2001年夫婦世界旅行のつづきです。ヴェトナムのサイゴンで二人していちいちびっくりしてます。

part11. ヴェトナム人、何をする?!



 何をしてくるかわからない、ヴェトナム。警戒に警戒し、緊張に緊張する。おまけに強烈な湿気と暑気。3秒ごとに寄って来る物売り、物乞い。ひっきりなしのエンジン音。けたたましく鳴り続けるクラクション。けぶる排気ガスが汗に溶けて肌に染み込む。中心街に着いて宿を見つけるだけで、へとへとになる。値段は少々お高いがそこそこ清潔な中級ホテルに宿を決め、部屋に荷物を下ろすや、一眠りした。



 目が覚めた時には夜も10時を回っていた。お腹も空いたので、夜の街へ買い出しに行くことにした。さあ、行こうと、部屋のドアを開けてびっくり! 我々の部屋のドアの前に、従業員の女の人がアオザイを着たまま薄い布一枚に包まり、冷たいタイルの廊下にそのまま寝ているではないか。なんで?! びっくりして声を掛けると、ヴェトナム語で、「にゃにゃにゃらーいっ。はんむっちゃーいっ。こんなんっにゃいぃぃ。むにゃむにゃーぃ。にゃっ。」(勘で訳すと:何よぉ、うるさいわね。寝てたのに。なんか用? あたいは眠いのっ。)とか何とか言って、目をこすりこすり再び深く眠りに入ってしまった。おいおい、従業員部屋から追い出されたのか? いやいや、これはもしかしたら、我々が寝入るのを窺っていたのでは? そうだ、我々が部屋を空けるのを狙っているに違いない。そうでなければ、なぜ従業員が客の部屋の前で寝ているのだ? 怪しい。どう考えても怪しい。



 そこで急遽、作戦変更。コンビネーション攻撃(?)だ。夫は買出しに、妻は部屋で留守番をすることになった。ドア一枚隔てて、ホテルの従業員を装った謎の女Xと対峙しているかと思うと、妙に緊張する。結局夫が買出しから戻ってきた時には、女は姿を消していた。しかし、一体どうしてあの女は、我々の部屋の前に張り付くように横になっていたのか。やはり我々の寝静まる様子を窺っていたのか。あるいは純粋に、冷たいタイル張りの床で寝るのが彼女の常なのか。それにしても何故わざわざ客室の前で寝る必要があるのか……。疑念は疑念を呼び、一晩中まんじりとも出来なかったのであった。



 ヴェトナム人は自分の都合さえよければ、人の都合が悪かろうが何だろうが、「no problem」だ。ホテルの部屋の戸締り具合をチェックしたときのこと。部屋は大きなガラス戸が一面窓になっている明るい部屋だった。ガラス戸からは小さいながらも小綺麗なベランダに出られるようになっていた。しかし、そのガラス戸には、鍵の付いていない南京錠が取っ手に引っ掛けてあるだけだ。無用心である。南京錠の鍵をくれるように言うと、「no problem」と言って、なかなか鍵を渡そうとしない。「こっちはproblemなのだっ。鍵をよこしなさい。」と、しつこく交渉してようやく鍵を手に入れた。こちらの当然の要求をなぜ彼らはすぐに受け入れないのか。理解できない。



 後日、宿をチェックアウトするとき、忘れ物はないかと部屋中見回していた時のこと。初めは使いもしないのでよく見なかったテーブルの引出しの底に、黒々とサインペンで書かれた英語のメッセージを発見。それは、その部屋に以前泊まった客からのメッセージだった。その人はベランダのガラス戸を開けたままにしていたらしく、貴重品をすべて盗られたと書いてある。盗難のあった部屋に泊まっていたのかとぞっとした。しかし、盗難のあった部屋なら猶のこと、ガラス戸の鍵をなぜ最初からきっちり我々に渡さなかったのだろうか。不可解である。





 ヴェトナムの通りは、建物がぎっしり隙間なく並んでいる。そして毎日どこかしら工事中だ。我々のホテルの隣も工事をしていた。建物と建物がぴったりとくっついているので、隣のビルの工事は薄い壁一枚隔てた隣の部屋の工事と同じである。夜は一晩中ひっきりなしに行き交う車やバイクの音に悩まされ、そして毎朝7時には、コンクリートを穿つドリルの轟音と振動で起こされる。



 (後で気づいたのだが、ヴェトナムは日中うだるように暑いので、人々は早朝必死で仕事をするようだ。日中はほとんど鳴りを潜め、そしてまた日暮れ時から活動を始めるのがベストパターンらしい。) 



