奈良 酒造見学の旅⑧ 春日大社と下がり藤
若草山を左手に見つつ、御蓋山(春日山)の麓にある春日大社へ。
世界遺産でございます! と石が言う。ほほぉ。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
この表示がなければ、「世界遺産」とは気付かなかった。
「世界遺産」か否か、当事者側には存亡を掛けた大変なことなのだろうが、
私には全然関係ない。
大切にしたい場所が大切にされていればいいだけの話。
「世界遺産」とお墨付きをもらわなければ、大切にされず廃れていってしまうのだろうか?
と、やや反発も混じって、
こういう表示は、無粋な感じがしてしまう
……のは、私だけ?
↑
鳥居のすぐ手前が階段って、ちょっと珍しいかも?
朱の色落ち具合がいい感じ。(-^□^-)
狛犬が凛々しい。
こんな格好いい狛犬は久々に見る気がする。
↓
「阿ア」も「吽ウン」も、キリッとしている。
こういう狛犬って、どなたが作るのだろう?
仏師……ではないよね?
墓石などを彫る石材店の人かしら?
この狛犬は苔むしているが、
その巻き毛たるや見事なもの!
全体のバランスもよし!
表情も風を受けて威風堂々という感じ。
力強い表情には、意志の強ささえ感じる。
狛犬のコンテストに出したら上位入賞するのではと思われる。( ´艸`)
見事な曲線は寸分の狂いもないように彫り込まれている。
これはもはや機械彫りなのか?
そして、狛犬の下の「下がり藤」の紋。
神社に紋なんてあったかしら? と気になった。( ̄_ ̄ i)
で、後日調べたら、
「偉人や先祖をまつる神社では、祭神の家紋を神紋としている例が多い」らしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「神社の紋」
そして、この家紋(神紋)はまさしく藤原(中臣)氏の紋!!( ̄□ ̄;)!!
春日大社を巡っているときは、
なんの予備知識もなく、
さほどの感動もなく、
神社独特の静けさを味わいながら、
かなりぼーっと歩いて、
大社内をあれこれ見ずに終わったのだが、
この家紋を調べたら、春日大社の裏事情(?)が見えてきた。(-_☆)
*
以下、寡聞にして、思い込みも激しい私の勝手な考えなので、
間違いや、思い違いも多々あろうかと思います。f^_^;
お気づきの点はコメント頂けると幸甚です。(。-人-。)オネガーイ
春日大社は
「平城京遷都の時に、藤原不比等が氏神の武甕槌神(タケミカヅチノミコト)を常陸国鹿島から勧請(カンジョウ)し、都の守り神として祀ったことに始まり、神護景雲2年(768)に社殿を造営したと伝わる。」(by『るるぶ特別編集号 京都・奈良・びわ湖』)
なぜにわざわざ鹿島の神様を?と思っていたのだが、
不比等の父ちゃん=藤原鎌足(中臣鎌足)は、
もともと常陸(茨城)の鹿島神社の祭司のお家柄だそうな!Σ(・ω・ノ)ノ!
(↑藤原鎌足 ネットより拝借)
鎌足さんは家業(?)の神社を継がず、
都で中大兄皇子と組んで、
当時の権力者蘇我入鹿を殺し、
政治の世界に入り込み、権力を握っていくわけ(多分、これが定説?)だが、
その鎌足の息子、不比等が奈良の都にどーんと建てたのが、
鹿島神社の氏神を祀った春日神社。
つまり、春日大社とは、
“中臣家鹿島神社の春日支局”みたいなもんじゃない?(-_☆)
鹿島神社は「神社」だけれど、春日では「大社」としてぐっと格上げさせた。
“「大社」の大元”となれば、鹿島神社は「神社」といえども、
神社の格が上がったのではなかろうか。
つまり、春日大社とは、「都の守り神」なんてことは建前で、
実はひとえに中臣(藤原)家の繁栄を願っての社ではないのか?(-_☆)
と、私には思えるのだが……。
と思っていたら、
「春日大社――病気平癒、商売繁盛、勝運、合格祈願
祭神は武甕槌神(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)。
前者の二神は藤原氏が一族の守護神として崇敬する氏神で、天児屋根命は祖神(オヤガミ)、比売神はその后神とされる。」(by『すぐわかる 日本の神々』鎌田東二監修)
やっぱりだ! だっふんだ!Σ(・ω・ノ)ノ!
