真の家庭情報(4) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文鮮明教祖プロフィール

出生日:1920年2月25日(陰1.6)子の刻

出生地:日本国(朝鮮地方)平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地
        ※本来住所・定州郡徳達面徳星洞

改名:
・1回目 1941年「文龍明」→「江本龍明」(韓国・京城商工実務学在学中。教当時の学校長は土居山洋。)
※韓国でも日本留学でも創始改名を利用 。当時抗日運動家は絶対に創始改名に応じなかった。つまり文教祖は抗日運動家ではない

・2回目 1964年「文龍明」→「文鮮明」(「龍」はサタンを意味し、それを隠すために自ら“鮮明”と改名(出典:洪蘭淑著『わが父文鮮明の正体』)。または1964年お抱えの霊媒師のお告げで改名説とがある)

※戦後の学制改革で早稲田大学工業高等学校となるが、1968年に廃校となった。昔は“早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだ”と称していたが、早大に高等部は存在しない。また、文鮮明はそのときの日本名は山本朋成であったと語っていたが、後にその名前の別人がいることが判明した。
(文鮮明・ウィキペディアより)



結婚・離婚歴:
 1回目 崔先吉
 ・1943年12月婚約
 ・1944年5月4日挙式
 ・1945年4月28日婚姻届提出
 ・1957年1月8日離婚
 2回目 韓鶴子
 ・1960年3月27日(陰3.1)約婚式
 ・1960年4月11日(陰3.16)聖婚式(挙式のみ)
 ・1961年12月29日婚姻届出(長女出生後)

婚外子:
 1.文喜進(文教祖と金明煕の子・認知)
 2.金東淑(文教祖と鄭達玉の子・未認知・養父 金元弼)
 3.朴峻頃(文教祖と崔順花の子・未認知・養父 朴普煕)
    ※文サムエルと思われる

学歴・職歴・経歴:
~1934年3月 地元定州の書堂で学ぶ
1934年4月1日 定州の私立五山普通学校3学年に編入(1年間修学)
1935年4月?日 定州公立尋常小学校4学年(現在の中学校)に転入
1935年4月17日 定州の猫頭山でイエスから啓示と教示
1936年4月?日 京城商工実務学校電気科入学(現・中央大学)
1939年3月?日 京城商工実務学校電気科卒業(現・中央大学)
(※昭和15年 第三期卒業生)
1939年3月~1941年 経歴不明
1941年4月1日 「昌慶丸」に乗って日本留学
1941年4月?日 早稲田大学付属早稲田高等工学校電気工学科入学
1943年9月30日 早稲田大学付属早稲田高等工学校電気工学科卒業(10月からの学徒出陣徴兵を逃れるため6ヶ月繰り上げて卒業)
1943年10月5日「崑崙丸」撃沈事件(文教祖が乗るはずだったと証しているが乗船名簿に名前がないため偽証の可能性あり。おそらく徴兵を逃れるため卒業後すぐに東京を離れ下関ではなく新潟から清津にむけて定期船に乗ったと思われる)
1943年12月 崔先吉と婚約
1944年3月 鹿島組京城支店電気部電気技師として就職
(満州のハイラル区で就職する予定にしていたが世界情勢の変化を見て朝鮮に残るべきだと考え直し鹿島組京城支店就職)
1944年5月4日 崔先吉と挙式(血分けを行う混淫派の李龍道派イエス教会の幹部である李浩彬の司式で挙式)
1945年4月28日 崔先吉との婚姻届提出
1945年8月15日 終戦
1946年5月27日 神の指示に従って妻子を置いて北に向かう
1948年2月22日 神霊集団収拾の歩みが終了
1954年5月1日 世界基督教統一心霊協会創立
(協会登録:1963年5月31日社会団体第261号・1963年10月4日財団法人認可・日本は1964年7月16日宗教法人認可)



投獄歴:後日記載します。




■文龍明家系図

◇文善玉(鮮明の曾祖父)
  ↓[文善玉の息子は3人]
◇文致國(鮮明の祖父・長男)-文信國(祖父の弟・次男)-文潤国(祖父の弟・三男)
  ↓[文致國の息子は3人]
-長男・文慶裕(鮮明の父)金慶継(鮮明の母)
  ↓[文慶裕の息子は3人?]
(13人の内8人が育ち5人が早死)
 ---1.姉
 ---2.姉(精神異常)
 ---3.長男 文龍壽(精神異常・精魂)
 ---4.姉 文孝順(孝淳)
 ---5.次男 文龍明(1964年頃「龍明」から「鮮明」に改名)
 ---6.妹 文孝心
 ---7.妹 文孝壽
 ---8.妹 文孝善
 ---9.三男 文龍官(7歳で他界)
 ---10.?
 ---11.?
 ---12.?
 ---13.?