 朝目覚めると、ヴェランダの窓から、隣りの工事人夫がいつもにやにや覗いている。ドリルの音にジンジン痺れた脳みそを抱えて、ロビーに降り、朝食を取る。3畳ほどの小さなロビー兼食堂だ。小ぶりのソファセットに小さなテーブルと椅子が数脚。客が2、3組も降りてくると一杯になってしまう。で、フロント係のロンさんのオフィスデスクさえ、客の食卓になるときもある。



 朝食は、フランスパン半分(約15cmほど)とよく火の通った目玉焼き、練乳入りの甘くて濃いヴェトナムコーヒーと小さな青いバナナ。これだけ。でもコーヒーはとろりと美味いし、フランスパンもカリカリふぅんわり。とっても美味しい。青いバナナも日本の黄色いバナナよりよほど新鮮で美味いのだ。特にヴェトナムコーヒーは絶品である。昔、トリスウィスキーを買うと付いてきたような小さなガラスコップの底に、1cmほど練乳が溜まっている。コップの上にアルマイト製(?)の蓋付茶漉しのようなものが乗っており、その底に一面にあけられた小さな穴からポタポタ、ぽとぽと、コーヒーの黒い香る液体が一滴一滴、落ちてきて、ゆっくりコップに溜まっていく。このひと時が、またいいのである。なんて悠長なことをいって暢気に構えていると、茶漉しの穴が目詰まりして、30分待ってもコーヒーが飲めないなんてことになるのであるが。



 ささやかながら十分上質な食事で、気持ちもお腹も満たされる。が、しかしっ、食後、部屋に戻ると、休む間もない。チェックアウトの時間にはまだ随分間があるのに、部屋を追いたてられるのだ。掃除係の従業員が、勝手に合鍵で鍵を開けて入ってくる! 「まだだ。」と言っても、何度も何度もすぐに鍵を開けて入ってこようとする。どうしてチェックアウトの時間まで待てないのか。我々が部屋を空けるまで、戦うつもりなのか、5分おきくらいに押し入りに来るのであった。これでチェックアウトの時間まで粘れる客がいるだろうか。いや、いまい。根競べ、ヴェトナム人にはかなわない。



 連日猛暑である。今日はホテルのレンタサイクルを利用して、戦争証蹟博物館へ行った。ホテルで貸してくれるのだから、ある程度まともな自転車が借りられるかとちょっぴり期待したのだが、例に漏れず、ボロボロのガタガタの錆錆だった。白人仕様の高い座席は、これ以上低く出来ないと言われ、仕方なく足がつりそうになりながら走り始めた。ペダルを漕ぐ時さえ爪先立つようにしなければならない。ブレーキの利きも甘い。走っている最中に、サドルの周りの鉄板がはずれてずり落ち、辛うじて下の方の金具に引っかかった。ガランガラン・ガジンガシン。擦れる。五月蝿い。危ない。車は四方八方から縦横無尽に追いたててくる。陽は容赦無く頭のてっぺんからガンガン照り射してくる。身体中から汗が噴き出てくる。



 途中、広い歩道に出て、ほっとしたのも束の間、そこは足の踏み場もないほど馬糞がばらまかれているウンコ道だった。走りにくい、臭いのダブルパンチだ。



 (これは後にかなりの割合が人糞であることが判明。実際にこの歩道で人々はお尻をペロリと出してウンコするのであった。)



 へとへとになって、戦争証跡博物館に辿り着く。レンタル自転車は有料駐輪場に預ける。そこら辺に置いておくと、盗まれるのだそうだ。あんなボロボロの自転車を誰が盗むのかとも思うが、盗まれたら最後、高い高い弁償金を請求されるというのだから、我々に自転車を貸してくれた当のホテルの従業員が盗みに来ないとも限らない。ぶっ壊れ自転車も恭しくお預けする。預けている間に盗まれるということもあるそうだから、不安は尽きない。



 さて、門をくぐると、広い中庭に戦闘機などが展示してあり、その奥にご立派な赤レンガの建物が厳めしく聳えてござる。あの中に戦争の証跡があるならんと、流れ落ちてくる汗を拭き拭き、しつこい物売りをおっぱらいしているうちに、ブザーが鳴り響き、館は昼休みということで、肝心な博物館に入る前に閉め出されてしまった。11時45分。こんな中途半端な時間でも、自分たちの休憩時間はきっちり守るヴェトナム人であった。



 約2時間近い昼休みの間、近くの公園を散歩してみた。フランス統治の影響だろう、ヴェトナムには広々とした緑の公園が多い。しかし、悲しいかな、その美しい緑の静けさをヴェトナム人は壊したいらしい。公園の至る所が工事中で、どうやらちょこまかした遊園地に改造中のようだ。やがてこの公園もアトラクションの機械音と人々の喚声であふれかえるのだろう。車の音。クラクション。工事の騒音。しつこい物乞い。やれやれ、どこに行っても静かに休める所が無い。



