文国進グループ会長も兄弟に殴られて育った | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文国進グループ会長も兄弟に殴られて育った

真の家庭とは暴力を振るう家庭なのか・・・・・。

文国進グループ会長は2008年4月18日「文亨進世界平和統一家庭連合世界会長就任式」の祝辞において下記のように語っています。


『わたしたちの家庭において、わたしは真ん中です。わたしの上には、兄や姉が大勢いて、下にも、弟、妹たちがたくさんいます。
 わたしは、三歳のとき、お父様の後について米国に行きました。当時、わたしたち統一教会は、とても多くの迫害を受けていたのです。ですから、わたしは、子供のころから、学校でも、随分けんかをしました。殴られたこともあり、殴ったこともあります。ずっと困難な中で生きてきました。
・・・ わたしは、真ん中の弟として、兄もたくさんいて、大変なことがたくさんありました。わたしは、兄たちから殴られたこともあります。わたしは、これまで生きてくる中で、随分たくさん殴られました。

(2008年4月18日「文亨進世界平和統一家庭連合世界会長就任式」の祝辞 文国進グループ会長)


四男の文国進理事長からみた兄とは、孝進・興進・顕進の三人です。興進氏は17歳で若くして他界しましたが、子供のころから殴られていたのだと考えると文国進理事長を殴っていたのは兄の三人(孝進・興進・顕進)なのか、あるいはそのうち一人なのかはわかりませんが・・・・。

このような祝辞の場で殴られたことを告白するくらいですから、相当心に傷が残ったものと考えられます。単に兄弟のじゃれあいの中での起きた喧嘩とは違う、ストレスのはけ口や、言うことを聞かなかったとして下の弟を殴ったようなニュアンスの言い方です。

そしてこの祝辞の編集前の内容では、「お父様(文教祖)は本当に怖かった、怖かった、怖かった」と涙を浮かべて語っていました。その内容は後に編集されカットされ文書化されました。(私は実際にそのビデオを見ていました)

国進グループ会長は兄弟のみならず、父親にも殴られていた可能性があります。

hitosato氏のブログでこのような記事がありました。
「殴られて育った子女様」より
http://blogs.yahoo.co.jp/hitosato551/8546524.html
『ある子女様には、全世界注視の公の場で、自分はすべてのお兄さんから殴られたことがあり、それも何度も殴られたと涙で述懐された方がおられた。殴って教育する方法は、今、日本の教育現場では許されないが、昔は当然の如く存在していたから、「お兄さん」も愛情から殴ったとみることもできる。しかし、「たくさん殴られました」と言われ、「後になってみれば感謝です」という言葉はなく、涙で述懐だけというのでは教育的手法の限界を超えていたとみるしかない。
殴られて育てられれば、人を殴って教育しようとするようにもなる。そして殴られた当人には殴った相手に対して心のしこりが残る。今日のけんかの遠因はこの辺にあるとみて間違いないだろう。そうであれば、良い方向に収まることはないとみるのが妥当なところ。分裂は必至。』


ある子女様とは国進グループ会長のことなのでしょうか。

文教祖も実際、子供たちを殴って教育していましたので、結局子供たちも自然と親の行動を見て、兄弟や友人を殴る暴力が自然に身についた(血筋?)のでしょう。

『殴られて育てられれば、人を殴って教育しようとするようにもなる。そして殴られた当人には殴った相手に対して心のしこりが残る。』

まさに現在の真の家庭はこれに当たるでしょう。

「真の家庭の暴力行為」についてはこちらを参照ください。




■子供を殴って教育することは必要とする文教祖

<次女の仁進の告白>
『仁進は私に言った。文鮮明は彼女を何度も何度もたたきながら、自分は彼女を愛するがゆえにたたいているのだと強調した。彼女が「お父様」の手でたたかれるのはこれが初めてではなかった。彼女は言った。警察にいって、文鮮明を児童虐待で逮捕させる勇気があればいいのにと思ったわ。私は彼女に一番いいブルージーンズと白いアンゴラのセーターを貸し、その話によっていかに衝撃を受けたかを隠しておこうとした。
 「真の家庭」内での新生活のなかでもとくに、文家の子供たちとその両親のあいだの不和は私を唖然とさせた。私は早いうちに、これが暖かく愛情あふれた家族だという考えは間違いだと気づいた。彼らが霊的に完壁な状態に到達しているとしても、日常の彼らの関係にそれを見いだすのは難しかった、たとえばもっとも幼い子供でさえ、日曜の午前五時の家族の敬礼式に集まるよう言われていた。幼い子たちは眠く、ときには不機嫌だった。女たちは最初の数分問、子供たちをなだめようと努めた。私たちがすぐに子供たちを黙らせられないと、文師はかんかんに腹を立てた。文鮮明が自分の子供のひとりを黙らせようとたたくのは何度も目撃したが、初めてそれを見たときの嫌悪感を思い出す。もちろん、彼の平手打ちは、子供たちをますます泣かせるだけだった。』

(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」文藝春秋社 P127)


<文教祖の教育方法>
『ときには子供たちを訓練しようとして暴力をふるうことがあったとしても、それは真に子供のためなのですから、後になって子供たちは「あれは自分にとって、最高にいい訓練だった」と悟ることができるのです。』
(苦難と涙1978年3月1日 米国・ベルベディア)


文教祖も韓国人の凶暴性についてわかっているようです。

『韓国の男は、乱暴な気質があります。それが男です。日本ではおっさんが殴るのです。日本の男は、韓国のように殴りはしないでしょう。その代わり、けるでしょう。けられたら、蕩減の歴史であると思って、それを面白げに消化していきなさい。』
(本郷人集会でのみ言葉 1991年8月22日)

日本人男性は韓国人男性に比べてやたらと暴力ふるいませんよ。韓国人が暴力的だから日本人もそうだと思い込んでいるのでしょうか。それとも韓国人だけ殴るというとイメージが悪いので日本人も暴力を振るうのだと、ただ言っているだけなのでしょうか。

そして文教祖自身も暴力に対して我慢ができない正確だと本人も自覚しているようです。

『昔、日帝時代、監獄で私をひたすらに踏んでは殴った人がいました。その時私が考えたことは、怨讐を愛せというけれど、踏んで殴られると、私の性格ならばすぐに足でけり返してしまうはずなのに、「こいつ、さあ、お前やってみろ。耐えてやろう。死ぬ境地に行っても耐えてやろう」と、そのように考えたのです。』
(真の御父母様の生涯路程1より)

文教祖の性格は殴られたら我慢できず殴り返す、喧嘩っ早い、原理用語の堕落性本姓で言うと「血気怒気」でしょうか。

幹部もしょっちゅう文教祖に殴られていたようですし、真の子女の娘・息子たちも殴られていました。

結局、それは真の家庭の兄弟同士にも遺伝・伝播されてしまったようです。

そういう内容を見るにつけ「自称真の家庭・真の子女」だと思えてきます。

個性完成した本然の人間は「心と体」が葛藤しない人間ではなかったのでしょうか。