmに体重がたった41kgとお世辞にもモデル向きとは思えないプロポーションだったが、“今までに見たこともない”その少女に人々は夢中になった。
『ジャスティンは父に私をルーシー・クレイトン(シュリンプトンなどを抱えるイギリスNo.1のモデル事務所)に連れていくと言ったけれど、反対されたわ。父は映画ビジネスの世界で働いたことがあったから業界の暗部を知っていたの。“君が娘の面倒を見るか、モデル業は辞めるかのどちらかだ”と父に言われたわ』



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一般的なモデルシステムに従わずにマネージャーはジャスティン、連絡先はレスリー、仕事の取り次ぎを母親が務め、本格的にモデルとして活動するにあたってモデルネームを充てることにした。そこで幼少期からのニックネームであったStick(スティック-棒切れ)がTwig(ツィッグ-小枝)になり、Twiggy(ツィッギー)という呼び名に変わったものを採用したのだった。彗星の如く登場した異端児の下には仕事の依頼が殺到し、Daily Express紙の記事から2週間後には早くもギイ・ブルダンの下で初めてのVogueの撮影を行っていた。加えて当時のモデル料が週15ポンドだった時代にツィッギーは雑誌の仕事を1時間80ポンドにした。


このときどれほどの女の子がダイエットに勤しみツィッギーのような体型を目指し、ミニスカートを履き、ツィッギーのポスターを部屋の壁に貼っただろうか。ツィッギーの出現は“嵐”であり“変革”でありファッション界にとっては“宝船”であった。その棒のような体型と少年のようなショートカット、驚くほど長く豊かなまつ毛を持った16歳の少女によって従来の既成概念は破られ、スウィンギング・ロンドンに新たな風が加わり、ファッションを含むイギリス文化はより大きな嵐となった。しかし同時にツィッギーはあらゆる非難にさらされることにも耐えなくてはならず、メディアは無垢なティーンエイジャーを容赦なく突ついた。自分は元々痩身でありダイエットはしていない、むしろ大食であると主張し続けるツィッギーを尻目に拒食症ではないか、拒食症の助長させている原因、“女”じゃない、などと叩いたメディアはその約30年後にも同じ非難を同じく10代でイギリス人モデルのケイト・モスに浴びせることとなる。
<14~15歳の子供たちのアイドルは発達途上で少年のような容姿。彼女は粗末でみすぼらしい未熟なあらゆる不愉快な事柄を美徳にしてしまった>
ロンドンのデイリー・メールは写真の中で虚ろな空気を纏い、その体型から不健康に見えるツィッギーをこのように書き立てたが、少なくとも当時のUS VOGUEの編集長で若いモデルを積極的に使っていたダイアナ・ヴリーランドはツィッギーの味方だった。
『彼女は一発屋などでは終わりません。小さな時代の小さな女王です。ふざけた容姿ですけどね』

この年には「Beautiful Dreams」というシングルを発表し、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼女は歌手デビューも果たしたが、本人は
『“Beautiful Dreams”のことはとてもよく覚えてるわ。まだこの世界に入ったばかりのときに作ったのだけど、“あれをやれ これをやれ”って色々な申し込みが殺到していたの。正直言って、あれは間違いだったわね。だって自分のしていることを理解していなかったんだもの。ケン・ラッセルの映画に出て、もう一度歌い始めるようになったわ』