2001年夫婦世界旅行のつづきです。7月11日早朝、オランダの首都、アムステルダムに到着。空港から電車でアムステルダム・セントラァール駅まで辿り着きました。





part110 初ヨーロッパ、初アムステルダム


     ―その2(広くて狭いアムス!)








 アムステルダム・セントラァール駅を降りると、一段と強くなった風に吹き晒される。7月も中旬だというのに、寒さが肌を射す。昨日までずっと (3ヶ月間ほど) 灼熱の東南アジアにいたのだから、体がヨーロッパに馴染まない。ブルルッと身震いして、とりあえず歩き始める。そう、我々は常にとりあえず出来ることから始めるのだ。






まず荷物を駅のコインロッカーに預け、身軽になって宿探しだ。空港の両替所で両替した際、円がひどく低く、ガイドブックには1ギルダー46円となっていたのに、実際には1ギルダー55円を越えた。2万円替えても200ギルダーにもならない。それなのに、ロッカーの使用量は8.5ギルダー (約470円) もする。物価は日本と変わらないどころか、日本より高い。





宿探しの前にとりあえずコーヒーを飲まなければ、私は体が動きません!  ってことで、駅の構内にある小さなカフェに入る。エスプレッソではなく、 “普通” のコーヒーを頼んだつもりなのだが、片手の握りこぶしに隠れてしまいそうな小さな小さな小さなカップのコーヒーが出てきた。カップごと口の中に放り投げてやりたいくらい小さい。一口で終わってしまいそうだ。ちびちび大切に啜る。量にして50ccほどであろうか。それでも3.3ギルダー (約180円) ! おまけに “その店の中にあるトイレ” さえ有料で、0.75ギルダー (約40円)。





息をするのにもお金を取られそうだ。ため息ついてもお金を取られそうだ。なんだ、ここは? しかし、わずかばかりのコーヒーでも、冷えた体に血が巡ってきた。さぁ、宿を探そう。





駅前は広場になっており、路面電車の線路が幾本も引かれた大通りが朝の街の中へとゆったりと延びている。駅を中心に運河が同心円状に幾重にも設けられていて、道路は放射線状に張り巡らされている。蜘蛛の巣のようだ。駅前のど真ん中の大通りを適当に歩いていき、大きな橋を渡る。道路も橋もどんより曇った空さえも、広々と開けている。昨日までのゴチャッとした人ごみが別世界に感じる。身を縮めて歩いていてさえ車に当てられてしまうカオサンの狭い通りが嘘のようだ。何なんだ? この広さは? この広がりは? この余裕は? 





あっけに取られながらも、広い “路地” に入り込んで、予めガイドブックで目を付けておいた安宿を探す。





路地は大通りに比べればかなり細く入り組んでいたが、宿はすぐに見つかった。しかし、そのドアに張り紙がしてある。 「full」 だ。 「満員なので、まず予約電話を入れてから、また明日来てくれ」 と断りが書いてある。他のめぼしい宿も同様だった。





駅前通りには他にもホテルが沢山並んでいたが、どれも一晩9,000~10,000円ほどするものばかりだ。こりゃ、とにかく駅前の観光情報局へ戻って、予約するなり、安い宿を教えてもらうなりした方がよさそうだ。





駅までまず戻ろう。もうすぐ9時だ。観光情報局が丁度オープンする時間である。それ行け! っと、路地から大通りへ出ると、ふらりと一人の日本人が声を掛けてきた。





「日本人の方ですかぁ?」 ――この一声には要注意! とガイドブックに書いてあったまんまの一声である。見ると、口髭を蓄えた50代らしい中年の日本人の男が、寒そうにジャケットの襟を立てて、立っている。





こんな朝っぱらから、こんな路地口で、こいつは一体何をやっておるのだろう? 懐かしい日本語に思わず足を止めて振り返ってしまった我々に、男はすかさず話し始めた。





男は一人で自分の仕事のことや日本の “教育” のひどさを話した。具体的に何をやっているのかはっきりとは言わないが、何やらこちらで “ビジネス” をしているらしい。それにしても、じっと街路に立っていると寒い。寒さに震え、宿も決まっていないのに、どうしてこんなところで謎の男に日本の “教育論” を拝聴せねばならんのか? 





我々が 「それでは」 と去ろうとすると、 「あ、ちょっと、聞いてもいいですかぁ? あなたたちは何をなさっているのですかぁ?」 と名残惜しそうに引き止める。我々が宿を探しているところだと言うと、 「それなら駅前の観光情報局で予約してもらった方が安全ですよ。」 と言う。我々はさっきからそうするつもりだと言っておるのに!





