戦後の韓国人の蛮行について信者に嘘を吹き込む文教祖 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■日本人信者に嘘の情報を吹き込み韓国への贖罪意識を抱かせ最後には献金を要求

第二次世界大戦
韓国の出征者 約24万人(※志願 内戦死者 約2万1千人)
日本の出征者 約600万人(※徴兵 内戦死者 約200万人)
 

併合時、戦時中の韓国人の志願兵は24万人でしたが、文教祖は「韓国は徴兵で二百万人以上連れていかれた」と日本人信者に嘘を教えます。さらに韓国兵が日本兵の防波堤にさせられたとも言っているのです。これも嘘です。
日本人信者が戦後生まれで何も知らないのをいいことに、捏造した情報で洗脳するわけです。

韓国から見た場合に、民団などは徴兵でもって、二百万人以上連れていかれた人々なのです。それで、大東亜戦争で日本の若者たちがみんな死んでしまって、寡婦ばかりになった中で、みんな養子となって、日本の名前に変えて日本の言葉を使って、日本の肩書きを持つようになったのです。ですから、民団が一度傾いた場合には、その者たちがみんな統一教会の文先生の後につくようになるのです。そこで、「一つになりなさい」と言えば、日本は大変です。悪辣な侵略国家として烙印を押された歴史は、世界的に否定できないのです。いくら日本が宣伝してもできません。』
(日本男性訪韓修練会 1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院)

『日本が韓国を占領したので、日本がやらなければなりません。その責任を日本が負わなければなりません。日帝治下の四十年間で、多くの韓国の愛国者が犠牲になりました。日本は、自分たちが起こした戦争に韓国の人々を引っ張っていって防波堤にしました。
(「神様の摂理と日本」より 1991年11月21日のみ言葉)

文教祖はさらに腹立たしい嘘をついています。
戦後、日本では戦争未亡人が多数いました。しかし日本にいた韓国人は戦後、女子供しかいない家に押し入り強姦し、無理やり内縁の夫となり家や土地を乗っ取る事件が多発したのです。その韓国人(当時は朝鮮人または三国人と呼称)の蛮行はひどいものでした。
その内容が戦後、何本も映画になったくらいです。
しかしそのことを文教祖は日本人信者にどのように語ったかみてみましょう。

『大塚氏! (「はい。」)太平洋戦争のとき、夫が出て行って死んだその嫁たちがいます。日本にいる寡婦たちのことですが、その寡婦たちがデモを起こす危険性があったので、それを防ぐために何をしたか知っていますか? 韓国人が徴用で行き、健康な人たちが一人で暮らしているので、この人たちに名前を付けて養子にしたのです。直系の息子、娘として生きた韓国人の種がたくさんあるというのです。大塚氏も、その中の一人かもしれません。(笑い)見た目も日本人のようではありません。(笑い)』
(第二十五回「愛勝日」のみ言葉 2008年1月2日 韓国・天正宮博物館)

『韓国から見た場合に、民団などは徴兵でもって、二百万人以上連れていかれた人々なのです。それで、大東亜戦争で日本の若者たちがみんな死んでしまって、寡婦ばかりになった中で、(韓国人が)みんな養子となって、日本の名前に変えて日本の言葉を使って、日本の肩書きを持つようになったのです。ですから、民団が一度傾いた場合には、その者たちがみんな統一教会の文先生の後につくようになるのです。そこで、「一つになりなさい」と言えば、日本は大変です。悪辣な侵略国家として烙印を押された歴史は、世界的に否定できないのです。いくら日本が宣伝してもできません。』
(日本男性訪韓修練会 1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院)

『なぜ日本人の中で、韓国から徴用に来た兵士と……。夫が太平洋で死んだ寡婦たちが、韓国の男性たちを養子にして自分の夫の代わりとして一緒に暮らすのです。そのようなことがざらにあります。何百万になるのです。村でうわさになるので、北海道や鹿児島など、いくつかの県を経れば、だれも分かりません。そして、子孫たちの中に韓国の種が多いということを知らなければなりません。それが何の話か分かりますか? 若い人たちが客死して夫が死んだので、女性たちが大勢残ったではないですか? 村に徴用で来た韓国の人たちを息子にして、婿にして……。独りで暮らすのは難しく、助けてもらうためには男性が必要です。名前は簡単です。夫の名前で暮らすこともできるではないですか? それで、大勢の二世たちに韓国の血が混ざったのです。何の話か分かりますか?』
(日本人特別集会のみ言葉 2006年9月13日 韓国・天宙清平修錬苑)