この大社は「都の安泰」などを願ったものではなく、(願ったとしても二の次ね。)
中臣(藤原)家そのものの安泰、繁栄を願い建てられたものに違いないっ!
こうもアカラサマな自分の家のための「大社」を建てちゃうなんて、長い日本の歴史の中で、藤原氏だけではないかしら? どうかしら?(((( ;°Д°))))
そう思って見ると、
境内にあった大きな藤の木も実に意味ありげに感じる。
↑
藤の頃に来たら、見ごたえあったろう藤の古木。
これだって、藤原氏の花としてここに植えられたのではなかろうか。ヽ(;´Д`)ノ
ついでに
「鹿島神社」ってどんなんだろう? と調べてみたら……
鹿島神宮は「常陸(ひたち)の国」茨城県にある日本最古の神社の一つである。
常陸とは・・常世(とこよ)の国の意味で不老不死の聖地を示し、
伝承では最も天に近い場所である。
常陸を・・日立と呼ばせるのは・・太陽の昇る本州の東の位置にあるからである。
古事記の伝承によると、タケ・ミカ・ズチ(武甕槌)の神が
天の鳥船(あまのとりふね)の神(宇宙船?UFO?)と共に地上に降り立ち・・・
この土地で・・・地上の支配者であるタケ・ミナカタ(武御方)の神と
相撲を取ったという。
「天つ神」が高天原から降臨し、それまでの支配者である「国つ神」と戦い、
負けた「国つ神」は諏訪神社に閉じ込められてしまった。
・・という物語である。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「香取神社と鹿島神社の秘密」
日立つ……って、「日出づる処」と同じ意味だよね。
こんなネーミングや、
不老不死の常世という発想が許されて(?)いたというのも、考えたら凄い。
奈良時代、関東以北は「蝦夷」とされているのかと思っていたが、
「蝦夷」地などではないではないか。
というより、勝手に東北を蔑視して「征伐」を仕掛ける朝廷側の
大切な関東の拠点であったようだ。
そして、“中臣(藤原)氏の守護神、祖神の物語り”は、
蘇我氏を滅ぼし台頭した中臣鎌足そのものではないか?∑(-x-;)
「相撲」って、“神の前で演じてみせる余興のようなもの”だったんだろうと思っていたが、
実は、力による“国とり”そのものでないかぃ?(=◇=;)
参照:「相撲」
うむ。もともと相撲は“格闘技”だったようだ。
ぶっちゃけ、相手を力でねじ伏せる喧嘩ではないか。((>д<))
どんな国にするかとか、
国をどう治めるかとかいうよりも、
権力闘争あるのみ!
これが“藤原政治”ではないか?
その私利私欲のない高邁な政治理念や理想もないまま、
ただ権力闘争に打ち勝つことが政権を握ることになる構図は
平成の世もいまだに変わっていないではないか。
“藤原政治”というより、日本の政治はすべてこれではないか?
法律やシステムはほとんど大陸からの借り物。
自らの理念で組織を作った例は、ほとんどないのではないか?
(高橋克彦氏の『炎立つ』を読むと、東北地方には、中央政府とは別にある程度政治が成り立っていたのではないか?という気がするが、結局は「武力」で滅ぼされてしまったものね。)
政治とは単に権力闘争でしかない……
しかも、かなり暴力的な……。
と、今更ながら、改めて思い至る。(-"-;A
日本の腐敗堕落した背骨のない政治は
昔からだ?
特に、天皇をトップに据えて、その家臣たちが実質的権力を争う様は、
藤原氏に起因しているのではないのかしら?(-"-;A
……と思うのは極端だろうか?
