経済学の祖と言われるのはアダム・スミスです。
彼がイギリスグラスゴー大学で『国富論』を書いたのは、アメリカがイギリスから独立宣言をした年、1776年です。
それまでは「経済学」というものはなかったと言われています。
なぜそれ以前に「経済学」がなかったかというと、それまでは農家に生まれたら農家を継ぐしかなかった。鍛冶屋の息子は鍛冶屋を継ぐ、と決まっていた。経済的自由がなかったからと言われています。
ちょうど映画「パイレーツオブカリビアン」の時代です。カリブ海ジャマイカの港町、イギリス植民地ポートロイヤルで、イギリス提督の娘エリザベスと恋に落ちるウィル・ターナーは、鍛冶屋の親方の後を継いで、鍛冶職人になることは当たり前、運命はきまっているものと描かれていました。
封建社会
絶対君主、封建社会の時代です。
自由がない代わりに、主人に従っていれば最低限の命の保証と生活は営めた。今日も明日も同じ、何も変わらない。
経済社会など考える必要がなかったのです。
中世の西ヨーロッパでは、封建領主の館を中心とする自給自足を原則とした荘園制が形成された
映画のウィルは、鍛冶屋の運命を捨てて、船乗り、海賊になりました。
実際、船旅は疫病や難破など、命がけで大変危険でしたが、貧者や下層民であっても一夜にして王侯貴族に匹敵するほどの富と名声が転がるチャンスでもありました。
自由
初めて、経済的自由いう考え方を人々が手にする時代がやってきたのです。
世界は有史以来、ほぼゼロ成長でした。
有史以来、初めて、経済が成長し始めたのです。右の急上昇しているラインが18世紀以降です。
ゼロサムからwin win 誰かの得から皆の得へ
それまでは経済発展がないので、「ゼロサムゲーム 誰かの得は誰かの損」でした。
経済が発展し始めると、分業、交換が進み「win win」ということが可能になったのです。
分業
パンを焼くのに、一人で何もかもしたら時間がかかり、少しの量しかできません。
しかし製粉する人、焼く人と分業すれば、たくさんの量を作ることができます。
インセンティブ(動機)
明日はもっと良くなるかも知れない。いろいろな新しい商品が生まれるかも知れないと考えると、もっと働くというインセンティブが生まれる。
経済成長
経済発展のお陰で、私たちの生活は格段に豊になりました。過去の王侯貴族よりも、現代の庶民はいい生活をしています。
真夏にアイスクリームを食べたり、飛行機で海外旅行をしたり、当時の人は決してできませんでした。
人は変化を嫌う
経済が成長し、産業構造が転換することには、変化を伴います。
1666年フランスで織物産業が発達し、特別に独創的な技術が出て来ました。
すると、当時の政府は、織り糸の数を、1408本と決める条例を制定しました。
新しい技術を開発した人が出てくると、古い技術しか持っていない人が失業してしまうからです。
その後、サラサという新しい布が入ってきました。
すると、ヴァラーンスという町だけで、77人が絞首刑、58人が車裂き、631人がガレー船漕ぎの刑に処せられたのです
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変化や革新を人は嫌う
いかに人に恐れられるかという例です
しかし、市場システムの定着には時間がかかります。後にその変化は必要だったと分かることもあるかも知れません。
経済学とは
このように、18世紀に経済学は生まれ、その後も私たちの先人は、解決すべき経済問題に悩まされ続けてきました。
先行研究の膨大な蓄積が、結果的に経済思想として分類され、経済学となっています。
今の私たちに課せられた様々な経済問題を解決するのに、彼らの業績を活用しない手はありません
誰でもわかる経済学シリーズ 田中秀臣・上念司・塚本ひかり【チャンネルくらら】
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討論・暴論・強硬論 2014年3月号「嘘だらけの慰安婦問題は解決するか」 ゲスト 松木國俊 第4回 【チャンネルくらら】
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