酒呑地蔵 サケノミジゾウ 1(in 幡ヶ谷 ハタガヤ 清岸寺 セイガンジ)


以前、初台にあるという酒呑地蔵に行ったら、
(→「酒呑地蔵尊(サケノミジゾウソン)無う

既に移転した後で、( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
跡地がすでに整地されて、お地蔵様の跡形もなかった。しょぼん
傍に流れていたはずの神田川も今はなく、
名残の橋の石柱(?)だけが、
かつてそこに川があったことを示していた。しょぼん


で、
今回、幡ヶ谷に行く機会に、
移転先の清岸寺に酒呑地蔵を拝みに行ってみた。



幡ヶ谷駅北口に出た通りを、そのまますぐ右方向へ(西へ)。走る人
中野通りとの交差点で右折。(北へ)走る人
しばし歩くと、
マンションの手前に右へ上がる細い坂道が。(駅から徒歩8分ほど)
その坂道の麓に「清岸寺」の門柱がある。
短い坂道を上り切ると、清岸寺。アップ

夫婦世界旅行-妻編-清岸寺

参照:「清岸寺



本堂の手前に
百万遍大念珠繰り」なる巨大な数珠が、滑車にぶら下がっていた。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

夫婦世界旅行-妻編-百万遍念珠繰り


この一粒一粒の大きな108個ある数珠は桜の木で出来ているらしい。桜
ナムアミダブツと唱えながら繰ると心が清浄になる」そうな。(後で知った。)(。-人-。)


桜の木の数珠を念仏唱えながら繰って、心を清浄にするべきだったのに、キラキラ
ま~た、こ~んなアメイジングなもの作っちゃって~!(笑)о(ж>▽<)y ☆と
ただ面白がってガチガチ大きな音を立てて繰ってきた私に「清浄」は訪れそうにない。汗



百万回念仏唱えると功徳がある……って、
お念仏の量で勝負……って、グー
くだらないなぁ……と私はいつも思うのだけど、┐( ̄ヘ ̄)┌

人が窮地に立って、祈るより他になにもできないとき、
数え切れないほどの念仏を課されることで
なんとか乗り越えることできたりしたんだろうなぁと思う。DASH!


本堂に向かって左手に、3mはありそうな、大きな観音像。
幡ヶ谷聖観音」。

夫婦世界旅行-妻編-清岸寺聖観音

なんでまた、こんな大きな観音様……?( ̄_ ̄ i) 
背後のダイワマンションと、なんともアンバランスな風景。叫び


見た目にあまり私の好きな感じの観音様ではなかったのだけど、ダウン
裏に回ってみると、建立の由来が刻まれてあり。えっ

第2次世界大戦で亡くなった人々の慰霊を旨としたものらしく、
焼け野原になった東京において、
観音様を建てようと頑張った人々の気持ちを思ったら、
途端になかなかいい観音様に見えてきた。(。-人-。)



幡ヶ谷聖観音の右横には、
魚籃観音(ギョランカンノン)。

夫婦世界旅行-妻編-魚籃漢音

魚の籃(カゴ)を手にしている観音様。
籃には魚が。うお座
風雪に耐え、石が相当崩れていたが、
なんとなく可愛らしい感じの観音さまであった。( ´艸`)




室町時代に建てられたらしい板碑(イタビ)。

夫婦世界旅行-妻編-板碑

緑がかった秩父石に、
「阿弥陀如来」を表わす文字(種字シュジ)が刻まれているらしい。
50cm弱の小さな石の板だが、
室町時代から彫られていた文字か~と思うと、
なにやら貴重なものに思えてくる。f^_^;


文字の上の二重横線は何ですか? とお寺の方にお聞きしたら、
「不勉強で分かりません。勉強しておきますあせる」と仰る。
正直な方だわ……。( ´艸`)



板碑のさらに右横に五輪塔が4基。

夫婦世界旅行-妻編-五重輪

お寺の方が、
これは世界の成り立ちを表していると教えてくださった。
一番下の四角い石が「土」、
次の丸い石が「水」、
次の三角石が「火」、
次の半円の石が「風」、
一番上の丸っぽいのが「空」だとか。Σ(・ω・ノ)ノ!

「地・水・火・風・空」が宇宙の構成要素なのだとか。Σ(・ω・ノ)ノ!

寺の屋根などの一番上に乗っているものも同様に
世界を現しているのだそうで。Σ(・ω・ノ)ノ!

夫婦世界旅行-妻編-宇宙の五要素

ほほぉ。
火焔をシンボライズしているということは察せられていたけれど、
宇宙全体を現しているとは知らなんだ。(=◇=;)

こういうことを教えていただけると、
とても嬉しい。ラブラブ



この五輪塔がどれほど古いのかはよくわからなかったが、
私が訪れたときは、一基、上の3重の部分が崩れ倒れていた。ダウン
それにお寺の方が気がついて、
「昨日風が強かったから倒れてしまったんですね~あせる」と
まるで風に倒された植木鉢を直すように、
よいしょっと直して収めた。


夫婦世界旅行-妻編-よいしょと直す

うん。ちゃんと直って、塔も嬉しそうだ。( ´艸`)