 博物館に戻って一通り見学する。ヴェトナム戦争の悲惨な犠牲者の写真ばかりで、歴史的な経緯や体系づけられた知識が得られるものもなく、ただひとえにアメリカ人がいかに非人道的にヴェトナム人を殺戮したかという点に展示は絞られていた。なんだかなー。



 博物館は2時間もしないうちに見終わってしまった。次は、有名なドン・コイ通りを突き抜け、サイゴン河まで出てみた。



 川沿いは所々にベンチが設置されて、公園になっている。すぐ後ろは車の途切れることのない大通りだが、川に向かって座っていると、背後の喧騒もさして気にならなくなる。車の川と水の川に挟まれたような不思議な空間である。川風が心地よい。現地の人も涼みに来るらしく、川沿いは多くの人で溢れていた。一人ぼっちの人。恋人達。家族連れ。思い思いに安らいでいる。ここでは騒ぐ人も無く、和やかな一時であった。なんだ、ヴェトナム人も静かにしていることができるんじゃん。(もちろん物売りはしょっちゅうやってきたけれど。)





 連日連夜の車と工事の騒音に音を上げ、宿を変えることにした。しかしヴェトナムで宿を変えることは、とてもやっかいなことらしい。我々と同じ界隈の安宿に宿泊していた女の子が、宿替えしたときのことである。宿の主人は親切だし、特に不満はなかったものの、たまたま知り合った男の子から、すぐ近くにもっと安い宿を紹介され、宿を変えたんだそうな。そうしたら、前の宿の主人がものすごい形相で追いかけてきたそうな。こわくなって、新しい宿に逃げ込んだが、その中まで追いかけてきて、宿の主人同士で喧嘩を始め、怖い怖い思いをしたのだそうな。



 カフェも、一旦行きつけのカフェができると、他のカフェに行こうものなら、その情報が寸時にカフェ通信網で伝わって、いつものカフェの人から睨まれるようになるのだとか。



 原因はヴェトナム人のジェラシーらしい。客がどこに行こうが、どこに泊まろうが勝手だと日本人は思うが、ヴェトナム人は違うらしい。そんな話を聞いていたので、我々は宿変えをすることを気どられずにホテルを出ることに苦心した。



 いよいよ宿替えの日。前夜からの打ち合わせ通り(二人とも、こうなると極秘ミッションを負ったスパイ工作員同士のような気分になってくるのであった。)、さりげなく何事もないように、ロビーへ降りていった。朝食は人のごった返す早めの時間にして、宿の人と余計な話をしないようにする。食事をさっさと済ませ、いつもお代わりする美味いコーヒーも今日は一杯でとどめて、早々にチェックアウトする。今日はどこへ行くのかという宿の人の探りにも、体よく曖昧にはぐらかし、特に問題なくチェックアウトした。清算の際、3泊しかしていないのに4泊分取ろうとしたが、訂正させて済んだ。ううむ、油断ならない。



 (しかし、主人のロンさんは、したたかさと優しさを“がぶりよつ”にしたような、逞しさを全身に漂わせたアオザイ<または、アオヤイ?>の似合う麗人であったし、ヴェトナム語の数の数え方など丁寧に教えてくれた親切なお方であった。我々は決して宿の人々に嫌気が差したのではない。念のため。)



 バックパック背負って、次なる宿へ向う。途中、前の宿の者が跡をつけているのではないかと不安で時々振り返ってしまった。2本ほど小道を過ぎると次に泊まるホテルだ。前のホテルの主人に追いかけられることもなく、無事ホテル変え完了。



 しかし、通された部屋は、先日下見して予約した部屋302号室ではない。ボーイがエレベーターのボタンを2階に押すので、「3階の302号室を予約したはずだ。」と言うと、「それはふさがっている。」と言う。302号室を予約したのに、おかしいではないか。同じタイプの部屋だから「no problem!」だと通された202号は、なるほど同じ構造の部屋ではあった。しかし、宿泊料は約束と違うかもしれない?フロントに確認に行くと、ボーイと同じ調子で、同じタイプの部屋だから、同じ値段。だから、「no problem!」と言って譲らない。それでは確認証を書いてくれと言うと、これまた、「no problem!」を繰り返して、ついに確認証を出さなかった。パスポートも預けなければならなかったが、預かり証も出さない。根負けして、部屋に戻り、セキュリティーチェックをする。廊下側に付いている窓がいかにも危うい。サンに指し込む鍵が窓枠の上下に付いてはいるが、結構ガタガタして、きっちり入らない鍵。血液型A型の夫はさんざんチェックして、鍵を鍵穴に指し込むことに成功し、きっちり鍵を掛けた。おまけに窓の取っ手に持参のチェーンをぐるぐる巻に掛け、取りあえずよしとした。



