「夫婦世界旅行―妻編」は中断中。
3月末に訪れた京都の旅行話です。

2009年桜旅行⑩清凉寺(生身の釈迦如来と五臓六腑)


寒さに震えながら、嵯峨野嵐山駅に戻る。ガーン
雨は止みそうにない。
タクシーを3時間の約束で雇って周ることにした。車


まずは本日の姉の本命、清凉寺(セイリョウジ)へ。

タクシーの運転手さんは、「あぁ、サガシャカサン」と言う。Σ(・ω・ノ)ノ!
早口言葉のようで、一瞬きょとんとしてしまったが、
京都の人は、清凉寺を「嵯峨釈迦堂」と呼ぶらしい。
だから、「嵯峨釈迦さん」なのだった。(-^□^-)
釈迦像が有名なお寺である。キラキラ


左右に阿吽の金剛力士が睨みを利かせている仁王門を潜る。

夫婦世界旅行-妻編-金剛力士像あ

夫婦世界旅行-妻編-金剛力士像うん

かなりいい感じの金剛力士だ。ラブラブ!


夫婦世界旅行-妻編-提灯?


夫婦世界旅行-妻編-法然上人(24歳)

清凉寺の釈迦像の前で7日間籠って仏教を求めたという法然上人当時24歳であった法然の“求道青年”像。道を求めて若者はいつも悩むのだ。DASH!

(アタイはいまだに道もわらかぬままウロウロしているが…。f^_^;
悩むなら若いうちだね。若いときにしっかり悩んでわが道を得ていないと、年をくってから進む方向さえ見失い、悩みは体と精神の衰えだけになるさ。あせる


渡り廊下から一際目を引いた美しい樹があった。キラキラ

夫婦世界旅行-妻編-北山台杉

境内の北山台杉(キタヤマダイスギ)。キラキラ
普通の杉は幹が1本まっすぐ延びるが、この杉は、根元の方からすぐ枝分かれをして、伸びている。
どこか仏具を髣髴とさせる形。
とても、ひょうひょうとしていて、面白い。キラキラ


このお寺にも色々お宝がある。ベル
まずはなんと言っても「生身のお釈迦様」。ビックリマーク

寺の解説をざっくりと意訳すると、

「生身の釈迦像」とは、
釈迦が生母摩耶夫人(マヤブニン)に法をとくため、別の天(忖利天 トウリテン)へ行くとき、弟子たちが子供のように嘆き悲しんだので、栴檀の香木で釈迦の生身の尊像が造られた。その像である。メモ


釈迦の弟子ともあろうものが、なぜに90日ほどの釈迦の留守を静かに守ることができなかったのだろう?
なぜ、「釈迦ちゃま。ボクチャンたちを置いて、行っちゃいや~ん!あせる」 と泣いたのだろう? 
つまり、弟子たちが駄々を捏ねて、生き写しの釈迦像が彫られたわけだ。
釈迦が留守の間、その釈迦像を見ては、彼らは慰められていたのだろうか?
「お師匠さま♡ラブラブ」とか声をかけながら合掌していたのだろうか? 
かなり不気味である。ガーン


で、90日後、お釈迦様が戻ってきて、「自分と寸分違わぬこの像」を見て、
「私が亡きあとはこの像が私に替って衆生を済度するであろう」と言って、大層喜んだと。メモ


つまり、
「やばくね? マジやばい! 超似てるんですけど。まんま自分なんですけど~。これ、私の替りになるよね。そっくりだもん。」って感じ?f^_^;


さて、ご本人も「超似てる!」とご満悦だった「生身の釈迦像(37歳)」は、どちらかというと一見子供のようなあどけなさがあり、下膨れのぽっちゃり型の顔で、足がやけに長い。さすがインド人体型ということだろうか?サーチ


栴檀の香木はさぞ香り高かったろう。キラキラ
一時たりとも離れていられない、尊敬してやまない師匠の生き写しの、香木の像があったら、さぞ皆ありがたがったろうね。(。-人-。)



その像は、インドからヒマラヤを越えて(ダウンジャケットもない時代にヒマラヤを越えたというだけでも脱帽ものだが)、中国へ伝えられた。アップ

その当時、中国(宋)へ行っていた奈良東大寺の僧、奝然(チョウネン)上人が、その「生身の釈迦像」を模刻し、日本に持ち帰ったというのが、清凉寺にある「生身の釈迦像」らしい。つまり、「生身の釈迦像」のレプリカね。(=◇=;)



しかし、レプリカにしろ何にしろ、この「生身の釈迦像」模像のすごいところは、「釈迦の生き写し」という点よりも、その体内に五臓六腑が入っていたということ!Σ(~∀~||;)

それは、昭和28年にこのお釈迦様像を動かす時に、全く偶然に発見されたらしい。
釈迦像の背中の蓋が取れて、中から五臓六腑が出てきたというのだ。
誰も釈迦像の体内にそんなものが秘蔵されているとは知らなかったらしい。


五臓六腑といっても、こちらも「生」ではなく、絹の布で作られた模型である。
心臓や肺臓や腎臓や肝臓やらが一つ一つ絹の布で、それらしい形を作って並べられたものが、生身の釈迦像の中に蔵されていたのだ。

生身の釈迦像が模刻された際、5人の中国(宋)尼僧によって釈迦の体内に「施入」されたらしい。メモ
5人の尼僧」とまで分かっていて、なぜそんなことをしたのか、なぜ尼僧だったのかは解説されていない。当時、宋では尼さんも人間の体内に詳しかったということか?はてなマーク


インドも中国も寺なら死体に事欠かないから、人間の体内の臓器について詳しく知ることができたのだろうね。

持ち帰った奝然上人は、この事を知っていたのだろうか?
実は知らなかったりして?にひひ


ガラスケースには、その絹製の五臓六腑が展示してあった(レプリカ)。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
さほど大きくない釈迦像体内に入るくらいなので、五臓六腑もとてもコンパクト。チョキ
かつては美しかったであろう絹の布で縫い合わされてる。
肝臓はそれらしい三角形もどきだが、その他の臓器は妙な形で、ヘタすりゃ、不細工な枕のようでもある。
細長い筒状のものは、大腸なのだろうか、妙な模様の紐のようでもある。
……などと言っては、バチが当たるかもしれない。(。-人-。)

当時の最先端の知識をありがたいお釈迦様の体内に詰めたということは、「生身の釈迦」を、より一層「生身」に近づけたいという思いからであったかもしれない。命を吹き込む気持ちがあったのかもしれないね。ドキドキ


五臓六腑を詰めた当の尼僧たちも、そんなこととは微塵も知らない日本の衆生たちも、この「生身の釈迦像(レプリカ)」に、「生」の釈迦を感じたのかもしれない。ドキドキ




しかし、絹の布を集めて、「これは心の臓♡」「こちらは肺臓よ。」「ちょっと、肝臓はもう1つ作らなくっちゃ。」「あいや~、腎臓が歪んじゃったわ。」などと、尼僧たちがチクチク針仕事をしたのかと思うと、なんとも不思議な図である。にひひ
(五臓六腑を実際に縫ったのは、尼僧たちだったかどうかは定かではないが……。あせる

               つづく