つづく
若草山を左手に見つつ、御蓋山(春日山)の麓にある春日大社へ。
世界遺産でございます! と石が言う。ほほぉ。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
この表示がなければ、「世界遺産」とは気付かなかった。
「世界遺産」か否か、当事者側には存亡を掛けた大変なことなのだろうが、
私には全然関係ない。
大切にしたい場所が大切にされていればいいだけの話。
「世界遺産」とお墨付きをもらわなければ、大切にされず廃れていってしまうのだろうか?
と、やや反発も混じって、
こういう表示は、無粋な感じがしてしまう
……のは、私だけ?
↑
鳥居のすぐ手前が階段って、ちょっと珍しいかも?
朱の色落ち具合がいい感じ。(-^□^-)
狛犬が凛々しい。
こんな格好いい狛犬は久々に見る気がする。
↓
「阿ア」も「吽ウン」も、キリッとしている。
こういう狛犬って、どなたが作るのだろう?
仏師……ではないよね?
墓石などを彫る石材店の人かしら?
この狛犬は苔むしているが、
その巻き毛たるや見事なもの!
全体のバランスもよし!
表情も風を受けて威風堂々という感じ。
力強い表情には、意志の強ささえ感じる。
狛犬のコンテストに出したら上位入賞するのではと思われる。( ´艸`)
見事な曲線は寸分の狂いもないように彫り込まれている。
これはもはや機械彫りなのか?
そして、狛犬の下の「下がり藤」の紋。
神社に紋なんてあったかしら? と気になった。( ̄_ ̄ i)
で、後日調べたら、
「偉人や先祖をまつる神社では、祭神の家紋を神紋としている例が多い」らしい。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「神社の紋」
そして、この家紋(神紋)はまさしく藤原(中臣)氏の紋!!( ̄□ ̄;)!!
春日大社を巡っているときは、
なんの予備知識もなく、
さほどの感動もなく、
神社独特の静けさを味わいながら、
かなりぼーっと歩いて、
大社内をあれこれ見ずに終わったのだが、
この家紋を調べたら、春日大社の裏事情(?)が見えてきた。(-_☆)
*
以下、寡聞にして、思い込みも激しい私の勝手な考えなので、
間違いや、思い違いも多々あろうかと思います。f^_^;
お気づきの点はコメント頂けると幸甚です。(。-人-。)オネガーイ
春日大社は
「平城京遷都の時に、藤原不比等が氏神の武甕槌神(タケミカヅチノミコト)を常陸国鹿島から勧請(カンジョウ)し、都の守り神として祀ったことに始まり、神護景雲2年(768)に社殿を造営したと伝わる。」(by『るるぶ特別編集号 京都・奈良・びわ湖』)
なぜにわざわざ鹿島の神様を?と思っていたのだが、
不比等の父ちゃん=藤原鎌足(中臣鎌足)は、
もともと常陸(茨城)の鹿島神社の祭司のお家柄だそうな!Σ(・ω・ノ)ノ!
(↑藤原鎌足 ネットより拝借)
鎌足さんは家業(?)の神社を継がず、
都で中大兄皇子と組んで、
当時の権力者蘇我入鹿を殺し、
政治の世界に入り込み、権力を握っていくわけ(多分、これが定説?)だが、
その鎌足の息子、不比等が奈良の都にどーんと建てたのが、
鹿島神社の氏神を祀った春日神社。
つまり、春日大社とは、
“中臣家鹿島神社の春日支局”みたいなもんじゃない?(-_☆)
鹿島神社は「神社」だけれど、春日では「大社」としてぐっと格上げさせた。
“「大社」の大元”となれば、鹿島神社は「神社」といえども、
神社の格が上がったのではなかろうか。
つまり、春日大社とは、「都の守り神」なんてことは建前で、
実はひとえに中臣(藤原)家の繁栄を願っての社ではないのか?(-_☆)
と、私には思えるのだが……。
と思っていたら、
「春日大社――病気平癒、商売繁盛、勝運、合格祈願
祭神は武甕槌神(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)。
前者の二神は藤原氏が一族の守護神として崇敬する氏神で、天児屋根命は祖神(オヤガミ)、比売神はその后神とされる。」(by『すぐわかる 日本の神々』鎌田東二監修)
やっぱりだ! だっふんだ!Σ(・ω・ノ)ノ!