 夜、食事から帰ってきたら、部屋の様子がなんとなく違う。つけっぱなしにしていったエアコンや蛍光灯が消えている。そのくせ、消してあったはずの小さなスタンドは煌々とついている。きっちり掛けていった窓の鍵が途中まで上げてある。これはどう見ても誰かが部屋に入ったのだ。特に何も盗られてはいないが、窓の鍵がいじってあるのは納得行かない。ドアには「Don’t distub」の札だって掛けておいたのに。ホテルの従業員以外の人間が入り込む可能性だってあるので、すぐに夫がフロントに確認に行った。誰も入らないと言い張る。そこで、「ホテルの人が何か確認のために入ったというのなら問題ないのだが、そうでなければ、外部の変な奴が入ったことになるでしょ。」とこちらも言い張ると、ようやく、タバコの火の不始末が無いか点検をしに入ったと認めた。安全面は大丈夫、大丈夫、とそればかり繰り返す。結局それで引き返してきたのだが、それなら何故窓の鍵をいじる必要があったのか、おかしいではないか。疑心暗鬼。うまくすれば夜中こっそり忍び込もうとして、鍵に手をかけたものの、ぐるぐる巻のチェーンに気づき、途中で諦めたのかもしれない。そう考えた方が状況のつじつまが合うのである。一泊US$14(約1750円)も払うのに、こんなに不安では気分が悪い。昨日までのホテルよりは数段静かなので、取り合えず、泊まる。



 大通りから一本中に入ると、ぐんと静かになるものだ。その晩は、耳をつんざく音もなく、ヴェトナム到着以来、初めて朝まで眠り通せたのであった。ああ、眠れるって、すばらしい。殺人的に五月蝿いヴェトナムが静かな眠りのありがたさを教えてくれることになった夜ではあった。



 移動したホテルはそこそこの中級ホテルで、エアコンもしっかり利くし、部屋も広い。清潔でなかなかよいのだが、バスルームの換気がどうもよろしくない。換気扇のスイッチもなく、ただ黒い穴が壁上方に開いているだけである。多分、自動的に換気扇が働くようになっているのだろうと思っていたのは、しかし大きな大きな間違いだった。それは、まさしくただの穴だったのだ。しかも、隣の部屋のバスルームとの仕切りの壁に空けられている穴だった。だから、隣の客がシャワーを浴びれば湿気が思いっきり我々のバスルームに流れてくるし、隣の客が用を足せば、その強烈な下痢便の臭いが我々のバスルームに充満するのであった。



 そのことに気が付かない隣の客は、どうやら日本人の若いカップル。ある晩、歯を磨いていた時、隣の二人が仲良くバスタイムを始めた。これには慌てた。バスルームで熱々のイチャイチャ会話がおおっぴらに交わされ、嫌でも我々のバスルームに筒抜け。グゥアラグゥアラ、ペッペッと勢いよく口を漱いでも、気づいてもらえない。よっぽど教えに行ってあげようかと思ったが、いきなりドアを叩いて現れた見知らぬ日本人から、「あなた方の会話は隣の我々に筒抜けですぜ。」なんて教えられたらたまらないだろう。なんとか気づくよう、我々の方から大きな音を立ててバスルームのドアを閉めてみたら、気づいたらしく、ぱたりと会話が止んだ。ああ、今頃恥ずかしくてしようがないんだろうな、と気の毒になる。でも、いいよね、若い人は。いやぁ、元気で愛し合え、若者よ!(因みにそのお隣さんは翌日早々ホテルをチェックアウトして去っていってしまった。) それにしても、隣のバスルームを穴一つで&#32363;げて排気をごまかすヴェトナムホテル、汚いぞ!



 ある日、ホテルの狭いエレベーターの中で、我々とエレベーターボーイの3人だった時、エレベーターボーイは、我々が給料をいくらぐらいもらうのか尋ねてきた。そして、エレベーターの壁をじっと見つめながら、「僕の一月の給料は45USドルなんだ。」と呟く。彼にしてみれば、一泊14ドルもする部屋に何日も滞在する我々は、“かなりいいご身分のお金持ち”になるのだろう。日本で生活するにはいかに金がかかるのかということ、よって、我々の給料は日本ではまったく高給ではなく、生活はカツカツであることを説明した。



 しかし確かに、こうして仕事を辞めて旅行に出られるということ自体、贅沢なことではある。エレベーターボーイはサイゴンから出たことがないどころか、エレベーターの中から出たことさえないような暗い顔をして、エレベーターの壁をひとしきり見つめ続けた後、ようやく我々の方を向いて少し微笑んでくれた。君、話すときは壁ではなく、こちらを向いてくれないと、なんだかこわいぞ。

              つづく

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