『世界で太平洋を占領すると決意したのが、日本人ではないですか? ハワイを占領しようとしたでしょう? 占領しましたか、占領できませんでしたか?(「占領できませんでした。」)占領しようとした愚かな男性たちは皆、死にました。そのおばさんたち、その息子、娘は今後、死んだ父親の魂を自分が代わりに受けて、太平洋の第二の主人になろうと考えているのです。
 ところが、その息子、娘たちですが、日本人同士で結婚して、夫が軍隊に行って大勢死に、その妻たちと暮らす人が韓国の男性たちです。それを知らずに暮らしている人が多いでしょう。
 「太平洋に行って息子が死んだ。」と言ってよいのですか? 妻も「死んでいない。」と言い、舅や姑、市長までも、派出所の所長までも「死んでいない。」と言い、徴用で(韓国から)来たりっぱな男性たちを中心として、一緒に暮らせるようにしたのです。派出所が守ってあげて暮らせるようにした人が、どれほど多いか分かりません。日本の国の歴史は、そのようなことを知らないでしょう。
 皆さんの親戚の中で、そのような人たちがいることを知っているでしょう? 知りませんか、知っていますか? (笑い)過去にそのようになったので、今はもうここに来たからには、行くことはできません。』

(第四十四回「真の万物の日」記念礼拝のみ言葉 2006年5月27日 韓国・天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿大聖殿)

これでは日本人が頼んで韓国人を養子にしたみたいじゃないですか。
それに現在、在日韓国人のほとんどが不法入国によるもので、徴用された人はわずかです。
韓国人の蛮行を隠そうと必死なのがわかります。文教祖は戦前生まれですから事実を知っているのにです。
事実はまったく違うのに・・・・。

在日韓国・朝鮮人が日本人の戸籍を乗っ取り(※いわゆる背乗り)家や土地を奪う、未亡人を強姦して内縁の夫に居据わる、主人のいない空き家や空き地を不法占拠等・・・・

こういうイメージです↓ ↓ ↓
<藤子不二雄Aが描いたとされる漫画「不気味な侵略者」>
乗っ取り(1)
乗っ取り(2)

しかし文教祖の頭の中は韓国・北朝鮮支援しかなく、日本人は韓国に貢ぐのが当然としか考えていません。

『皆さん、韓国の人々が、今まで日本人ゆえにさまよい、どれほど通りで涙を流したか、知っていますか。夜も昼も、過去四十年間どれほど蹂躙されたでしょうか。通りごとに血を流さなかった所がありません。そのようなことを考えるとき、今日本の皆さんがみ旨の道に来てこのようにしているということは、有り難いことです。先生を知り、真の御父母様がいらっしゃる祖国の地を創建するという偉大な名誉が伴っているという事実です。分かりますか。不平を言ってはならないのです。』
(「神様の摂理と日本」より1991年11月3日のみ言葉)

『三番日は、日本と同胞の一体化です。「僑胞」と言えば、韓国の人だけを考え、韓国と連結された人のことだけを意味していて、朝総連は入らないのです。しかし、「同胞」と言えば朝総連も入ります。
 今回、「柳寛順同胞大会」を行った時、「同胞大会と言った」とぶつぶつ言う人がいたでしょう? それは、何も知らずに言っている話です。「同胞大会」と言ったからといって問題になるものではありません。しかし、「同胞」でなければ南北を包容することができません。南北の僑胞をみな合わせて「同胞」と言うのです。
 皆さんは、韓国同胞と言います。愛を中心として同胞愛を感じることができるように、一つにならなければなりません。居留民団や韓国人が日本の中でいじめられるのは、もうこれ以上耐えられないことです。
 昔は、日本人が韓国を軽く見て大騒ぎしながら訪ねてきたのですが、今からは反対にならなければなりません。日本は、四十年間韓国民族を迫害し、最後には徴兵、徴用によってすべて引っ張っていきました。それにもかかわらず、今、日本は、それさえも「責任を負わない」と言ってほうり投げています。』

(「神様の摂理と日本」より 1992年11月21日のみ言葉)

いじめているのは一体どっちでしょうか。




<戦後の朝鮮人の蛮行に立ち向かった日本人を描いた映画>

【三代目襲名】 出演:高倉健ほか
終戦後の朝鮮人の横暴を描いた映画。
終戦による混乱に乗じて、不良三国人は「三国人聯盟」を結成し、集団テロ、略奪、婦女暴行という蛮行を繰り返した。
日をおってエスカレートする不良三国人の暴虐さに根を挙げた警察は、山口組自警団に警備を依頼したのだった。
(動画)http://www.youtube.com/watch?v=6LEDAbJ-MVk
戦後の山口組 田岡一雄と三国人連盟(朝鮮人・朝鮮進駐軍)との戦い
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<朝鮮進駐軍の蛮行>
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。
GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。


朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

◇服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。

◇時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

◇朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

◇朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧

大阿仁村事件(1945年10月22日)
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日)
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日)
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日)
上郡事件(1952年5月8日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日)
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)
http://anond.hatelabo.jp/20100131154721


※初回更新日 2013-10-09 18:36:57



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