台湾茶・中国茶は、五感を感じる事が出来る飲み物、と私はよく言います。
お茶と出会って16年。
何故ずっと好きなのかなと考えると、この「五感を感じられる」のもっと奥に、
「自分を表現出来る」があるから。
今年の春位に、
悲しさをお茶で表現出来る?
って聞かれました。
「悲しさ」と言われるとピンとは来なかったけれど、「切なさ」なら出来るかなと。
お茶で感情を表現出来るって凄い、悲しさに浸れるお茶があったら飲みたい!と
言われました。
今迄意識はしなかったけれど、あらためて考えると、自分の感情によって
必ず飲むお茶がある事に気付きました。
音楽だって、悲しさに浸りたい時、嬉しいや楽しい事があると
もっとテンション上げたくて聴く曲。
音楽で過去の記憶が蘇る様に、お茶の香り、味で
その時の情景・色・匂いまでもが一瞬にして蘇る。
お茶を淹れる時、美味しく淹れたいと言う気持ちが先行してしまいがちだけど、
「感情に寄り添いながら淹れる」事をしていきたいと思い始めています。
ずっとお茶を淹れてると、美味しさを追求したいと誰もが思う。
水や道具の大切さも勿論重要だと思う。
変えただけで、こんなにも違うの?!と言う事も沢山あるしね。
見た目だってそう。素敵な茶器で飲むお茶は、伝わり方も違うって思う。
でも、その見た目に自分が惑わされる事も多い。
昔、お婆ちゃんが淹れてくれたお茶は、本当に美味しくて身体に沁み渡りました。
何所でも売っている様な急須と湯呑と水道水で淹れたお茶。
私が同じく淹れても同じ味には全然ならない。
そこには、美味しく淹れたい気持ちがある他に、お婆ちゃんの想いが
私に寄り添っていたからなんだと思います。
「美味しいね」と言われると嬉しいけれど、私が淹れるお茶で
心が落ち着いたり、泣けてきたり、楽しくなったり、
そんな風に心に寄り添う事を、お茶で表現出来る人に私はなりたい。