関西桜ツアー15
(黒門・鋼鳥居)
↑
さして大きくはないが、山道を塞ぐように、黒々とした門が現れ、山道に並んでいた店店は姿を消す。
「黒門」だ。
「金峯山寺の総門」で「言うなれば、吉野一山の総門でもあります」だそうだ。
↓
「こういう様式の門を高麗門(コウライモン)といい、城郭によく用いられています。昔は公家大名といえどもこの門からは、槍を伏せ馬をおりて通行したという格式を誇っていました。」
大名も公卿をも下に見る仏教徒(?)の自負が見え隠れする。Σ(~∀~||;)
どんな格式を誇っていたとも、現代の観光客である我々は、敬意のカケラも示さず何気なくスルーしていく黒門であった。
本来なら、ここからまさしく神聖域になるのであろうが。(。-人-。)
注:「高麗門」とは、通常2本の柱に「切妻の屋根」を乗せた門を言うらしい。大抵城の門はこの造りの門だよね。当時は「先進国(朝鮮)スタイル」で高価だったろうから、この門は権威を示すものだったのかもしれないね~。
高麗門:http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/kokenchiku/mon/yakuimon/koraimon.htm
「ちなみに金峯山というのは吉野山から大峯山に至る峰続きを指し、修験道関係の塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの黒門だったのです。」って。
ちょっと脱線:
「大峯山」ときたら、「大峰山寺(オオミネサンジ)」!
私は随分昔、吉野に来たことがあった。
西行法師が若いときに(25歳くらい?)3年ほど住んだという草庵を訪ねて、「奥千本」の方まで行ったのだ。
そのときは吉野に泊まったので、吉野の山を一日中味わえた。
朝晩、雲が湧いては流れていく峰々の清澄な空気は、見るものをして自然と敬虔な心持にさせた。
清冽な山の空気の中を歩く心地良さはなんとも言えない。
心洗われるようであった。
そんな時に
通りかかったのが、「大峯山寺」の標識。
なんとも由緒、格式のありそうな寺の雰囲気が標識からもぷんぷんしていた。Σ(・ω・ノ)ノ!
その寺は山道をさらに行ったところにあるのだった。
しかし、「女人禁制」。Σ(~∀~||;)
なんですとっ!?
カチン!ときた。
“物見遊山の観光客お断り”というのならまだわかる。
そうでなくて、女人だけ禁制ってなにさ! プン!
女性が近づくとそれだけで修行の心が乱れちゃうのね。ダメジャン!(`ε´)
“男装して潜入してやろう”という酔狂を演じる気にもなれず、
“女である”というだけで門戸を閉ざす理不尽な掟に
腹立たしさを覚え、
その後通りかかった金峯山寺にも寄らずに帰ってきたのだった。
今回は吉野の中腹、金峯山寺周辺だけを周っている。
金峯山寺は女人禁制ではない。
黒門を過ぎると山道はやや勾配を急にして、坂道と階段道とに別れる。
階段道を行くと「銅鳥居(カネノトリイ)」をくぐる。
当時「銅の鳥居」ということで、しかもこんなに大きな門で、人々を圧倒したのかもしれない。
今は「格式」もどこへやら、みなさんのお尻を支えて優しいベンチに早変わりである。( ´艸`)
↓
鳥居を過ぎ、さらに登って行くと、金峯山寺が現れた。
追記:
今回役行者(エンノギョウジャ)を調べてやっとわかったことだが、
<参照:関西桜ツアー12(吉野千本桜の由来)>
役行者の祈りが届いて“衆生を救う蔵王権現”が磐石を割って湧き出てきたとき、役行者はその蔵王権現の姿を桜の木で4躰(テイ)彫刻した。
“1躰は蔵王権現が湧出した所にお堂を建てて祀った。それが金峯山寺の始まりである。残り3躰は山下にお堂を建てて祀った。”
……と説明があったが、これはちょっとわかりにくい。
「大峯山寺」と「金峯山寺」。今は両者別々の寺の名がついているが、「明治以前は不可分一体のものだった」らしい。山の上の方が「大峯山寺」、下の方が「金峯山寺」に当る。
よって、
蔵王権現が磐石割って湧き出でた所は「大峯山寺」ということになる。
つまり、4体の蔵王像のうち、1体は「大峯山寺」に、3体は「金峯山寺」に納めたということのようだ。
そうならそうともっとわかりやすく説明すりゃいいものを、どのパンフレットや説明文を読んでも、なんとなく、イッショクタに「金峯山寺」と言ったり、「山上の蔵王堂」とか「山下(サンゲ)の蔵王堂」という表現を使って、わかりにくかった。(°Д°;≡°Д°;)
女人禁制なんてことをしてるから、脳細胞が固くなって、世間の言葉感覚とずれちゃうんでない?ヾ(▼ヘ▼;)
(もしかしたら、伝承の部分が多く、まだ判然としないところが多いから言葉を濁しているのだろうか?)
