日韓併合時代の神社参拝について | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■日韓併合時代の神社参拝について

38 : :01/12/18 22:26 ID:2yM0DW6T
http://www.yasukuni.jp/new/osonfa/sinjitu.htm
の「日韓双方の聞き取りから見えてきたもの」から

 神社参拝にしても、強制的にさせられたと韓国で言うわけですね。
確かに、韓国人に聞きますと、いかざるを得なかったと言います。
けれども、日本人に聞いてみると、日本人の学生がみんな行くので、
韓国人の学生も一緒に行ったけれども、行きたくない人を
強制的に連れて行ったわけではないと言うのです。
学校の先生をされていた日本人は、教え子にクリスチャンが1人いて、
神社参拝はできませんというので、みんなが神社参拝している間、
外で待たせていたと語っておられます。

だって。
http://mimizun.com/log/2ch/asia/1008650396/


<日韓双方の聞き取りから見えてきたもの>
―韓国が常に批判する、いわゆる「従軍慰安婦」や神社参拝、創氏改名についても聞いておられますね。
呉 これも、インタビューした日本人たちは、自分たちの体験したことと戦後言われていることとは違うというわけです。例えは、女性をむりやり連れて行って「従軍慰安婦」にしたという話などはみんな反発するんです。そんな話は当時聞いたことがないと。
  特に、総督府で警察の幹部だった方は、当時はものすごく警察がしっかりしていたので、どこかで何かが起きたときには全部耳に入ってくるのに、むりやり連行されたなどという話はまったくなかった。隣の娘を強制的に連れて行ったというなら、朝鮮の人はそれをただ黙って見ていたのか。そんなときは、必ず力ずくで抵抗するだろうし、そんな事件が起こったら必ず報告が入ってくるはずなのに、まったく聞いたことがない。そんな噂すら聞かなかった。こう言われるわけです。
 神社参拝にしても、強制的にさせられたと韓国で言うわけですね。確かに、韓国人に聞きますと、いかざるを得なかったと言います。けれども、日本人に聞いてみると、日本人の学生がみんな行くので、韓国人の学生も一緒に行ったけれども、行きたくない人を強制的に連れて行ったわけではないと言うのです。学校の先生をされていた日本人は、教え子にクリスチャンが1人いて、神社参拝はできませんというので、みんなが神社参拝している間、外で待たせていたと語っておられます。
 創氏改名の問題も、したい人だけがしたわけで、決して強制ではないと日本では言うのですが、韓国側はそうではあっても、例えば創氏改名しないと仕事につけないとか、そうせざるを得ない状況があった。だから強制だと言うわけです。インタビューではこのことも聞いたのですが、学校でも李さんは李さんとそのまま呼んでいた。名前を変えた人もいたけれども、自分の親から絶対に変えるなと言われていたので自分は名前を変えないという人もいた。こういう話なのです。
 こうしたことから分かることは、神社参拝にしても創氏改名にしても、そのぐらい融通性があったということです。
 それにしても、韓国では神社参拝や創氏改名を「日帝36年」の象徴のように言いますが、冷静に考えれば日本統治のほんの1コマなんですね。とても韓国人の生活を根本から変える力を持っていたということはあり得ない。 実際、民族行事などは日本統治時代もそのまま行われているんです。先祖の祭祀などはみんな朝鮮式で行っていたわけで、民族的なものが強制的に禁じられていたわけではないのです。





■統一教会の教義本「原理講論」で神社参拝についてはこのように書かれています

『さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。しかし、日本の天皇が第二次大戦において敗戦を宣言することによって韓国民族は、ついにその軛から解放されたのである。』
(原理講論 後編第六章 再臨論)


上記の聞き取り調査とは内容が異なっています。統一教会の教義本では「参拝しないものは投獄・虐殺された」としています。韓国特有の数字的な根拠は一切排除し、ただ「日帝や日本人はこんなに極悪非道な民族だろう」という内容のみが羅列されています。

面白いのは統一教会の教義では日韓併合40年(実際は36年だが)は韓国が神の選民となるために必要だったとしていることろです。

『『ところで、第一イスラエルは、民族的カナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるために、当時サタン世界であったエジプトで、四〇〇年間を苦役したのであった。これと同じく、第二イスラエルも、世界的カナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるために、当時、サタンの世界であったローマ帝国で、四〇〇年間迫害を受けながら闘い勝利したのである。したがって、韓国民族も、第三イスラエル選民となり、天宙的なカナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、四十数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これがすなわち、日本帝国に属国とされ、迫害を受けた四十年期間であったのである。
(原理講論 後編第六章 再臨論)


はるか昔、イスラエル民族がエジプトで400年間奴隷として生活したことが「魔を断ち切り(40という数字はサタン分立数とする)」完全に神聖化された選民になったので、韓国民族も日本に支配された40年を経ることで神の「選民」としての資格を得ると統一教会の教義本には書かれています。

しかし、反面この「40年(実際は36年)の併合期間は神の摂理として選民になるため必要だった」としているにもかかわらず、その説明が終わるやいなや日本の併合に対して「いかに日本人は残虐なであるか」の説明が続きます。

統一教会の主張として韓国的には日本が支配することがいいはずなのに、なぜ日本を非難するのでしょう。答えは統一教会が果たす役割にあります。

統一教会が宗教を通して「反日教育」を韓国人にも、日本人にも行うためです。

この原理講論が発行されたのは、日韓基本条約が結ばれた翌年の1966年です。
1965年に韓国に戦後賠償が完全に終了した翌年にこの原理講論は発行されているわけです。

もともと朴正煕大統領(任期1963年10月15日~1979年10月26日)の庇護の下、統一教会が生き残れたわけですから、朴正煕大統領が賠償金を国民に返還せず、国家経済(韓国インフラ整備等)にすべて使ってしまったことを隠蔽するために「反日」というカードを使ったのは、国民の矛先を韓国ではなく日本に向けることで「国家賠償もしていない卑劣な国」としてレッテルを貼るプロパガンダ(政治宣伝)のためでした。

実際、韓国人は2005年まで日本が韓国に戦後賠償したことは隠されてきたわけですから。
それとともに統一教会も韓国人には「反日」、日本人信者には「自虐史」教育を徹底的に行ってきたのです。

文鮮明教祖の説教にこのようなくだりがあります。

文教祖はバルカン砲を作って韓国の朴正煕大統領の前で試射したと自慢げに話しています。

『また、レバレンド・ムーンのことを共産党は、「独裁者だ。暴君だ」と言っているのです。韓国で防衛産業の企業体をもっていることも全部知っているのです。宗教指導者が殺人魔であるといううわさが立ったのも防衛産業のゆえにです。国防部でバルカン砲を開発するのにも私が功臣の役割を果たしました。一九八一年に開発する予定のものを、私が一九七五年に二台つくり、大統領の前で試射させたのです。』
(「真の御父母様の生涯路程6」1975年の摂理)


『バルカン砲のような高射砲もすべて関発しました。そして、私がアメリカに行く前に、一和の工場を三ヵ月、六ヵ月かけて建てました。すべて建てておいて、出発する時に何をつくったかというと、百六十ミリ砲の腔線(弾丸を回転させるために砲身内に刻んだらせん状の溝)を削る機械をつくってから行きました。すると、大字など、このような会社がすべてこちらを押しのけて「自分たちがつくる」と言ったのです。「それをすべて教えてほしい」と言うので、すべて教えてあげました。」
(「真の御父母様の生涯路程11」より)



そして1968年に朴正煕大統領、韓国CIAとともに「国際勝共連合」を設立し、日本の国会議員の秘書として統一教会の信者を送り込みます。