み言葉によると分裂・紛争するのは「サタンの愛」、では真の子女は何故分裂するの? | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■サタン世界の愛とは分離させる愛であり分派をつくる愛なのです(by文鮮明)

サタン世界の愛とは、どのようなものでしょうか。自分だけのために、自分の家庭だけのために生きるのであり、それ以外にはないのです。すべて利用して、分離させる愛であり、分派をつくる愛なのです。
(1984年4月12日のみ言葉)

分裂させたり、分派をつくる事は「サタン世界の愛(堕落の愛、偽りの愛)」だとみ言葉で文教祖は述べています。

真の子女は、統一教会では原罪のないといわれる真の父母(文教祖夫妻)から生まれた子供です。
人類初めて原罪がない両親から生まれた子供でもあるのです。
真の子女は兄弟同士で争うはずもなく、怨讐視するはずもないはずなのです。
そのことをみ言葉では・・・・

『万民が苦悶の声を上げて忍んでいる最中に、神様の救援摂理のすべての内容を備えた一つの宗派が生まれて、すべてを収拾していくのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界を率いて神の国へいくのです。その基準は、堕落した先祖のアダムの基準ではなく、堕落しなかった元の家庭の基準なのです。元の家庭として出発できるアダム・エバの基準なのです。その基準とは、心身一体になる神の愛によって、絶対に血統的に一つになるものであり、そういう心身一体となった男性と女性が、夫婦一体となっていくのです。永遠の愛に従って絶対一体になった夫婦は、和合一方きりの血統につながるので、そこに生まれた子供には兄弟紛争という概念がないのです。紛争ではなく、一つになるような後孫を持つことによって、神の血統を中心として、神の愛を中心として、三代共々が一つになるようになった基準が、天国の出発の起点だったのです。
(蕩減復帰の峠を越えましょう 1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院)

真の愛によって一体になった夫婦は「和合一方きりの血統」だと言っています。つまり、和合(調和)しかなく、分裂は決してないということです。

そしてその子供には「兄弟紛争という概念がない」と言っています。これは決して争うことも、分裂することもないということです。

しかし文教祖の子女、統一教会で原罪がないといわれる真の子女でさえもすでに分裂しています。
最近はお互いに「裁判闘争」まで繰り広げていますし、実の兄弟に対してサタン(悪魔)呼ばわりまでしています。

文教祖も神や自分のことをこのように述べていたのですが・・・。

『皆さんには怨讐という概念があってはならない。怨讐という概念があれば、神様の子女になることができない。神様の心には「怨讐」という概念がない。もしもあれば二元論になってしまう。それゆえに神様は「怨讐を愛せよ」と言われたのである。』
(「天地の大道」より1992年11月17日のみ言葉)

先生に怨讐がいますか? 怨讐がいますか、いませんか? いません。怨讐よ滅びよという考えがありません。怨讐があってはなりません。天国を築けません。私が好むことのできる基盤において、良いものを取る前に、怨讐がいたらそれを忘れてしまわなければなりません。
(「天宙還元」宣布 2006年6月29日のみ言葉)

(参照:統一教会は「日本は韓国に贖罪しろ」といつまで言い続けるだろうか

神や文教祖には『「怨讐」という概念すらない』と言っているのですが、日本は文教祖にとって怨讐の国として、文教祖の子供は兄弟紛争で裁判闘争しています。

統一教会の神は分裂を好む神でなのでしょうか。
統一教会の愛は闘争を好む愛なのでしょうか。

そして文教祖の息子は、統一教会の宗教観について三人とも違う見解を持っています。

三男・顕進氏 →「私たちはキリスト教の分派ではない」
四男・国進氏 →「私たちはクリスチャンではあるが、既成教会とは見解が違う」
七男・亨進氏 →「統一教はキリスト教ではなくキリスト教に根を置いた新しい宗教」

(韓国雑誌「新東亜」顕進氏、国進氏インタビューより)
https://docs.google.com/document/pub?id=1WxqFQGRR2E9nkxo4lDntrjJSVFDHu3iwgOJtunQq-Ds&pli=1