……っと苦々しく思っていたら、本日、あっさりわかりやすい説明文を発見。
http://www.kinpusen.or.jp/guide/guide_2.htm
一番最初にこのサイトを発見していたら、とっととすっきり出来たのに……。検索下手って、やぁね。
ってか、ネットで検索しなくとも、現地に、これくらい簡潔明瞭な説明を用意しておいてほしいものであるぞい! と思うのは、私だけ?┐( ̄ヘ ̄)┌
(14へ) つづく (16へ)
(黒門・鋼鳥居)
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さして大きくはないが、山道を塞ぐように、黒々とした門が現れ、山道に並んでいた店店は姿を消す。
「黒門」だ。
「金峯山寺の総門」で「言うなれば、吉野一山の総門でもあります」だそうだ。
↓
「こういう様式の門を高麗門(コウライモン)といい、城郭によく用いられています。昔は公家大名といえどもこの門からは、槍を伏せ馬をおりて通行したという格式を誇っていました。」
大名も公卿をも下に見る仏教徒(?)の自負が見え隠れする。Σ(~∀~||;)
どんな格式を誇っていたとも、現代の観光客である我々は、敬意のカケラも示さず何気なくスルーしていく黒門であった。
本来なら、ここからまさしく神聖域になるのであろうが。(。-人-。)
注:「高麗門」とは、通常2本の柱に「切妻の屋根」を乗せた門を言うらしい。大抵城の門はこの造りの門だよね。当時は「先進国(朝鮮)スタイル」で高価だったろうから、この門は権威を示すものだったのかもしれないね~。
高麗門:http://www.kcn-net.org/senior/tsushin/kokenchiku/mon/yakuimon/koraimon.htm
「ちなみに金峯山というのは吉野山から大峯山に至る峰続きを指し、修験道関係の塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの黒門だったのです。」って。
ちょっと脱線:
「大峯山」ときたら、「大峰山寺(オオミネサンジ)」!
私は随分昔、吉野に来たことがあった。
西行法師が若いときに(25歳くらい?)3年ほど住んだという草庵を訪ねて、「奥千本」の方まで行ったのだ。
そのときは吉野に泊まったので、吉野の山を一日中味わえた。
朝晩、雲が湧いては流れていく峰々の清澄な空気は、見るものをして自然と敬虔な心持にさせた。
清冽な山の空気の中を歩く心地良さはなんとも言えない。
心洗われるようであった。
そんな時に
通りかかったのが、「大峯山寺」の標識。
なんとも由緒、格式のありそうな寺の雰囲気が標識からもぷんぷんしていた。Σ(・ω・ノ)ノ!
その寺は山道をさらに行ったところにあるのだった。
しかし、「女人禁制」。Σ(~∀~||;)
なんですとっ!?
カチン!ときた。
“物見遊山の観光客お断り”というのならまだわかる。
そうでなくて、女人だけ禁制ってなにさ! プン!
女性が近づくとそれだけで修行の心が乱れちゃうのね。ダメジャン!(`ε´)
“男装して潜入してやろう”という酔狂を演じる気にもなれず、
“女である”というだけで門戸を閉ざす理不尽な掟に
腹立たしさを覚え、
その後通りかかった金峯山寺にも寄らずに帰ってきたのだった。
今回は吉野の中腹、金峯山寺周辺だけを周っている。
金峯山寺は女人禁制ではない。
黒門を過ぎると山道はやや勾配を急にして、坂道と階段道とに別れる。
階段道を行くと「銅鳥居(カネノトリイ)」をくぐる。
当時「銅の鳥居」ということで、しかもこんなに大きな門で、人々を圧倒したのかもしれない。
今は「格式」もどこへやら、みなさんのお尻を支えて優しいベンチに早変わりである。( ´艸`)
↓
鳥居を過ぎ、さらに登って行くと、金峯山寺が現れた。
追記:
今回役行者(エンノギョウジャ)を調べてやっとわかったことだが、
<参照:関西桜ツアー12(吉野千本桜の由来)>
役行者の祈りが届いて“衆生を救う蔵王権現”が磐石を割って湧き出てきたとき、役行者はその蔵王権現の姿を桜の木で4躰(テイ)彫刻した。
“1躰は蔵王権現が湧出した所にお堂を建てて祀った。それが金峯山寺の始まりである。残り3躰は山下にお堂を建てて祀った。”
……と説明があったが、これはちょっとわかりにくい。
「大峯山寺」と「金峯山寺」。今は両者別々の寺の名がついているが、「明治以前は不可分一体のものだった」らしい。山の上の方が「大峯山寺」、下の方が「金峯山寺」に当る。
よって、
蔵王権現が磐石割って湧き出でた所は「大峯山寺」ということになる。
つまり、4体の蔵王像のうち、1体は「大峯山寺」に、3体は「金峯山寺」に納めたということのようだ。
そうならそうともっとわかりやすく説明すりゃいいものを、どのパンフレットや説明文を読んでも、なんとなく、イッショクタに「金峯山寺」と言ったり、「山上の蔵王堂」とか「山下(サンゲ)の蔵王堂」という表現を使って、わかりにくかった。(°Д°;≡°Д°;)
女人禁制なんてことをしてるから、脳細胞が固くなって、世間の言葉感覚とずれちゃうんでない?ヾ(▼ヘ▼;)
(もしかしたら、伝承の部分が多く、まだ判然としないところが多いから言葉を濁しているのだろうか?)
……っと苦々しく思っていたら、本日、あっさりわかりやすい説明文を発見。
http://www.kinpusen.or.jp/guide/guide_2.htm
一番最初にこのサイトを発見していたら、とっととすっきり出来たのに……。検索下手って、やぁね。
ってか、ネットで検索しなくとも、現地に、これくらい簡潔明瞭な説明を用意しておいてほしいものであるぞい! と思うのは、私だけ?┐( ̄ヘ ̄)┌
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