この大社は「都の安泰」などを願ったものではなく、(願ったとしても二の次ね。)
中臣(藤原)家そのものの安泰、繁栄を願い建てられたものに違いないっ!
こうもアカラサマな自分の家のための「大社」を建てちゃうなんて、長い日本の歴史の中で、藤原氏だけではないかしら? どうかしら?(((( ;°Д°))))
そう思って見ると、
境内にあった大きな藤の木も実に意味ありげに感じる。
↑
藤の頃に来たら、見ごたえあったろう藤の古木。
これだって、藤原氏の花としてここに植えられたのではなかろうか。ヽ(;´Д`)ノ
ついでに
「鹿島神社」ってどんなんだろう? と調べてみたら……
鹿島神宮は「常陸(ひたち)の国」茨城県にある日本最古の神社の一つである。
常陸とは・・常世(とこよ)の国の意味で不老不死の聖地を示し、
伝承では最も天に近い場所である。
常陸を・・日立と呼ばせるのは・・太陽の昇る本州の東の位置にあるからである。
古事記の伝承によると、タケ・ミカ・ズチ(武甕槌)の神が
天の鳥船(あまのとりふね)の神(宇宙船?UFO?)と共に地上に降り立ち・・・
この土地で・・・地上の支配者であるタケ・ミナカタ(武御方)の神と
相撲を取ったという。
「天つ神」が高天原から降臨し、それまでの支配者である「国つ神」と戦い、
負けた「国つ神」は諏訪神社に閉じ込められてしまった。
・・という物語である。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
参照:「香取神社と鹿島神社の秘密」
日立つ……って、「日出づる処」と同じ意味だよね。
こんなネーミングや、
不老不死の常世という発想が許されて(?)いたというのも、考えたら凄い。
奈良時代、関東以北は「蝦夷」とされているのかと思っていたが、
「蝦夷」地などではないではないか。
というより、勝手に東北を蔑視して「征伐」を仕掛ける朝廷側の
大切な関東の拠点であったようだ。
そして、“中臣(藤原)氏の守護神、祖神の物語り”は、
蘇我氏を滅ぼし台頭した中臣鎌足そのものではないか?∑(-x-;)
「相撲」って、“神の前で演じてみせる余興のようなもの”だったんだろうと思っていたが、
実は、力による“国とり”そのものでないかぃ?(=◇=;)
参照:「相撲」
うむ。もともと相撲は“格闘技”だったようだ。
ぶっちゃけ、相手を力でねじ伏せる喧嘩ではないか。((>д<))
どんな国にするかとか、
国をどう治めるかとかいうよりも、
権力闘争あるのみ!
これが“藤原政治”ではないか?
その私利私欲のない高邁な政治理念や理想もないまま、
ただ権力闘争に打ち勝つことが政権を握ることになる構図は
平成の世もいまだに変わっていないではないか。
“藤原政治”というより、日本の政治はすべてこれではないか?
法律やシステムはほとんど大陸からの借り物。
自らの理念で組織を作った例は、ほとんどないのではないか?
(高橋克彦氏の『炎立つ』を読むと、東北地方には、中央政府とは別にある程度政治が成り立っていたのではないか?という気がするが、結局は「武力」で滅ぼされてしまったものね。)
政治とは単に権力闘争でしかない……
しかも、かなり暴力的な……。
と、今更ながら、改めて思い至る。(-"-;A
日本の腐敗堕落した背骨のない政治は
昔からだ?
特に、天皇をトップに据えて、その家臣たちが実質的権力を争う様は、
藤原氏に起因しているのではないのかしら?(-"-;A
……と思うのは極端だろうか?
つづく