韓国はメシアが再臨する国なのか?(5) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

韓国はメシアが再臨する国なのか?(4)のつづき

■メシアが再臨するのは韓国なのか?

<文教祖の説く「再臨主の誕生する国」の条件」>
『メシヤが来るべき国は、
第一に小さい国である。
第二に四〇〇〇年以上の歴史をもたなければならない。
第三に単一民族でなければならない。
第四に国家という国自体は不安定な状態だとしても、国の形態をもっていなければならない。たとえ属国だとしても……。
第五は侵略をしてはならない。小さければ小さいほどいい。
第六番目には問題の国であること。その民は、また多くの問題をもたなければならない。
なぜなら、蕩減をしなければならない民だからである。歴史的過程において、このような名前をもった国は二つある。
・・・そのように見る時、それはイスラエルと、東洋においては韓国なのである。』
(歴史の転換点 1975年12月1日NYベルベディア)



■条件の検証5(大韓帝国と柳寛順の三・一独立運動での一時的主権の回復)

韓国の国家としての主権(自治権)喪失について「韓国はメシアが再臨する国なのか?」(3)と(4)で説明しましたが、文教祖(メシア)が誕生するための条件として必ずみ言葉で語られる内容として、柳寛順の三・一独立運動があります。

『これが三年、三数。一九一七年から三年後の一九二〇年を中心として、レバレンド・ムーンという人が出てきたというのです。今はレバレンド・ムーンですが、その時にはレバレンド・ムーンではなかったのです。何でもなかったのです。その時韓国という国は、日本の占領下にありました。ですから、日本を通して生まれたことと同じになったのです。韓国は四十年間、日本の統治下にありました。すなわち、韓国は日本の支配を受けていたということです。ですから、結局先生は日本治下から出てきました。韓国から今後アダムが現れるということを中心として、日本が韓国にあらゆる圧迫を加えたのです。先生が生まれるその時、一九二〇年代の韓国は、三年の凶年になって、この上なく難しい時でした。そうした三年期間を中心として見るとき、一九一九年に三・一運動が起きて、日本に対して反旗を翻し、新しく闘争が始まったのです。そのような刹那、二番目の年、一九二〇年に先生は生まれました。そのような試練の過程で、先生一家が独立万歳事件を中心として、試練を経験したその基盤の上で、先生が生まれるようになりました。三・一運動をリードした人々は宗教人です。プロテスタントと天道教を中心としたメンバーが、これをリードしてきました。このようにして、新しい方向に、日本帝国主義の方向ではなく、アメリカの方向に! アメリカについていくようになります。このような方向を経ていくことにより、キリスト教文化圏が急進的な発展をしたのです。十六歳で殉国した柳寛順烈士は、堕落しないエバと同じ立場にありました。アダム国家におけるエバと同じだというのです。そのエバの立場にあった柳寛順烈士の体を、サタンが六片に分けてしまいました。六数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くしながら、一身を犠牲にしながらも解放運動をしたのです。独立運動が最盛期だった一九一九年に、先生は母の腹中にいました。独立しない地で、そのまま生まれることはできなかったので、先生の生命を中心として、そのような戦いがあったのです。その時から十カ月後の一九二〇年に、先生が生まれたのです。堕落したエバの罪を蕩減するために、天の側の心情圏をもって、この地上のすべての女性を代表して、韓国の地を守りながら死んでいった人が柳寛順です。摂理史で見る時、条件的に国の基盤を中心として、日本から独立するために天は摂理をしたのです。
(真の御父母様の生涯路程1)


韓国に主権がない事は、文教祖もはっきりと「韓国は日本の支配を受けていたということです。ですから、結局先生は日本治下から出てきました。」とみ言葉で語っています。しかし、その主権のない韓国では「メシア降臨の条件」に合わないのは、主権がなければ「国家と宗教の一体化」がなされずその後の世界地上天国実現のための摂理の出発ができないためです。そのために、文教祖は韓国の一時的主権の奪回(回復)の条件をもってメシア降臨がなされたと説明しています。

文教祖のみ言葉でも『では、メシヤをどこに送るのが神の願いだったのでしょうか? 堕落した世界の個人の前に送るのではなく、堕落した家庭の前に送るのでもなく、堕落した氏族の前に送るのでもなく、堕落した民族の前に送るのでもありません。民族と国家が一つになった立場で、主権を持った国に送ることを願っておられるのです。カイン国家を屈服させるために、一つの国にメシヤを送るのです。(今後私たちが成すべきこと1972年5月9日)』とあります。