で、
肝心な酒呑地蔵はどこか……と探すと、
本堂向かって右手に納骨堂である「浄霊殿」があり、

夫婦世界旅行-妻編-浄霊堂

その左隣に、
あった!
酒飲み地蔵!クラッカー

夫婦世界旅行-妻編-酒呑地蔵

これまた風雪に耐えたのだろう、顔は殆ど風化してしまっていたが、
うっすら優しげな様子が窺われる。ラブラブ



この地蔵は、江戸時代の宝永5年(1708)にたてられ、別名を子育地蔵ともいわれますが、つぎのようないい伝えがあります。


むかし、四谷伝馬町に住む中村瀬平という者は、故あって成長の後に家を出て幡ヶ谷村の農家に雇われて農作業や子守りなど一生懸命に働いたといわれています。


瀬平の勤勉さに感心した村人は、三十一才になった正月に彼を招いてご馳走したところ、ふだんは飲まない酒によった瀬平は川に落ちて水死しました。


瀬平は村人の夢まくらに現れて、この村から酒呑を無くすために地蔵を造ってほしいと願ったので、村人たちは早速一基の地蔵を建立し、酒呑地蔵として伝えて来ました。




酒呑を無くすためのお地蔵さん”。((((((ノ゚⊿゚)ノ

ならば、まず名前を「酒呑地蔵」ではなく、
「酒呑まん地蔵」とか、「酒忌み地蔵」とかにすればいいのに。( ・д・)/--=≡(((卍
「酒呑地蔵」なんていうと、お酒が大好きなお地蔵さんかと思うじゃないか。グー


それに、お地蔵様建立の話も
なんだか、本末転倒に思えてならない。(・_・;)


瀬平さんが振舞われたのは、
日頃の労をねぎらう、正月の目出度い酒。お酒
瀬平さんが酒に強かったら、酒に酔って川に落ちて死ぬこともなかったろう。
“酒に強くなれるご利益のあるお地蔵さん”にするべきではなかったろうか?

……と思うのは、私だけ?(/ω\)



あるいは、
飲めない人に無理やり飲ますな!
という戒めのお地蔵さまにするべきなのでは?

……と思うのは、私だけ?(/ω\)


江戸時代、このお地蔵さんが建てられてから、
初台あたりの村では酒呑がいなくなったのかどうか……? イヤ、イマイ。
この酒呑地蔵はまたの名を「子育て地蔵」ともされているようなので、
ネーミングと意図とがずれてる「酒呑地蔵」としてより、
むしろ「子育て地蔵」として愛されてきたのではなかろうか。
(想像の域を出ることができないけれど。あせる




この酒呑地蔵さんの前には何本も日本酒が供えられていた。お酒
お寺の方のお話では、
毎日のように拝みに来られる方がいるとのこと。(。-人-。)

なんとかお酒を断とうとしているのか、
酒が原因で死ぬなんて事にならないようにと願っているのか……。あせる


私はもちろん、
「酒にもっと強くなれますように。美味しくお酒が呑めますようにラブラブ
とお願いしたのであった。(。-人-。)


さてさて、酒呑地蔵さんにお参りしたからには、
もう二日酔いになることもなくなるだろうか。にひひ








今回、気づかずに帰ってきてしまったのだが、
境内には
酒とっくりを持つ狸
もいたらしい。Σ(~∀~||;)

夫婦世界旅行-妻編-酒とっくりを持つ狸

「酒呑地蔵」のすぐ横に配置しておいてくれれば面白かったのに……。にひひ
次の参拝の機会には、是非探してみたいものだ。






清岸寺入ってすぐ右手には稲荷神社もあり。Σ(・ω・ノ)ノ!
小さな神社だったが、
ここのお狐さんは、アニメチックで可愛かった。

夫婦世界旅行-妻編-オキツネ様(向かって左)

夫婦世界旅行-妻編-オキツネ様(向かって左)


寺の中に神社。
神仏混交の節操のなさにも、いい加減慣れたわ
……と思ったが、
後日調べたところ、
この稲荷神社は、
明治時代に合併した「法界寺」にあったものだという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

法界寺の瘡守稲荷(かさもりいなり)として昔から知られた神祠である。
その祭祠の由縁や建立の年代は不明であるが、
古来より腫物・瘡に効き目があり平癒祈願(へいゆきがん)すれば
願いが叶う稲荷神として近隣の信仰をあつめていた
。」




今のようにステロイド剤などがない時代は、
お肌のトラブルはもっと深刻且つ致命的なものだったのではないだろうか。
「腫物・瘡」が平癒したとなれば、みなありがたかったろうね。(。-人-。)


瘡守稲荷(かさもりいなり)にしても、酒呑地蔵にしても、
清岸寺って、いろいろ引き受けてあげていて、
色々な人の願いになるべく沿おうとしていて、
なかなか頑張ってるお寺とお見受けする次第であった。ラブラブ



境内に大仰な干支のお御籤マシーンが一台あっただけで、
他には商売っ気が全然ないお寺であったが、
これといって特別“格式の高さ”も感じさせないお寺であったが、
気持ちがほんわかする、
気持ちのいいお寺であったよ。ラブラブ



酒呑地蔵目当てで訪れた清岸寺だったが、
あれこれ楽しめた。( ´艸`)

中でも一番目を引いたのが、
小首をかしげたこのお地蔵さま!

夫婦世界旅行-妻編-しあわせ地蔵

水子地蔵たちの群れの中に、
ちょこんと立っていた。キラキラ

この顔がきれいで、キラキラ
優しげで、上品で、そこはかとなく寂しげでもあり。キラキラ
いいなぁ~ラブラブと、とても心惹かれたお地蔵様であった。(-^□^-)



後日調べたら、
「第44世順譽徳正上人」が「しあわせ地蔵と名付けた」ものらしい。
「昭和58年篤信の檀徒から寄進された」という。
「森桂子作。」(=◇=;)

いいお地蔵さんだった。チョキ



ところで、
観音様や仏像は他国でも見受けられるが、
「お地蔵さん」って日本だけじゃない?はてなマーク