文教祖いわく「地球外生命、宇宙人は存在しない」 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■1965年10月7日、文教祖が日本を訪問した際に交わされた信者との質疑応答で、文教祖は「宇宙人はいない」と述べました。(東京都渋谷区松涛本部教会にて)



信者:「宇宙には人間と同じ生物か、それとも高等生物がいるんでしょうか」

文教祖:「ああ、いない。それは遠からずして証明されるでしょう。火星に何がいるか? いない。なぜ言えるかというと、我々が生きているこの地球というのは微妙になっている。一気圧になっている。この気圧の圏内においてこそ生物は存在し得るというんだね。それがこの地球の神秘である。この気圧がちょっと薄くても存在できない。ちょっと強くても存在できない。」


信者:「人間が宇宙の最高存在であるという根拠は」

文教祖:「人間が神の心情を知ってこそ、自然とそこに入ればね、私が左へ行けば全部が左へ動いて行く。南に行けば全部南にすべてのものが向くというんだね。だから宇宙の中心であるというんだね。万物の霊長である。何で霊長か。神の心情基準と自分が一致すると、私が北の方に行くと、すべてのものが北の方に向く。南の方に向けば、南の方に向くというんだね。だから先生がここにいなくても、霊界の方ではみんな地上が中心になってるよ。統一教会の食口たちは先生がどこに行っても、そこに向かって寝たい。自分知らずにそうなっちゃうんだよ。だからそういう基準が神の愛と共に果たし得るから、その基準を持ってからこそ、初めて万物の霊長たる権限があるわけです。それがなければ何にもない。だから釈迦がそういう境地に入ったのもね、神の愛の頂点に初めて入ってみるというと、そういうのを体験した。だからそれがあるから神の心情と一致したその基準があれば、あらゆるその愛に因縁を持っておるものはこれに向かう。なぜかというと、盆栽に花がある、この花ですね。光が二つ。一つは明るい光。一つは薄い光。どこを向くか。明るい光に向くというね。薄い光をさておいて明るい光に向かう。これは自然現象である。神の心情圏というのは明るいその生命の根源である。そうなるというとすべてのものは向きがある。そういうふうになっている。神の心情を中心としての人間の万物の霊長の権限がある。」


信者:「太陽系の中に変化が起きて、人類自体が危機に面するということはありますか」

文教祖:「今から四年前か五年前か、ある学者が、「地球に何か彗星が正面衝突するんだから、地球星がみんな破壊してしまう」。そういう間の抜けた事を言うなよ。そういう存在が来ても、地球は、その反発力で押す力を持っている。君たちも、自分知らずに、危ない事があればその反動力が生じる。そういう作用をしている。正面衝突して根本的実体がなくなるという事は不可能だ。この地球が同じ運動をする以上は、その熱度はそう変わらない。我々の血液が、三十六度五分という基準を保つのは、血液循環が同じ速度で動いてるから、同じ温度を保っている。太陽系を中心とした地球が公転する早さと、それ自体の公転する軌道と、二十四時間という自転する速さが変わらなければ、地球のその熱は変わらない。それがわからないんだね。運動の速度が変わらなければ、同じ軌道の速度もそれ自体を保つ。だから太陽の回る速度が一定でなければ変わる。」


信者:「地球自体が、いくらか傾斜してますが」

文教祖:「それは全体的影響でそうなっている。自分一個体の基準でなっているんでなくて、全体の影響によってそうなる。それは台風とか、地震が勃発する。それは、地球自体によってそうなるのではない。引力の関係によってそうなる。なっちゃう。何百年何千年のその統計をとってみれば、それが一致する。」


信者:「地球と同じようなものが、広大な天宙の中にある可能性はあるんでしょうか」

文教祖:「そこに人があると?」


信者:「ええ、当然地球というものがあるなら、そこに」

文教祖:「この地球星より以上の地球星があるとすれば、そこを中心として神は創造目的を完成している。だから君たちは霊界に行けばね、ある天使たちとね、人と姿は同じである。「どこから来たか?」。「私は火星から来た」、「木星から来た」と、そう言うんですよ。「火星に人がおったか。向こうから降って来た」、そう思う。そうじゃない。霊界におる天使たちだ。これは全宇宙が我々の活動舞台になっている。あるいは太陽にも行かれるよ。いくら火の中に入っても我々の霊人体は焼けない。遠い宇宙が自分のものになるよ。何千億光年という長いその膨大な宇宙があっても、霊は、一瞬に全宇宙を活動する。光なんか問題にならない。地球を十遍回るよ。宇宙に行ってくるよ。素晴らしいもんだ。だから、我々に活動のけんかい圏界として造ってやったんだから、神は我々に霊人体を造ったのは、そういう目的でもって造った。壁があっても霊人体はスーッと通過して何の差しつかえない。星とね、太陽と地球ぐらいの間だよ。何千万人の霊人体が一列に並んで壁の中をフッと通過しても、この地球の間で引っ掛からない。」


信者:「先生は、太陽系の中のどの星に一番、惹かれますか」

文教祖:「太陽に惹かれるんだね。」


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もし宇宙のどこかにでも知的生命体がいたらこの文教祖の話も「嘘」になってしまいますね。

文教祖のいうメシアとは「天宙(全宇宙と霊界すべての被造世界)」にたった一人、完成されたアダムもこの世にたった一人ではなくてはいけないわけですから。それが、まさに文鮮明教祖なわけです。

だからこのような↓内容も徹底教育(洗脳?)しないといけないわけで・・・。

『この統一教会の食口と唱える若い者たちにおいても、自分は堕落したのか分からない者たちがたくさんいる。特に、初めて統一教会へ入った者たちにおいては、もちろんそうである。「堕落なんて思いもしなかった。自分の先祖の先祖、一番の先祖が堕落したって?何千、何億年昔の、おとぎ話みたいなその堕落の話と、何のかかわりがあるか」。ピンとこない。だから、問題はあなたたち、堕落したという堕落観念を、いかに強固に感ずるかということが第一の課題である。
(メシヤと我々 1972年4月23日)

『ですから、私たちは堕落観念に徹しなければなりません。それを元通りに転換しようとすれば、まず何を感じなければなりませんか? メシヤを求めることよりも堕落観念をいかにして確実に体恤するかというのです。何としても堕落観念に徹しなければなりません。堕落観念に徹すれば徹するだけその願う力が強くなります。
(メシヤと我々 1972年4月23日)

堕落していると思った瞬間からメシアを求めるようになる → 文教祖から命令される → 堕落しているから救われなければならないので絶対服従も甘受

七男の文亨進世界会長が言ったように信者は「罪人」であり、「真の父母の奴隷」であるから絶対服従しなければならないという内容と文教祖の「堕落観念」の徹底教育はよくみると基本的に同じに見えますが・・・。

※初回更新日 2012-04-23 12:35:41