そしてそこから 「奴らはね、オランダ人は、信用ならないっ!」 と、今度はオランダ人の悪口をまくしたて始めた。そして日本がオランダにいかに莫大な金を無駄に援助しているかを訴える。へぇ? こんなご立派な国に日本が援助? おこがましいような妙な話だ。オランダにうまいこと言いくるめられて、日本は馬鹿みたいに援助している! とその男は熱く語る。





田中真紀子や竹中平蔵といった政治家達の名をいかにも親しげに挙げて、自分が彼らから怖れられているのだとさえ言う。そして田中真紀子に関係しているスタッフの名前だと言って、私の持っていたガイドブックの表紙の裏になにやら日本人の名前を書きこんで、 「何かあったら、この人に連絡すれば大丈夫ですよ。」 と満足そうに頷く。もうこいつはヤバイな……と逃げる隙を窺っていた我々は、 「ありがとう。それでは、お元気でっ」  と礼を言って、それを潮に今度こそ立ち去ることにした。(「連絡しろ」 って、連絡先も分からず、どう連絡しろというのだい? という言葉を飲み込んでおいた。)





ところが、その男は 「はい。ガイドブックに書き込んだから、その名前、忘れないでくださいね。お役に立ててよかった。あ、お別れする前に、ひとつだけ、お聞きしてもいいですか? 日本でのお仕事は何ですかぁ?」 と始まるのだった。





その男は全くいい加減、支離滅裂なことを並べ立てては、とっとと宿を探しに行こうとする我々を何やかやと引きとめ、喋り続けた。明らかに異様だ。何度か話を打ち切ろうとするたびに、 「はい、お気をつけて。あ、お別れする前に一つだけ聞いていいですかぁ? 」 と来る。コロンボか、おまえはっ? 





質問されると、つい答え、一つ答えると、その答えを更に詳しく聞こうとさらなる 「質問」 をしてくる。我々を引き止めてこいつに何の得があるのだろう? 単に日本人が恋しいのか? と思うと、ついつい話に付き合ったりしてしまう。





「もう観光情報局に行かなくちゃっ。さよならっ。お元気でっ。」 漸くその男から逃れる。我々が到着したときは全然人がいなかった、駅前のインフォメーションセンターはもう旅行客でごった返していた。列に並んで待つこと30分。ようやく順番が回ってきた。





カウンターで我々の望む金額 (一泊5,000円~7,000円) を提示して宿の紹介を頼むと、 「そのような安宿は、存在しない!」 と言われてしまった。我々が狙ったような安宿は、こうした情報局には登録されていないらしい。





しかたなく、1泊160ギルダー (約8,800円) で共同トイレ・共同シャワーの宿を3泊予約した。係りの人はコンピューター淀みなく打ちまくり、手早く電話を掛けて我々の予約を取ってくれたが、 「予約料」 だ 「デポジット」 だと、訳の分からない明細を付きつけてきて、結局1泊170G(約9,350円)以上する計算になる。共同トイレ、共同シャワーで、なんというお値段!





ホテルの場所についても、係りの人はその住所を教えてくれるだけ。行き方だって分からない。こちらが食い下がって、トラム(路面電車)の下車駅を聞くと、駅名だけは教えてくれるが、降りてからの道順などはもはや聞き出すことは出来なかった。住所が書かれた紙切れをいらだたしげに指し示して、 「ここよっ。住所が書いてあるじゃない。」 という感じ。どこからトラムに乗るのか聞くと、 「あっちよっ。ここを出て、左っ。」 そんなにおっかなく言わなくたって、いいじゃないかぁ。気持ちがショボンとしてくる。





西欧人は自分達が必要な情報を得ようとする時は、見ている側がうんざりするほど粘るが、我々日本人はこういう時、なかなか粘ることができない。後の人が順番を待っていることを考えると、完全に納得できないままに早々にカウンターを後にしてしまうのであった。





「今から2時間以内に宿に着きなさいね! でなければ、宿の予約は無効だからねっ」 と言い渡された。これまた、日本とは随分事情が違う。こりゃ、のんびりしていられない。時間がないぞ。道には迷うだろうし。予想以上に高い宿代3泊分を作るために、また両替しなくてはならないし。





駅前周辺は銀行が見あたらない。 (何日か立って歩き慣れたら、あちこちにATMが目に着くようになったが、最初は全く分からない。銀行の看板を掲げた銀行などほとんどないのだ。)





駅の構内の両替所で、空港よりは多少いいレートで両替し、 「あっちよっ」 と言われた辺りでトラムを探し、乗り込む。しかし、目指す駅名しか分かっていない。車内の人に聞きまくる。オランダ語は英語と同じアルファベットを使っていても、発音の仕方が随分違うようで、字を眺めて発音しても正確に伝えられない。英語よりむしろドイツ語に近いようだ。





言葉には戸惑ったものの、人々は皆親切で、なんでも気さくに教えてくれる。聞かれても分からないことだと、わざわざ調べて教えてくれる。





我々の目指す駅は、トラムで6、7個目の駅だとわかった。トラムが止まるたびに、ひとーつ、ふたーつと数えて、7個目で、さきほど我々が声をかけた青年が、ここだよっと目で合図してくれる。 「サンキュー!」 言葉は通じなくとも、 (オランダの人は英語は分かっている。通じないのはオランダ語が読みきれない我々の方だけだ。) 表情で通じ合える。