もうすでにバラバラです。

分裂・分派形成を聖書や統一思想でも「サタンの愛・偽りの愛・肉の働き」とだと説明しています。

予断ですが、三人の統一教会の宗教観が文教祖と近いのはどちらかというと、三男(顕進)でしょうか? 四男(国進)もキリスト教の位置から外れていないので遠いともいえませんが・・・。七男(亨進)に至ってはもう別の宗教という捉え方です。
現在、文教祖の統一教会をどのような宗教だと思っているのかはもう少し検証が必要でしょうが、以前はこのように述べていました。

私たちの統一教会は、キリスト教の分派ですか、主流派ですか? 主流派なのですね。イエス様の死によって霊的救いは受けましたが、本来イエス様が父母として来なければならないのです。父母たる位置と魂をもってこなければならないのです。それで「真の父母」が偉大なのです。ですから、「イエス様は私の弟子だ」というのです。これから既成教会の人々が霊界に行ってみなさい。イエス様が私に会えば、彼らに対してより、私にあいさつをよくするのが分かるはずです。』
(サタン側習慣性の打倒と天側秩序の確立 1991年1月13日)

話を元に戻して。
では聖書のサタンの愛(偽りの愛)の説明は・・・

『肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。』
(ガラテヤ人への手紙 5章19節)

統一思想のサタンの愛(偽りの愛)の説明は・・・

『それでは真の愛と偽りの愛とは、いかなるものであろうか。文先生の愛に関する教えによれば、真の愛は「投入してもまた投入し、与えてもまた与える愛」、「相手のために生きようとする愛」、「最短距離を直行する愛」、「始めは小さいが次第に大きくなる愛」、「永遠、不変、絶対なる愛」、「無条件の愛」、「地球規模の愛」、「怨讐をも愛する愛」などである。それに対して、偽りの愛は「奪う愛」、「自己中心的な愛」、「屈折した、よこしまな愛」、「始めは大きいが次第に小さくなる愛」、「衝動的な愛」、「条件つきの愛」、「塀で区切られた愛、分派をつくる愛」、「憎悪心・復讐心を抱く愛」などである。』
(「頭翼思想時代の到来」より) 

そして復帰は堕落によって分かれたものを一つにするはずなのですが、メシアの家庭が和合できず、分かれていては何を目標にすればいいのでしょうか。



■全てを分裂させるのはサタンの愛

聖書でも「敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ」は偽りの愛であると言っていますが、み言葉でも同じように言っています。

『統一教会という名称は、なぜ生じたのでしょうか? それは人間が、堕落したからです。・・・
サタンの作戦は分かれさせる作戦だという結論が出てきます。堕落とは、分かれるようにする業です。それゆえ、堕落の張本人であるサタンは、どのような主人公でしょうか? すべてのものを分裂させる主人公です。それゆえ、今まで分かれてきたのです。ばらばらに分散させて、一つの目的を成せないように、押しやるのがサタンの作戦です。』

(統一教会 1963年5月22日のみ言葉)


一つになろうという運動の前に、分裂的で、破壊的な行動をする人は、私たちの敵です。サタンは皆さんを殺す矢として、それを利用しているという事実を肝に銘じなければなりません。』
(統一教会 1963年5月22日のみ言葉)


統一教会で説いている愛には「怨讐という概念もなく」「兄弟紛争という概念もない」というのにメシア家庭の裁判闘争と分裂は、み言葉とは正反対です。

文教祖はこのようなことを言っていたのですが・・・

『私には怨讐がいません。私が教えた原理は、怨讐を愛していかなければならないのです。』
(「天宙還元」宣布 2000年6月29日)


亡くなった日本統一教会の久保木会長は著書の中で「日本の宗教観」をこのように述べていました。

『言葉になった教理は、言葉の対立を生む可能性があります。日本人は言葉の対立を好みませんでした。曖昧でわかりにくい民族たるゆえんです。しかし、深い宗教的文化伝統を残しています。こうした深い宗教的伝統を生かして、各宗派の教理の深さを理解し、それぞれを尊重し、尊敬しながら、相互の和を図る役割が日本にはあるのかもしれません。対立を和らげるのは、母の役目です。犠牲的精神と慈悲の心と、深い宗教的精神で諸宗教の一致を図ることに努力すれば、世界の平和と安定に日本は本当の意味で貢献することができるはずです。』
(「愛天愛国愛人―母性国家日本のゆくえ 久保木修己回顧録」 久保木修己著 世界日報社刊 1996年発行)

分裂や対立を好まず、怨讐視せず相手を尊重し受け入れる日本人的思考は、まんざらでもないかもしれません。