日韓併合による日本統治下では韓国に主権は存在しません。それで文教祖の主張は『一時的かつ条件的に主権回復のために神は「堕落しないエバ(柳寛順)」を韓国に送り1919年3月1日に独立運動を起したその日を神は「日本から独立した日」とみなし、そのとき文教祖が母金慶継のなかに宿った』ということなのですが、韓国が主権を持っていた時期は文教祖が生まれる以前にもありました。(他にも3月1日から10ヶ月妊娠期間を経て文教祖誕生したことは日数が合わないという理由もあります。ここでは省きます。)

それは韓国を日本が清国から独立させた時です。韓国(韓半島)は、歴史の大半を隣国大国の属国として甘んじてきました。李氏朝鮮の時代は王を自国で決定する権利さえありませんでした。韓国にある「独立門(1987年完成)」は実は清国から韓国が独立したときに立てられたものです。清国による長年の属国支配からの解放を祝い記念して建てたものなのですが、現在韓国では建立した意味を歪曲して「韓国が日本から独立して立てた」と教育されています。

<日清戦争と李氏朝鮮(大韓帝国)の独立の流れ>
※日清戦争は1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争
1392年 李氏朝鮮開国
1393年 李氏朝鮮が明に服属(明の属国時代)
1636年 李氏朝鮮が清に服属(清の属国時代)
1894年 日清戦争開戦(李氏朝鮮独立のため日本が清と戦争)
1895年 下関条約(日清講和条約4月17日締結)により李氏朝鮮が清より独立
1895年 閔妃暗殺(乙未事変10月8日)
1896年 独立門建立(1987年完成)
1897年 李氏朝鮮が独立により「大韓帝国」と国号変更
1904年 日露戦争開戦・第一次日韓協約・日韓議定書
1905年 日露戦争終結・第二次日韓協約(乙巳条約)・韓国統監府設置
    (ポーツマス条約(1905年9月5日)により韓国に対する優越権をロシアから承認)
1907年 ハーグ密使事件・第三次日韓協約・純宗即位
1909年 日韓併合反対派の伊藤博文が安重根によって暗殺される
1910年 寺内正毅統監と李完用首相「韓日合併条約」8月22日ソウルにて締結
※詳細はウィキペディア「韓国併合」を参照

日清戦争が韓国のために行われた戦争であるということのみ言葉

『だから韓国は、東洋においてのユダヤ人みたいだ。だから韓国によって、日清戦争も、日露戦争も、大東亜戦争も韓国の為に起こったんだよ、事態は。みんなそういうになってるよ。アジアにおきまして、アジアを統合するにはなんとしても、韓国でなけりゃならない。韓国を手に入れなきゃならないというんだね。だから中国も韓国の為に、日本もそうだから、ロシアもそうだ。だからこの基準を中心として三国が衝突する基準になったんだから、そういう日露戦争とか日清戦争とか、そういう問題になってくるんだよ。それは東洋をその制覇するには韓国がとても要塞の地である。そうだろう。これ大陸をつなぐ梯子みたいなものだ。いつも韓国を中心として問題になっておった。それはそうならざるをえない。神がそういうその摂理上その眼中においている韓国だから、その周囲のサタンの世界において自然とそういう関係を持っているというんだね。まあ、いろいろあるだろう。まあ、それぐらいにしましょう。』
(原理大修練会、再臨講義後における御言1967年6月30日)


1895年に清国から独立した韓国(大韓帝国)は、自力では欧米列強の国力と軍事力に対抗することができなかったため、日本も軍事防衛線としての機能を強化するため、大韓帝国に内政を掌握するようになります。もし、大韓帝国が自力で自国防衛をなせる国力(軍事力)があったのなら韓国併合はなかったかもしれませんが、日本がもし韓国を植民地化しなくても共産主義の中国かロシアに赤化され韓民族は民族虐殺の道をたどっていたかもしれません。

さて、大韓帝国時代に独立して国際法上の主権が一時期でも回復した時期があったことを考えると、文教祖の語る「柳寛順の独立運動」は必要だったのでしょうか? 日本が完全に韓国の主権を掌握する数年前にメシアの降臨する機会があったとはなぜ主張できないのでしょうか?