さて、気持ちよく降りたはいいが、右も左もわからない。おまけにまた雨も降ってきた。うろうろ迷っている暇はない。時間までに到着しなければ、予約は取り消されてしまうのだ。ここまできて、そりゃないよ。遅れてたまるか。





見渡すと広い道路に美しい歯並びのように建物がきっちり並び、閑散としている。どんよりと重たい雨雲に追い詰められたような気持ちになる。セントラァール駅前よりはコンクリートが勝ったビルが無表情に建ち並んでいる。取り付く島もない街。誰もいないのか? しかし少しうろうろしてみると、そぼ降る雨の中、一人二人、人は歩いているのであった。





ビルの軒下に雨宿りをしていた老夫婦を見つけ、道を聞いてみると、大体の方向が分かった。その方向にしばらく歩くとまた分かれ道だ。そこでまた街角に佇んでいる老婦人2人組みに道を尋ねてみた。すると、その人たちも観光客で、道がよく分からない。自分たちも道に迷っているところだと言う。道理で手に大きな地図を広げているはずだ。 「ありゃりゃ。失礼しました」 と去ろうとすると、 「ちょっと待って」 と、その観光客のご夫人たちは、自分たちの持っている詳しい地図で、我々のために色々探してくれるのだった。





西欧人は人のことなどに気を使わず、かなり失礼だと感じることが多いが、こちらが何か尋ねれば、実に親切に答えてくれる。雨に濡れながら、運河沿いに歩いて行くと、教えてもらった通りに、ホテルはあった。時間は観光局を出てから1時間ほど立っていた。やれやれ。セーフである。





オランダ訛りの英語をまくしたてるマスターから鍵をもらい、狭い急な階段を上って、これまた狭い廊下の突き当たりの部屋に入る。部屋に小さな洗面台が付いているのが、大分心を軽くする。狭い部屋にダブルベットと小さな箪笥が一つ。荷物台はない。





そう言えば、街並みはえらく広々していたが、一つ一つの建物は確かに随分間口が狭かった。細面(ほそおもて)の建物が統一された色とデザインで、きっちりぎっしりきれいに道に沿って建てられているので、その分、道は広々としているのだ。通りに隙間なく並んだ建物の高さもほぼ統一されているので、空もくっきりと広がって見える。この統一感が街全体を広く感じさせているのだ。で、いざその建物の中に入ると、その狭さたるや、驚くべきものがある。





廊下に絨毯が敷き詰められ、ドアノブも重々しいしっかりしたものだ。部屋の中の箪笥も小さいながら重厚なヨーロッパ家具で、彫り込みも美しい。箪笥の中には針金のハンガーなんて掛かっていない。立派な木製のハンガーだ。窓のカーテンの質もいい。しっかりした布だ。アジアの宿にかかっていたスケスケの安っぽい布とは質が違う。……しかし、如何せん、狭い。





廊下にある共同トイレもひどく狭く、拷問部屋のようだった。トイレの便器とドアの間隔は30cmほどしかない。トイレのドアをひとたび閉めたら、上半身を前傾させられない。ちょっと太った人など、ドアを閉められまい。皆どうやって下着を下ろしたり、お尻を拭いたりしているのかと不思議になるくらいの狭さである。姿勢を正してヒンズースクワットでもするように腰を下ろさなければ、便器にさえ座れないのだ。便器に座ったら、とりあえずロダンの 「考える人」 のポーズをとらないと落ち着かない私としては、ちょっと前こごみになるとゴンッと頭をドアにぶつけてしまい、トイレで一息つけないのであった。しかもトイレットペーパーが便器の丁度真横の位置に取り付けてあり、便器に座ったまま体をひねってトイレットペーパーを巻き取ることは、なかなか骨の折れるストレッチ運動にもなるのであった。ずごん。





やれやれ。すべてにおいて、特に不潔ではないが、清潔だと喜ぶほど清潔でもない。部屋に付いていたタオルは一見白くて、洗剤のいい香りがする。洗いたてなのだが、使って漸く気が付いた! 私以外の髪の毛、つまり金髪だの茶髪だのが何本もタオル地に絡み付いているではないかっ。ドッシェーッ!。 こんな宿で一泊9,000円以上するなんて納得できない。





しかし、アムステルダムはどこもこんな物価のようだ。折りも折り、観光シーズンを向かえて、もはや、空いている宿を探すだけで精一杯の状態である。食事などのことを考えると、1日の出費は2人で15,000円は掛かりそうだ。これから先どうやって行こうか。急遽、検討し直さなければならない。


         


  つづく


       前へ
      次へ