-次男?・文慶福(鮮明の叔父)
(聾唖で、50歳で行方不明)

-三男?・3、文慶求(鮮明の叔父)
(次々に災難に遭遇)
・牛の急死・馬が死ぬ・豚が7匹井戸に飛び込んで死ぬ
・キネが倒れて犬の背骨を折る
・飼い犬が赤ちゃんの耳を噛みとって食べる
・博打で財産をなくす
・一家はこれはサタンの仕業だと恐れその家から引っ越したが間もなく家は潰れた




■親族(名前がわかる者だけ)
文善玉(曾祖父)
文致國(祖父)
文潤国(祖父の弟)
文慶裕(父)
金慶継(母)
文龍壽(兄)
文孝淳(すぐ上の姉)
文孝善(すぐ下の妹)
文孝心(妹)
文孝壽(妹)
文孝善(妹)
文龍官(弟)
文慶福(叔父・父の上の弟)
文慶求(叔父・父の下の弟)
文慶天(父のいとこ)
文慶福(いとこ龍基の父)
金慶基(いとこ龍基の母)
文慶勳(いとこ昇均の祖父の次男)
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文教祖は信仰暦もないが親戚というだけで教会経営の会社の責任者にする(1967年頃。信者の反感を買う)
文龍基(いとこ)
  →清平一帯の百万坪の土地と別荘の管理責任者
文龍善(いとこ)
  →楊州郡九里面一帯の教会・農場運営者、元一鉄材の所有名義者
文龍賢(いとこ)
  →元一機械、元一鉄材の運営権者
※龍善、龍基、龍賢は兄弟

文昇均(文昇龍)(いとこ)
  →韓国チタニウム・東亜チタンの社長
文成均(いとこ)
  →統一産業株式会社の社長

「(文教祖は)かき集めた教徒たちの膏血(こうけつ)で、財政が充実するや後日のために、その管理権と経営権の一切合財を文氏一族に分配して、乞食王国文氏王朝の諸候たちが続々と頭をもたげ始めたのである。(中略)彼等は最近数年来、にわかに浮上してきた者たちで、文被告が浮浪しつつ乞食行脚をしていたころには、彼に振り向きもしなかった者たちであったが、文被告が富豪となるや、門前市をなすように集って来た一族たちで、文被告が教徒たち全ての所有に属する財産を、自分の独占資産に変身させるための、橋頭堡の役割を果たし財政を分配取得している者たちであり、文被告の財産置き換えの下手人役をしている、不労所得者群である。(金明煕氏1978年3月25日ソウル民事地方法院宛ての訴訟文より」
  ↓ ↓ ↓
(親戚を呼んだことへの文教祖の反論)
「また統一産業は、元弼を立てて社長にしたらいいのですが、今回は元弼よりも文専務(文成均)に社長をさせることによって文氏家門を霊的に開門する意味で、地上でこのような道を開いておけば、私たちの教会、皆さんにとっても良いと同時に、この民族にも良いのです。それゆえ、そのような時が来ることを予想してこのようなことを始めるのです。何年前のことですか。第二次七年路程を出発すると同時(1967年頃)に、文家の人(龍善、龍基、龍賢兄弟)を牙山から移しておいたのもすべてそのためです。先生が誰かを愛したくてそうするのではありません。原理原則どおりにしなければならないために、そうするのであるということを知って、それに対して幹部から不平不満を言ってはならないのです。(文氏氏族解放式 1973年8月5日(陰7.7)清平修練所)」


◇日本人幹部と文家の連結祝福
文俊鎬(文鮮明教祖のいとこの息子)
  →初代二世局局長・世界平和青年連合共同会長歴任・神山美子(神山威会長の娘)と祝福




■文教祖一族の霊界祝福

1995年8月23日(漢南洞公館)
文鮮明の父母 文慶裕-金慶継(忠母様家庭)
文鮮明の兄  文龍壽-池治淑(大兄様家庭)
韓鶴子の父母 韓承雲-洪順愛(大母様家庭)
※洪順愛は生前、1976年12月21日(陰11.1)独身祝福(米・イーストガーデン)

1999年2月7日(三億六千万組の祝福式の時に霊界祝福)
韓鶴子の父の後妻 性徹-池姫善(相手の性徹氏(1912~1993)は韓国仏教界の巨星・大僧侶)

大母様家庭の養子・金賢辰家庭に対する祝福儀式挙行
1995年8月23日 金賢辰(韓賢秀)・林和英
(金孝南訓母様の家庭の長男・金賢辰(1977年生~))
◎この祝福式があってから数日後、真のお母様は、大母様のご家庭に養子として入籍した金賢辰氏に「韓賢秀」という新しい名前をつけてくださった。その後、韓賢秀氏の家庭は、眞善(1999~)、眞淑(2002~)という二人の子女をもった。また訓母様の家庭は大母様が生前に暮らしていらっしゃった新門路公館の別館で、霊的に大母様のご家庭に侍りながら生活している。
(著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

1995年8月23日大母様記念館を「忠義愛館」と改める




・倉敷めぐみキリスト教会(宗教問題研究所)より一部情報引用
http://kmcc.sakura.ne.jp/mind_i.html