その答えは簡単です。1920年に文教祖が誕生したのでそれ以前に主権が韓国にあったとしても関係ないからです。そうでなければ文教祖はメシアでななくなってしまいます。それに李氏朝鮮の下ではキリスト教徒は弾圧されていたため、基盤ができるほど信徒数が拡大しませんでした。しかし、文教祖の誕生した1920年もキリスト教信者が全人口の2%も満たなかったので国教には程遠く、韓民族=キリスト教徒、あるいは韓国=キリスト教国家とはとても言える状態ではなかったのは明白です。

むしろ大韓帝国のような弱小国より、日本の支配下であれ強大国に降臨したほうがよかったかのようにみ言葉ではこのように語っています。

『日本がもしもね、大東亜共栄圏を造って、韓国に対して三十六年、ずっと指導して、もしも結婚生活をしたら、完全に日本になってしまう。そうして待遇を日本人より以上、月給にプラス一銭でもいい。一銭をプラスしてやる。それは何かというと、月給もらった人に一銭でもプラスしてやるような事をやったならば、日本はもう全体主義でなくなってしまう。伊藤博文はそんな事を考えなかったね。ハルピンにおきまして死んだんだけれどね。そういう政策をしたら、先生の摂理の仕事もたやすくなったね。それを考えている。復帰するのにちょうどいい時だ。』
(夜の和動会での御言1965年10月3日本部教会(渋谷区松涛町))


日本が大東亜共栄圏のために戦争しなかったならば、アジアはいまだに欧米の植民地かも知れません。そのことは文教祖もよく知っているようです。

実は伊藤博文は「韓国併合は時期早尚」と反対の立場をとっていたのですが、安重根と同じように文教祖は「伊藤博文は韓国併合推進派」と勘違いしているようです。事実は安重根が伊藤博文を暗殺したことで、韓国併合が早まってしまいました。

『日本の法廷では「安重根は伊藤博文を暗殺した」と言ったのですが、これは暗殺ではありません。安重根は韓民族の偉大な将軍です。ですから、それは戦争の延長でした。ゲリラ戦なのです。安重根は「私を絞首刑にしてはいけない。捕虜収容所に入れなさい」と主張しながら、「私は韓国はもちろん、中国とモンゴルとロシアを守るために、アジアの平和のために彼を撃った」と堂々と言いました。したがって、韓国において安重根は、アジアの平和を主張した愛国者だというのです。』
(真の御父母様の生涯路程9)

『安重根はどのような人かというと、アジア平和主義者です。日本がアジアを籠絡しました。日本の伊藤博文は、日露戦争と日清戦争に勝ってから、韓日併合を正当化させるために現れた男です。中国も嫌い、モンゴルも嫌い、ソ連も嫌うその国を、勇猛な英雄、安重根義士が現れて激しくたたいたのです。これは、世界の既成家庭の代表として、カイン的な伝統思想を正そうという意味をもっています。彼はアベル的な男性の役割を果たしたのです。ですから、カインは、忠臣の道理をもって女性たちの後ろに従っていく準備をしなければなりません。』
(真の御父母様の生涯路程10)


そうかといって「メシア降臨国は絶対に主権がなければいけないか?」と文教祖は絶対的に主張しているかというとそうでもないのです。

神の心情的蕩減のその国家たる国家は、長い間主権を持ってはいけないというんだね。いつもいじめられる。まあ、あらゆるその国家間におきましていじめられる。要するに、支配されるというんだね。いつも侵略を受けるという。侵略を受ける。またその自体の国家の主権があるとしても、これがいつでもその事態の変更にぶつかるというんだね。内政におきましても、外政におきましても、それは思わざるそういうような歴史的蕩減過程を通過しなければならない。そういう立場に、韓国のそのなんだね、歴史がそうなっておるんだよ。実に惨めな涙ぐましいその歴史をずうっと通ってきておる。そういう基準におきまして、今まで歴史路程におきまして、神自身がそういうような心情的惨めな立場に立ったんだから、その神の惨めな心情の前に孝、あるいは忠なる国民たるものは、やはり神に同じような立場に立っておる、惨めな立場に立つ国民でなければならない。(中略)それはそうながら、いつでも属国に、いつでも支配される立場に立たなければならない。アベルがそういう立場に立っている。名前は国があるようだけど、実際は国がないんだね。兄さんのままに歴史の過程をついて来なけりゃならない。その兄さんたる者はアベルを殺しえるような、敵的な兄さんである。そういう立場にいつもいじめられながら、そういう歴史路程を通過しなけりゃならない。そういう立場に立っておるのが韓国歴史だね、歴史から見ても。こういうあらゆる基準から総合してね、原理的見地から見たその見解と一致するんだね。
(原理大修練会、再臨講義後における御言1967年6月30日)


文教祖のみ言葉では「長い間主権を持ってはいけない」「名前は国があるようだけど、実際は国がない」と言っているところをみると、実は支配されていたほうがいいような言い回しになっています。日本に侵略されたことに対しては徹底的に叩くのですが、こと韓国(韓半島)の4000年の歴史が属国の歴史であることに対しては「常に侵略を受けなくてはならない」と弁明めいた表現になっています。

この内容は条件の「第六番目には問題の国であること」に通じるようにも見えますが、では主権が「なくてはならない」のか「ないほうがいい」のどちらなのでしょうか。

日本が大東亜共栄圏を作って韓国が日本に統治されていたほうが復帰がやりやすかったというみ言葉もあるように、文教祖がメシアとして公生涯を出発したとする1945年から1947年も同じようにアメリカに統治された方がたとえ韓国に主権がなくても復帰が早かったと取れるみ言葉もあります。

『一九四五年から一九五二年の間に、キリスト教文化圏が先生と一つになった場合には、一九五二年にはUN軍を中心として世界統一の基盤が作られていた。世界は一つになる。それなのに、アメリカを中心としてキリスト教が全部反対した。四千年のイスラエル血統分別基盤の上に、神の一人息子として生まれたイエス様が、十字架に掛かってなしえなかった延長線に立つ先生を絶対的に侍り、一体となるべき主人の立場を追い出してしまった。』
(完成と解放(前篇)一九九二年四月十日)

しかし時の為政者と一体となれなければ全く意味はなくなってしまいます。文教祖は時の為政者と既成キリスト教が文教祖を受け入れなかったためということになっています。1945年当時のキリスト教基盤
は全人口の4%程度です。その少数基盤でも完全にエスカレーター式(心情の8段階無視?)に飛び越えられたのが、初代大統領の「李承晩・梨花女子大」ラインとその背後にあった国連軍組織だったのですが、文教祖は逆に反対され1954年投獄されてしまうのです。

心情の八段階を他の霊的神霊集団(血分け団体)には適応させていたのに「李承晩・梨花女子大」のときは何故いきなり「階段を飛び越える」行動にでたのでしょうか? それに既に「霊的神霊集団」を完全に統一することができず、失敗していればその先はないはずなのですが・・・・。


前記事で条件の2番目「四〇〇〇年以上の歴史をもたなければならない」という内容も書きましたが、その言い訳的なみ言葉もありました。

『それから韓国はいわゆる「道」の結実国家である。高麗におきましては、仏教がその主権を左右したね、高麗時代には。それから李朝時代には儒教がね、国権を左右した。それから現世に入ってはキリスト教がこれ左右したね。だから「道」がそのあらゆる大なる世界的、三つの「道」がこの国において結実してその国家の主権を左右し、国民思想を指導した。それがちょっと違うんだね。だから「道」においての結実国家である。それから今年でね、一九六七年で四千三百年の歴史でたっぷり。今年で四千三百年。それが復帰年数におきまして、四十三年とうち合うというんだね。イスラエル民族四百三十年、四百三十年の試練。もしも四十数が合わなければ三年延長される。三数に延長される。なぜかというと、四は七数に対応する。だからイスラエル民族は三十年延長されて四百三十年に出エジプトをしたね。それと同じように韓国の歴史が今年でもって四千三百年、それは不思議の一致じゃないよ。それ偶然的歴史的一致じゃないよ。だからこれ四千三百年にたっぷりに打ちきるというんだね。だからそういう民族はね、その選ばれる民族は、四千年以上の歴史を持たないといけないというんだね。なぜかというと、アダムからイエス様のその基準、そういう基準におきまして四千年以上の歴史を持たなければならない。そういう国家は東洋にないというんだね。』
(原理大修練会、再臨講義後における御言1967年6月30日)


これによると『高麗時代「仏教」・李朝時代「儒教」・韓国「キリスト教」』でこの三つの「道(宗教)」をあわせると4000年の一貫した「道」という宗教歴史があるということなのです。これをどうやってイスラエルのユダヤ教4000年歴史と同一視できるのでしょうか?